第一章
第1話 悪魔の娘
遠い遠い世界で描かれた物語。
此処とは異なる異世界。
そこにはディゼルに酷似した少女の物語が存在した。
そこでの彼女は悪役令嬢。ヒロインの邪魔をするキャラクター。
その物語を、前世の記憶を思い出したディゼルは知った。自分が死ぬ未来を見た。
確かに記憶の中にある物語とディゼルの容姿はとても酷似していた。物語の中のディゼルがヒロインを敵視する理由は悪魔に体を乗ったられたから。
生い立ちもほぼ同じ。つまり、ディゼルが暮らすこの世界のことが描かれた物語が異世界に存在するということ。
だけどその物語の主人公はディゼルじゃない。
だけどディゼルは知った。そしてその筋書きはもう狂った。
「ディ、ディゼル!? あんた、どうして戻ってきたんだ!」
ディゼルは嫁ぎ先の伯爵家で行われた黒魔術で呼び出された悪魔と契約をした。
自身も、その周囲の人間も、不幸にしてやると。
「伯爵がお亡くなりになったので、婚約の話もなくなりました」
「な、なんだって!? もしかしてお前……伯爵を……」
「いいえ。伯爵は自ら亡くなったのですよ」
正しくは自分が行った黒魔術により呼び出した悪魔によって殺された。
考え方次第では彼の死は自業自得とも言える。自ら死んだと言っても差し支えないだろうとディゼルは解釈した。
「ふ、ふざけるんじゃないよ! やっぱりあんたは悪魔の子なんだ……呪われているんだよ!」
「では、貴女は悪魔の子を産んだ母……貴女も悪魔なのでは?」
ディゼルは喚く母にそう言った。
言い返そうとした。だが、今までと雰囲気の違う娘の様子に言葉が出てこなかった。
これは、本当にディゼルなのだろうか。
ずっと弱々しかったのに。口答えなんて一度もしたことがなかったのに。
「……お姉様」
「あら、トワ。ごきげんよう」
「一体、何があったのですか?」
トワ。ディゼルの可愛い妹。前世の記憶で見た物語の主人公。
両親に愛されて育ち、誰からも慕われる、まさにヒロインといった娘だ。
しかし姉が両親から酷い仕打ちを受けているのを黙って見ていた。姉を可哀想だと思いながらも、それを口に出すことはなかった。
前世の記憶で見た物語の彼女は、姉のことを心配している様子が描かれてはいた。自分が弱かったから姉を救えなかったと後悔を吐露するシーンもあった。
ディゼルはそんな妹の姿に、正直吐き気がした。救えなかったのではなく、救う気がなかったくせにと。
これからトワは悪魔に乗っ取られた姉を救おうと、彼女を慕う男性たちと様々な困難に立ち向かおうとするだろう。
だが、もう未来は変わったのだ。ディゼルは悪魔に体を乗っ取られていないし、前世での記憶の中ではあるが未来を知った。
本当にそこに描かれた通りに未来が進むかどうかは分からない。しかし、もうそんなことはどうでもいいのだ。大切なのは、これから。ディゼルが実際に自分の足で進んでいく未来。
「……ふふ」
ディゼルがそう微笑むと、彼女の左の頬に痣が浮かび上がった。
その痣に、両親は震えあがった。見た目が変わったわけじゃない。それなのに、とんでもな威圧感がある。目の前に立たれるだけで体中から血の気が引いていくようだった。
当然だろう。彼らの目には映っていないが、ディゼルの背後には正真正銘の悪魔が憑いているのだから。
「私が怖いのですか? お父様、お母様」
笑みを浮かべたまま、ディゼルは両親に近付いていく。
一歩一歩、近付くたびに圧が強くなっていく。体に重く圧し掛かってくる重力が肺を潰してしまうんじゃないかと思うくらい息が出来なくなってる。
「何に、恐れているのです? 悪を払うためだと折檻しないのですか? 屋敷の掃除をしろと命令はされないのですか? 残飯を処理しろと言わないのですか? 身を清めるために水を掛けたりはしないのですか?」
これまでの受けてきた仕打ちを、淡々と語る。
勿論、これだけではない。口に出したくもないようなこともされてきた。ディゼルにはちゃんとした部屋すら与えられていないのだ。寝床は地下の物置。そこで古い毛布にくるまって眠っている。
悪魔の子だから。呪われている子だから。根拠もない理由だけで、そうされてきた。
そんな扱いをするくらいなら捨ててしまえばいいのに。そう思ったが、もし子供を捨てたことが誰かに知られでもしたら体裁が悪い。だったら外に出さないで目の届くところに置いておくのが安全だと思ったのだろう。
もし本当に呪われた悪魔の子だったら、自分たちが呪われるとは思わなかったのだろうか。ディゼルはクスッと小さく笑った。
こんな状況でも、トワは動かない。ただ怯えているだけかもしれない。
その様子に、ディゼルは思う。なんでこんな子が異世界の物語で主人公なのだろうかと。彼女はただ容姿が美しいだけ。優柔不断で、思わせぶりで、誰にでも愛想を振りまいて、多くの男を誑かしている。
前世の自分はその物語が好きだったみたいだが、ディゼルはそれが理解できなかった。自分自身が悪役として描かれているせいかもしれないが、それでなくともヒロインには好感を持てない。
「……い、いいから地下に戻っていなさい! 伯爵のこと、きちんと確認できるまでは出てくるんじゃないぞ!」
父親が声を荒げて言った。
いつもの高圧的な態度とは違い、完全にディゼルに脅えている。その様子が面白く、とても愉快だった。
「ええ。では、今日はもう疲れたので休ませていただきますね」
ディゼルは軽く頭を下げて、両親に背を向けて地下へと向かった。
背後で二人の息を吐く声がして、声を出して笑いそうになるのを必死に堪えた。
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