第3話 門出




 翌朝。身支度を整えたディゼルは部屋から出た。

 物語通りに事が進むとすれば、伯爵家から放たれた悪魔の波動を感じて聖職者が屋敷を訪れるはず。

 そしてその聖職者が、トワを慕う男の一人。彼がトワの中に眠る聖女としての力に気付き、目覚めさせる。

 物語の中では彼が現れ、聖なる力に押し負けて逃げるようにこの街を出ていく。

 ディゼルはそれだけは避けたかった。いま自分と共にいる悪魔はディゼルの体を乗っ取っているわけではない。もしかしたら、聖職者の力で払われてしまうかもしれない。そうでなくても、彼が傷つくようなことはしたくない。


 ディゼルが階段を上がり、エントランスへ行くと両親が顔をしかめて何かを話していた。

 どうせ自分の話でもしているのだろうと、ディゼルはわざと咳をしてみせた。


「ディ、ディゼル!」

「ごきげんよう。お父様、お母様。随分と早いお目覚めですね」

「お、お前……どこに行く気だ」


 父親は母親を庇うように一歩前に出てそう言った。

 以前のような威圧感は少しも感じない。まるで毛を逆立てている猫のようだと、ディゼルは口元に手を当てて微笑んだ。


「私がどうしようと、関係ないでしょう?」

「お前を外に出す訳にはいかない! まだ伯爵がどうなったのか確認していないのだからな……」

「伯爵が亡くなったのは自業自得ですよ。私は無関係です」

「お前が殺したんだろ! それ以外考えられない……お前は悪魔の子なんだからな……」


 父親の言葉にディゼルは溜息を吐いた。

 冷静さを欠いている彼らに何を言っても無駄なのだろう。それでなくとも、自分の言葉が彼らに聞き入れられたことなど一度もないのだから。


「……お父様、お母様……? どうなされたのです?」


 後ろから声がして、ディゼルは振り返った。

 そこに居たのはまだ寝間着を着たトワ。父親の叫び声で目が覚めて様子を見に来たのだろう。


「トワ! お前は部屋に戻っていなさい!」

「で、ですが……」

「コイツは伯爵を殺した悪魔だ! 悪魔が何をするか分からん! お前の身に何かあったら……」

「そ、そんな……お姉様……」


 困惑するトワに、ディゼルの心は冷え切っていくのを感じた。

 そうやって、ただ言われた通りにしているだけで大切になれる妹。

 ディゼルだって言われた通りにしてきたのに。命令されるままに生きてきたのに。


 その感情に反応するように、ディゼルの頬に痣が浮かび上がった。


「おはよう、トワ。暖かくて柔らかなベッドで寝るのはさぞ気持ちいいのでしょうね」

「……っ」

「これから美味しい朝食を頂くのでしょう? いえ、貴女には美味しいものを食べるなんて当たり前なことね」

「……お、おねえ、さま……?」

「お姉様? 貴女、本当に私のことを姉だと思ったことがあるのかしら」

「っ!」

「家族だと思ったことなんてないのではなくて?」


 段々とトワの顔が青褪めていく。

 なんて愉快なんだろう。ディゼルはこのままトワを追い詰めたいと思ったが、いつ聖職者がやってくるか分からない。

 少しでも彼女に罪悪感を与えられればいいかと、ディゼルは小さく息を吐いて玄関へと向かった。


「う、動くな!」

「今までお世話になりました。悪魔を育てたお父様と、お母様」


 そう言うと、二人は顔を真っ白にさせて言葉を失った。

 そう。悪魔を育てたのは紛れもなく両親。結果、ディゼルは悪魔と契約を結んで正真正銘の悪魔の子となった。

 痣など気にせず、大切に育てていれば。もしくは赤子のときに命を奪っていれば、こうはならなかっただろう。

 精々、後悔に苛まれて生きていくと良い。ディゼルはそっと笑みを浮かべ、屋敷を出ていった。

 なんて気持ちのいい日だろう。こんなにも心がスッキリした時があっただろうか。ディゼルはトワや両親の顔を思い出して喉を鳴らして笑った。


 ふと、ディゼルは前世で読んでいた書物の中に会った言葉を思い出す。

 こういう時に使うのが相応しい。ディゼルは恍惚の笑みを浮かべながら、一言呟いた。


「ざまぁ、ですわね……」



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