第47話 壊れた人形

「そんなの、セレナが気にする必要はないのよ。私がしたくてした結果、そうなったんだから」


 私が望んだことだ。国外追放されそうになっていたサイラスの代わりに、名乗り出たのだから。そして今、私が一番望んでいること。


 まさか、そのために私を? だから、ロニは回帰していなかったのね。


「いいえ。いいえ、そうじゃないんです、ジェシーお姉様」

「セ、セレナ?」

「私なんかのために、ジェシーお姉様がそういう目に遭うことが許せないんです! だから、殺そうとするなんて!」


 突然、セレナの様子が急変した。ジェシーは戸惑いながら、セレナの背後に見えるコルネリオに、視線を向けた。


 すると、コルネリオはバツが悪そうに、顔を背けただけだった。セレナの態度に、驚く素振りがないことから、知っていたのだ。このような姿のセレナを。


「落ち着いて、セレナ。貴女の気持ちは嬉しいけど、本当に大丈夫だから」

「違うんです。私が、嫌なんです。私が、私がちゃんとしていなかったから。私がはっきり言わなかったから」

「……何を?」


 言っているの? とまでは、口に出来なかった。ここには、事情を知らないサイラスとフロディーがいたため、下手に言えばバレてしまうからだ。すでに声のトーンが戻っている。


 セレナの様子から、もう配慮できる状態でないことは、一目瞭然いちもくりょうぜんだった。であれば、ジェシーにできることはただ一つ。


 セレナを刺激しないこと。それしかなかった。


「私が王妃になんて、なりたくないことです」


 しかし、それは遅かった。それを聞いた周りが、どんな反応を示すかなど分かり切っている。


「セレナ様……」


 驚くフロディー。


「そうだったのか……」


 納得するロニ。しかし、止めとばかりにサイラスが現実を突きつける。


「今更言ったところで、これはお前にはどうすることもできない話だ」


 すると、セレナがサイラスに向かって怒鳴った!


「どうして決めつけるの! どうして私の話を聞いてくれないの!」


 見たこともないセレナの姿に、サイラスも言い返せなかったらしい。セレナは返答がないサイラスに、諦めの眼差しを向ける。元々、期待などしていなかったような、侮蔑ぶべつに近い目で。


「ジェシーお姉様だけでした。私の話を聞いてくれるのは。私が何をしたい、とか。私の望みを聞いてくれるのも」

「ごめんなさい、セレナ。私、知らなかったから――……」


 知らなくて、もう一度国外に追放されたかったなんて……!


「いいんです。私もはっきり言わなかったから。だから、ジェシーお姉様」


 一緒に考えてくれますよね、と懇願こんがんする眼差しを向けられ、ジェシーは戸惑った。ジェシーの心の片隅には、まだ回帰前の生活への望みが捨てきれていなかったからだ。


「ジェシーお姉様?」


 それを見透かされたのだろう。セレナの表情が段々、失望へと変わっていった。


「やっぱり、ジェシーお姉様も同じなんですね。私を理解してくれない。理解しようとしてくれない。私の望みを聞いてくれないのに、私に望みを押し付ける!」


 叫んだ瞬間、セレナはジェシーを強く押した。大きくよろけたが、後ろにいたロニに支えられ、倒れることはなかった。


 だが、よろけたのはジェシーだけじゃない。押したセレナも、ふらふらと体が揺れている。まるで壊れた人形のように。


 ジェシーの肩を掴んでいたロニの手が、いつの間にかお腹に回っていた。まるで、危険だと言っているかのようだった。セレナに気づかれない程度に、後退りまでして。


「酷い、酷いです」


 そう言いながら、セレナはいつの間に手にしていたのか、ジェシーにナイフを向ける。ロニの予想は的中したのだ。

 すでに目がわっているセレナが次にとる行動など、分かり切っている。刺す勢いで突進してきた。が、戦闘経験のないセレナの動きなど、ロニはジェシーを抱えたままでも簡単に避けてみせた。


 しかし、ジェシーにとっては恐怖だった。地に足は付いていない。しっかり掴んでいるロニの腕が頼りないわけじゃなかったが、自分の意思で動けないのが、怖かった。

 目を閉じ、お腹の上にあるロニの腕を、必死に両手で掴んだ。


 その途端、カランという音が耳に入った。


 ジェシーが目を開けると、痛みを堪えるセレナの姿が見えた。その手にはナイフが握られていない。音から察するに、ロニがセレナの手を叩き、ナイフが床に転がったのだろう。


「もう嫌。何もかも全部」


 そう呟きながら、ナイフを拾い上げる。自暴自棄じぼうじきになったセレナに、誰も近づこうとする者はいなかった。行動が読めない者ほど、怖いものはないからだ。


 それでも近づく者がいた。


「セレナ……」


 ずっと静観せいかんしていたコルネリオだ。まだ体は癒えていなかったのか、ゆっくりとした足取りでセレナの傍に行こうとしていた。


「悪かった。俺が君を――……」


 追い詰めてしまって、と言おうとしたのだろう。


「危ないっ!」


 途切れたコルネリオの声とロニの叫ぶ声は同時だった。その瞬間、ジェシーの体は百八十度回転し、ロニの体にぶつかるようにして向かい合った。

 そして頭に触れたロニの手が、強く自身の胸に押し当てるように、ジェシーの視界を奪う。まるで周囲の光景をジェシーに見せないように、強く体を密着させた。


 ジェシーもロニの服を強く握った。後ろで何があったのか。見えなくても、見たくなくても分かったからだ。


「うっ」


 コルネリオの短い悲鳴が、嫌でも耳に飛び込んできた。床に倒れる音も、数秒遅れて。けれど、その後に聞こえるはずの足音は聞こえなかった。誰も駆け寄らなかったのだ。



 ***



 王になりたかった男が一番、王妃になりたくなかった女を傷つけていた。だから、彼女はお返ししたのだ。傷つける原因に、ただ傷をつけただけなのだ。


 もうそこに感情は存在していない。セレナはまた、人形に戻ったかのような表情で、ただ立っていた。傍で倒れているコルネリオなど、見えないかのように。

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