第3話 姉ちゃんがごめんなさい。
「……すぅ、……ふぅ。それとですね」
「う、うん」
思いのほか、復帰が早くなってきてた。
「勇ちゃんのお誕生日、近いではありませんか?」
「あ、知っててくれたんだ。ありがとう」
「それはもちろん――」
「毎年、杏奈お嬢様お一人でお祝いされてましたものね」
「あーさーの……」
「はいはい。お口にチャック、ですね」
これ以上麻乃が口を滑らせたなら、とんでもないことになりそうな状況だ。
「そのですね、勇くんのお誕生日を、ここでしませんか? もちろん、仲の良いお二人もご招待して」
「え? いいの? 僕は助かるんだけど、本当にいいの?」
「それはもちろん。ねぇ、麻乃?」
「はい。もし、あちら様で行われて、仲間はずれのようなことになりでもしたら、杏奈お嬢様、枕を涙で濡らす――」
「あーさーの……?」
「はい。申し訳ございません」
「あはは……。じゃさ、あとで二人にメッセージ入れとくね」
勇次郎はポケットからスマホを取り出して、左右にかるく揺らすようにしてみせる。
「そう、それです」
すると杏奈は、勇次郎のスマホを指さすではないか?
「はい?」
「その。連絡先を交換してもらえませんか?」
「あ、してなかったっけ?」
「はい。おそらくは、これがメインイベントかと」
勇次郎は、スマホを杏奈のほうへ差し出す。その画面には、『読み取れ』と言わんばかりの大きさで、四角い二次元コードが映し出されている。
「じゃ、はい。交換しよ、お姉ちゃん」
「――はぅっ。……あ、ちょっと待ってください。えっと、ポーチポーチ」
「今のうちに、勇次郎様。よろしいですか?」
「うん。はいどうぞ」
とっさのことで慌ててしまった杏奈をよそに、どこから取り出したか自分のスマホを近づけて、カメラを起動しコードをさっさと読み取らせてしまう。
「あー、ずるいわ」
「一ゲットでございますっ」
早々に勇次郎のアドレス登録が完了した画面を杏奈に見せつける麻乃。まるで、何かを争って妹にドヤる姉のように見えてしまう。
「んもう。あ、勇くん、お願いできますか?」
「はい。お姉ちゃん」
「えっと、こうして。こう、かしら?」
パシャリとよくあるカメラのシャッター音が鳴り、登録をするための画面が表示される。
「これをこう。……すぅ。はい、うん。これで念願のアドレスゲットでした」
「言ってくれたら、連絡先くらい教えたのに」
「いいえ。とてもじゃありませんけれど、恥ずかしくてその……」
そのとき、勇次郎のスマホがバイブレーションする。
「マナーにしてたんだっけ。……あ、鈴子お姉ちゃんだ。ぽちっとな」
この『ぽちっとな』という言葉は、アニメ漫画オタクの間に古から伝わる、ボタン押下時、無意識呟いてしまうものであった。
『勇ちゃん、今大丈夫?』
スマホの画面には、勇次郎も見慣れた鈴子の姿があった。彼女は部屋着なのだろうか? 勇次郎もよく知る、特殊な柄の作務衣を着けている。その特殊な柄とは、『肉球マーク』だったりするのだ。もちろん、彼女のデザインなのは言うまでもない。
確かこの姿の彼女は、ある作業をするときに、モチベーションを上げるために着けるもの。鈴子は締め切りが近いと言っていたから、勇次郎も『なるほどね』と思っただろう。
「うん大丈夫だよ」
『勇ちゃんの誕生日だけど、そっちまだ忙しいでしょう?
「あぁ、そのことだけどさ。あのね、ちょっと代わるね」
『え? 代わるって誰と?』
麻乃どこからか取り出したクリップ型のスマホホルダーを勇次郎に渡す。勇次郎は受け取ると、スマホを挟み込み、テーブルの上に置いて、杏奈と位置を代わった。
「お久しぶりです。鈴子先輩」
『あらら。杏奈ちゃんじゃないの。おひっさー。ということは、麻乃ちゃんもそこにいるのね?』
「えぇ。お察しの通りです」
勇次郎は、側にいた麻乃に小声で問いかける。
『鈴子お姉ちゃんと、もしかして知り合いなの?』
『はい。実は、同じ会に所属しておりまして』
『なるほど、だから「麻乃ちゃん」って呼んでたわけね』
『はい。
勇次郎が知っている通り、鈴子は附属中学時代から、『餌のいらない猫』を飼っていた。いわゆる『猫被り』のことである。
『あははは。やっぱりねー』
麻乃も四月から二年だと言ってた。それならば、鈴子と同級生でおかしくはないわけだ。
『ほら、文庫、勇ちゃん出たわよ』
スマホ画面の向こうでは、鈴子から文庫へバトンタッチ。そこには、家でくつろいでいるからか、それとも鈴子にいじられていたからか。ツインテールにされている文庫の姿が。
彼の髪は両肩にかかるくらいのロン毛だ。普段は首の後ろで、しっかりと縛っている。附属中学も附属高校もそうだが、服装に問題がなく、清潔感があるのなら基本、長髪も許可されている。
『なになに? 先生? よっすよっす。元気にしてる? ――って先生じゃない? あれ? 生徒会長さんじゃないのさ。す、すみません。俺、いや僕、弟の仲田原文庫です。あ、いや、そうじゃないって。姉ちゃん、いたずらにしてもほどがあるって。ドッキリじゃ済まないって。と、とにかくごめんなさい、うちの姉が本当にごめんなさい……』
パニックを起こしている文庫の表情。慌ててツインテールをほどくその姿。急変した彼の声を聞いて、少々吹き出しそうになるのを堪える勇次郎。ちなみに、杏奈はきょとんとしており、麻乃は吹き出しそうになるのを堪えていたようだ。
「文ちゃんもいたんだ。元気にしてるよー」
『あれ? 先生の声。なんだ、いるんじゃないか。びっくり、って、映ってるのはまだ会長さんじゃないか。どうなってんのさ?』
「……はい。は、初めまして」
状況をきちんと把握して落ち着いている杏奈と勇次郎、もちろん鈴子もそうだろう。杏奈が思った以上に落ち着いているのはきっと、附属中学時代の鈴子に、色々といたずらをされたからかもしれない。
『こ、こちらこそは、初めまして。……すっげぇ、『あの』生徒会長さんと話しちゃった。本当に、先生のお姉さんになったんだ……』
(先生って、誰のことかしら?)
杏奈は内心そう思ったのだが、そんなちょっとした疑問くらい忘れてしまうほど、仲田原姉弟のやりとりが楽しく見えたのだった。
『私も生徒会長だったんだけど?』
『姉ちゃんは別だってば』
『酷くない?』
止まりそうもない勢いで、スマホを通じて二人のやりとりが続く。杏奈は『このままでは話が進まない』と思ってはいるのだが、どう切り出したら良いか思い浮かばない。仕方なく会話の継ぎ目に合わせて、文庫に話しかけた。
「……あの、ですね?」
『は、はい、会長さん。すみませんっ、すぐに姉ちゃん、いえ、姉に代わりますので』
スマホの先では『ほら、姉ちゃん』『そういえば文庫、人様の前で姉ちゃんはないでしょう?』などのやりとりを交わしながら、鈴子に代わったようだった。
『……ごめんね、杏奈ちゃん』
「いえ、慣れています。凛子先輩はいつものことですから。それでですね、勇次郎君の誕生日ですが、先ほどわたしの家でしませんか? と提案したところなのですが」
(いつものことなんだ……)
勇次郎の知る鈴子と、杏奈の知る鈴子は、どうやら同じ存在だったらしい。
『まじで? やったー。姉ちゃん、こんなマンションじゃなくお屋敷だよお・や・し・き。どんだけ立派な部屋なんだろうね? 楽しみだなー』
鈴子のリアクションよりも早く、文庫の喜びの声が聞こえてくる。おそらくまだ、文庫は鈴子のすぐ隣にいるのだろう。思った以上に大きな声だったから。
「あはは……、文ちゃん、ブレないねー」
『こら、文庫――あ、杏奈ちゃんが大丈夫なら、お願いできる?』
「えぇ。こちらこそ、よろしくお願いいたします。では、当日ですが、こちらからお迎えの車を出しますので、夕方十七時あたりにご自宅でお待ちいただけますでしょうか?」
『はいはい。おっけーですよ』
杏奈へ向けられた、鈴子の飾ることのないやりとりが、勇次郎も知る彼女だったから、『新しい環境になっても、変わらないものがここにあったんだ』と少しだけ安心した。
『先生、じゃ、当日にねー』
「うん。文ちゃん、鈴子お姉ちゃん、またね」
『またね、杏奈ちゃん。勇ちゃんもまたねー』
ビデオ通話が終わり、スマホから二人の元気な姿が見えなくなる。
「あ、忘れてた」
「勇くん、どうかしましたか? もう一度、先輩にかけ直しましょうか?」
「いやそうじゃなく――あのさ、お姉ちゃんの誕生日も、もうそろそろでしょう?」
「お、覚えてくれていたのですか?」
「そりゃもちろん――」
(僕だってお姉ちゃんに憧れてたんだからさ)
勇次郎はそう言いそうになるが、ぐっと堪える。
「だからさ」
「杏奈お嬢様とご一緒にしませんか? ということでございますね? 勇次郎様」
「うん、そのとおり。さすが麻乃さんだね」
「えぇ、私もご提案するタイミングを計っていたものですから」
「……ま」
「ま?」
「くすくす」
「まさか、勇きゅ――いえ、勇くんに祝ってもらえるとは、思っていませんでした……」
『いま、勇きゅんって言おうとしたよね?』
『えぇ。そう聞こえましたね』
「そうだ、明日にでも、りうぼうでプレゼント選んでこよっと」
ちなみに、『りうぼう』とは、県庁と国際通り入り口にほど近い、那覇市久茂地にある、沖縄では誰もが知る老舗百貨店である。沖縄でも一番の好立地にあるため、『お高いのでは?』と思われがちではあるが、六階催事場では各地の物産展が年に数回行われており、沖縄では食せない美味、珍味に巡り会う機会ができると、人気のイベントがあったりするのだ。
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