第3話 『みたいなのよ』ってどういうこと?
勇次郎が住む部屋のドア横にある表札には、浜那覇
縁子の夫、勇一郎は故人である。彼は生前、警察官であったが、勇次郎が五歳になる前に、交通事故に巻き込まれて亡くなっていた。
勇次郎を育てるのに、財政的には難しくはなかった。ただ、勇一郎を亡くした悲しみに明け暮れている暇など彼女にはなかった。
そんな状況に追い込まれるくらいなら、仕事に追われる方がマシだと考えた。そこで、古い友人からこの病院に募集があることを知り、すぐに応募することになった。
それは、福利厚生の厚さがもの凄いと聞いたからだった。今住む部屋の住宅手当から、付属の保育園、付属の学校に通う生徒にまで配慮されていると聞いたからだ。それが気がつけば、現在救命救急センターの看護師長として勤めているのだから、不思議な縁とも言えるだろう。
その古い友人というのが、隣に住む
彼女は同じ院内で看護師として、彼女の夫も薬剤師として働いている。彼女には勇次郎と同じ歳の息子、ひとつ年上の娘がいることもあり、家族ぐるみで仲良くしてもらっている。
年を越して、気がつけば三月。勇次郎も四月から、附属高校への内部進学も決まっている。彼の成績は常に上の下あたりを推移している。付属小学校のときも、同じような成績だった。
縁子は成績をうるさく言うタイプではない。なぜなら、家のことを全部勇次郎に任せっきりだからだろう。
近所にある、二十四時間のスーパーの惣菜がなければ、一時期とはいえきっと大変なことになっていたはずだ。そう言い切れるくらいに、浜那覇家の台所事情は常に破綻寸前だったのである。
勇一郎がまだ存命のころ、浜那覇家の台所を預かっていたのは勇一郎本人だった。身長百八十を超える彼は、思った以上に器用で、縁子の好む味付けを書いた、ご飯のレシピも多く持っていた。彼が残したレシピ帳は、しっかり勇次郎が引き継いでいたりするのである。
看護師をしているのだから、手先が不器用というわけではない。やればできるのだ。だが、やろうという気になれるほど、家に帰ったあとに燃料が残っていない。全て、仕事で使い切ってしまいからなのだろう。
おまけに彼女は、料理的センスがない。グラム単位で料理本の通りに作ることはできる。しかし、そこまでする必要性を感じないのが悪いところ。だから勇一郎の方が、料理のセンスは上だったのである。
▼
「……勇ちゃん、起きてる? そりゃもう、こんな時間だし。起きてたよね?」
「珍しいね母さん。今日って非番だった?」
現在の時間は昼前。確か昨夜は夜勤だったはずだ。だからこうして、こんな時間に縁子が起きてくるのはおかしいと思ったのであった。
「非番、っていうのかな? 非番にして――いえ、されちゃったとでも言った方が正しいかしら?」
「何それ、よくわかんないって?」
「あのね、勇ちゃん。気をしっかり持って、聞いてほしいの」
「母さん。僕、わけわからないんだけど。もし母さんの身体に何かがあったとして、母さんの性格なら僕に嘘は言わないだろうし……」
「ほんとう、親はなくとも子は育つって、こういうことを言うんでしょうね。勇一郎さんも、喜んでくれてると思うわ」
勇次郎の知る縁子は、嘘を言う母ではない。ただ、こうして煙に巻くのは彼女の悪い癖であることも、十分に理解している。
「はいはい。何か言いにくいことでもあるんでしょう? どうしたのさ?」
「そう。それなら正直に言うわ」
「う、うん」
一応、何を言われても覚悟だけはしておこう。勇次郎はそう思ったに違いない。
「
「へぇ、おめでとう――ってはい? 『みたいなのよ』ってどういうこと?」
勇次郎は先日の『女装コンテスト』で優勝するくらいに、見た目が可愛らしい。そして、勇次郎の外見は実に母親譲りだ。それが事実なら、縁子は『童顔で、とても可愛らしい』ということになる。三十五歳になった今でも、那覇市や豊見城市あたりだと補導される可能性があるのだ。もちろん、国際通りや新都心あたりでナンパされたこともある。
そこら辺のアイドルより、可愛らしいのは間違いないだろう。ただ、勇次郎は見飽きているから、そう想わないだけ。少なくとも、複数の人から求婚されて、その都度『私ね、求婚されているんだけど』と、相談されたこともあったのは記憶にあるというわけだ。
「最初はね、『忙しいから、構ってる余裕ないわよ?』って断っていたのだけれど、『それでもいいから』って、言ってくれたのね。『君の邪魔になるようなことはしないから』とも言ってくれるのよ。だから、断るに断れなくなってしまって、その、ね?」
「ほんっと、猫属性っていうかなんていうか。放置プレイ確定みたいな返事してどうすんのかね」
「……ぷぷぷ。放置プレイだなんて、面白いわね。確かにそうかもしれないわ」
「それでも相手の男性をさ、難からず想ってるってことでしょう? 父さんが他界してもう、十年以上経つんだろうから、きっと許してくれるとは想うよ?」
「だといいわね。一緒にお墓参りいこっか?」
「いやいやいや。その話は、確定してからでしょうに――って、あれ? もしかしてさ、その、亡くなった父さんみたいに、『大きい人』だったりするの?」
勇次郎は、父、勇一郎のことは、写真でしか知らない。あとはおぼろげにしか覚えていないのであった。ただただ、大きくて、いつも笑っていた。そういう記憶だけはある。
「そうね。筋肉質で、がっちりしてるのは間違いないわよ。それにね、笑顔だけはあの人に負けてないわね。こう、ぎゅっと、抱きしめられるとね。安心感があるのは、否定できないわ……」
(なんだもう、抱きしめられるような間柄なんじゃないの)
内心そうツッコミを入れると同時に、『あぁ、なるほどね』と勇次郎は想った。
「なるほどね。それでさ、お相手の人って、どこの人なの?」
「同じ職場の人よ」
同じ職場。近年は、男性の看護師だっている。縁子ほど忙しい看護師はいないはず。外の人と会話をする機会も、少ないはずだ。それにせいぜい、看護師長として会議に出るくらいだろう。ということは――
「救命救急センターかぁ、まぁ母さんと同じように、家庭を顧みない人なんだろうね」
戦場のような場所だと聞いていたからだろう。軽い皮肉のようなものである。これくらいは、この母と子にとって普通のつつき合いだったりするのだ。
「酷い言われようだわ。まぁ、同じような人種なんでしょうけどね」
「その人ってさ」
「ん?」
「独身なの? いや、母さんに求婚するくらいだから、独身なんだろううけど。なんていうのかな? 初婚?」
「あぁ、そういうこと。あのね、娘さんがいるって聞いてるわ」
「あ、そうなんだ。母さんと同じくらいの人?」
「そうねぇ。……私より、いくつか年上だったと想うのだけれど、わすれちゃったわ」
「なんか、可哀想に想えてきたよ……。でもそっか」
(僕、お兄ちゃんになるんだろうねきっと)
勇次郎は勝手にそう思っていた。
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