第4話 勇次郎の必殺技。

「うん、あの、麻乃お姉さん」

「何かしら? 勇ちゃん」

「あのね、お姉ちゃんはどうしたの? ここには来ないの?」

「そのことですが勇ちゃん、いえ、勇次郎様」


 麻乃の口調が変わったから、何か理由があるんだろうと勇次郎は思う。


「大学、高校、中学、小学校が再開になりましたので、しばらくは理事長の仕事を兼務することになるのですね。今ごろはおそらく、お父さん――いえ、宗右衛門と一緒に、職員会議へ出席なさっているかと思われます」

「あ、そうか。お姉ちゃんも忙しいんだ」

「夜遅くなるので、夕食は済ませてくることが多いのです。静馬様も、縁子様も、お屋敷でゆっくりされることは、しばらくはないでしょう。お二人の後継者となるべく、人材が育つまでの間、現役でいるとしか思えないのです。だから、私が勇次郎様の専属になることを許可したのですから」

「そうね。それに勇ちゃんのすぐ側にいる文庫はね、見た目がこんなでしょ? 知っての通り、SNSでも有名なコスプレイヤーで、雑誌のモデルもこなしているわ」

「うん」

「文庫をね、即売会のついでにコスをさせるのも、あちらにある出版社に売り込むためなの。おかげで何社かオファーがくるまでになったわ。高校を卒業するまで、親元を離れるまでは無理だと断ってはいるんだけどね」

「ま、俺はあっちに遊びに行っても、住むつもりはないから。父ちゃんと母ちゃんに親孝行しなきゃ駄目だし」

「文ちゃん、わかるよ。僕も母さんに幸せになって欲しいと思ってるから」

「先生はシスコンだし、俺は違うけどね」

「どこがシスコンなのさ? この間、麻乃さんにも言われたし……」

「え? 外からみたらわかるけど?」

「なんでよ?」

「だって、先生、鈴子お姉ちゃん好きでしょう?」

「そりゃまぁ。小さいときから優しくしてくれてるし」

「先生、会長さん好きでしょう?」

「そりゃね。ずっと憧れてたから」

「それに先生、麻乃さん、好きでしょう?」

「え? あ、最近いつも一緒にいてくれるだけで」

「それをね、シスコンっていうんだ。いつも姉ちゃんの側にいたけど、離れちゃったし、辛いときに誰に甘えたらいいかわからなくなっちゃってるんじゃない? もしかして」

「……それは否定しないけどさ」

「まぁまぁ、この辺にして。文庫、お弁当買っていらっしゃい。私が全部おごってあげるわ。好きなのを買ってきていいわよ」

「ほんと? やった、はい」

「おつりはお小遣いでいいわよ」

「やったー。姉ちゃん気前がいい」


 文庫は両手に弁当の入った袋をぶら下げ、五分しないうちに戻ってくる。同時に納得いかなそうな表情をしていた。


「姉ちゃん。五十円しか余らなかったんですけど?」

「おつりはお小遣いでいいってあれほど――」

「いや、余ったけどさ、比較的美味しそうな弁当選んだら、残すのなんて無理に決まってるじゃないの?」

「それは不幸な結果だわ。さ、ご飯にしましょうね」


(鈴子お姉ちゃん知ってて渡したんだろうね。文ちゃんもよく余らせたと思うけど)


 勇次郎は内心そう思っただろう。


 勇次郎は麻乃の手伝いをして、お茶の入る湯飲みを配っていく。その後から急須でお茶を入れてくれる麻乃。


「いい香りだね、ほうじ茶?」

「そうですよ。他にも、煎茶、紅茶、コーヒーから夏場は麦茶も用意する予定です」

「至れり尽くせりだね」

「勇次郎様が来るからじゃありませんか?」

「あれま、……そういやさ、なんで麻乃お姉さんが生徒会にいるの?」

「それもお茶と同じです」

「というと?」

「鈴子ちゃんが『勇ちゃんが来ることになるのに、手伝ってくれないの?』なんていうんですよ? もうほぼほぼ、強制的じゃありませんか?」

「あれまぁ」

「姉ちゃんって、そういうところ昔からだよな」

「あー、それはわかる気がする」

「よかれと思って動いてるだけなのに」

「姉ちゃん、それは誰に対して?」

「もちろん、私」

「姉ちゃん、それ駄目じゃん」

「うん、ダメダメだと思う」


 ▼


 昼食後、おおよそ五時間経過。帰宅はこのあと五時半の予定。文庫も鈴子が執務を終えるのを待っているようだ。今日は目安箱の整理のようで、麻乃も手伝っている。その間、勇次郎はあるものを読んでいた。


「勇ちゃん、何を読まれているのですか?」

「ん? 教科書」

「お暇なのです?」

「麻乃ちゃん、勇ちゃんはね『一年分の予習』をしちゃってるのよ」

「予習、ですか?」

「うん。だって、僕にとってさ、授業は答え合わせ。試験は思い出すだけの単純作業だから。でも、応用が利かないから、引っかけ問題とかは苦手なんだけどね」

「え? それってどういう?」

「麻乃ちゃん、勇ちゃんはね、『そういう特技』を持ってるの。一度読んだり見たりしたのもは、だいたい覚えてるみたいなのね」

「ただ漠然と記憶だけしていくからさ、捻りをきかせた問題とかだと、何を探したらいいかわかんなくなっちゃう。記憶力はいいけど、応用力は人並みなんだよね」

「……もの凄い才能なのでは?」

「そんなでもないよ。試験だって七割程度しかできないし。まぁ、勉強しなくてもいいのは助かってるけどさ」

「勇ちゃんは、子供のころからそうなのよね。亡くなったおじさまのレシピも、しっかり記憶してるみたいで」

「あー、料理なんかは分量も手順も決まってるから、楽なんだよねー」

「なるほど、だからあれほど手際がよかったのですね」

「よし、……と。今年の分は終わり。ふぅ、附属中学まえより情報量が多いからしんどかったー」

「文庫もね、勇ちゃんに勉強を教えてもらっていたのよねん。あ、今年からどうするつもりなの?」

「あ、そうだった。先生に家来てもらうわけにもいかないし」

「同じクラスなんだし、ここに来たらいいじゃない?」

「あ、そうか。それでいいのかな?」

「いつもみたいに、わかんないところだけピックアップしてくれたら、教えやすいからさ」「了解、そうしとく」


 勇次郎の特技を耳にして、麻乃はある意味、末恐ろしさを感じただろう。


 ▼


 文庫が助手席、後部座席は麻乃、勇次郎、鈴子と三人乗っている。ぎりぎり五人乗りのレヴォーグならではの対応力。ただ勇次郎は少しだけ困ることになった。鈴子と麻乃に挟まれた温かさと、何とも言えない甘い匂いにくらっときたのは内緒だ。


 文庫たちの住むマンションの駐車場、ゼロ番に停車。


「ありがとうございます、山城さん」

「ありがとうです、景子お姉さん」

「いいえ、どういたしまして」

「それじゃまたね、文ちゃん、鈴子お姉ちゃん」

「おう」

「また明日ね、勇ちゃん」


 二人を下ろして、勇次郎たちが住むお屋敷へ向かう。時間は、六時前。五時半に生徒会役員室を出て、勇次郎と麻乃、鈴子と文庫の順で出て、大学校舎裏へ集まったのが五時四十分。これなら、早く到着したようなものだろう。


 鈴子たちが住むマンションから、東比嘉家のお屋敷まで車なら十分程度。お屋敷の駐車場には、杏奈の乗るリムジンが戻っていた。


「あ、お姉ちゃん帰ってるみたいだね」

「そうですね。さぁ、着替えて私は仕事をしないと」

「いつもありがとうね」

「いえ、それが私の勤めですから」


 勇次郎と麻乃は一階エレベーター前で別れる。勇次郎はそのまま二階へ。スマホのケースに入れてあるカードキーを引き抜いて、壁にあるスロットへ半分ほど挿入する、『カチャリ』と鍵の開く音が聞こえる。


 どっこいしょと、引き戸のドアをスライドさせる。どっこいしょとまたドアを閉める、すると中はまた暗闇。手探りで壁にあるはずの、照明のボタンを探しあてて。


「『ぽちっとな』」


 明るくなって、クローゼットから着替えを持ってきて、ベッドに置いて着替えようと振り向いた途端、勇次郎は固まった。


「……お姉ちゃん、何してるの?」


 ベッドの上には、薄桃色のジャージ上下を着た、杏奈が土下座をしていた。その姿はまるで、勇次郎にいたずらをした後の文庫のようだった。


「――ごめんなさいごめんなさい、本当に、ごめんなさい。あのときね、お姉ちゃんね、勇くんを無視するつもりはなかったの」

「いったいどうしたの?」

「だってね、周りの人も沢山いたから、かといって勇くんと接点があると公表したわけじゃないから、わたしから声をかけるのも不公平になるし、もうお姉ちゃんパニクっちゃって、平静を装うだけで精一杯だったんです」

「落ち着いて、今も十二分じいにぶんパニクってるようにしか見えないから」

「ごめんなさいごめんなさい。許してほしいだなんて、……言えませんよね?」


 顔を上げて、ちらっとこちらを見る杏奈。勇次郎と目が合ったかと思うと、すぐにまた顔を伏せてしまう。


「と、とにかくちょっと待ってて、僕そっちで着替えてくるから」


 そう言うと、勇次郎は着替えを持ってガレージへ。着替えて、制服をハンガーに吊ってガレージへかけておく。汗をかいたから、消臭剤も吹いておいた。

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