第21話 せっかくのお出かけだったのに
メルさんがおすすめしてくれたお店で、お腹いっぱいになってしまうのは必然のことだった。
メニューのどれを見ても美味しそうで、結局一つに絞れなくて三種類のスィーツを頼んだ。
メルさんはコーヒー一杯で、私が食べる様子をニコニコしながらずっと眺めていたけど、何がそんなに面白かったのかな。
あっ……
もしかして、顔に何か付いてる?
生クリーム?
ナプキンで口を押さえてみたけど、不安だ。
「あの、ちょっとだけ席を外します」
椅子から立ち上がる。
私が向かう場所を察したのか、メルさんは“ここで待ってるよ”と声をかけてくれた。
目指す場所は、お店の奥まったところにある。
そこの入り口から左手に入るとパウダールームがあった。
鏡を見ようと数歩進むと、
「よぉ、アシーナ。伯爵様と上手くやっているようだな」
突然背後から声をかけられて、体がびくりと強張った。
振り向くと、予想の中でも最悪な人物がそこにいた。
義理伯父の息子だ
数年ぶりに会う。
私の後をつけていたのか、偶然見つけたのか、まさか女子トイレに入り込んでくるなんて。
だらしなく伸ばしっぱなしになった髪が逆に女性に見えたのか、この男は身長も低いから、外套を着ていれば後ろ姿だけならわからないかもしれない。
「なぁ、アシーナ。俺たちはいまだに悲しんでいるんだ。お前のせいで、大好きな叔母が死んで」
義母の甥が、目を赤く充血させて、近づいてきていた。
お酒をかなり飲んでいるようだ。
逃げないとと思うのに、足が動かない。
大丈夫だと思っていたのに、恐怖に体がすくむ。
お父様達が亡くなった直後は、義理の伯父一家は親身を装っていた。
義母の死を一緒に悲しんでくれて、だから信用していた。
でも、しだいに何をするにも許可がいるようになって、義母が死んだのは私のせいだと責められ、外出することも学校に行くこともできなくなって、私が塞ぎ込んでいるって、嘘までつかれて……
「お前のせいで、お前の母親は死んだんだよな?叔母も死なせたんだよな?俺たちの大切な家族を、お前が奪ったんだよな?俺たちは可哀想だよなぁ?」
違うとわかっているのに、体が動かなくなる。
「それになぁ、アシーナ。お前のせいで、親父はブタ箱にいれられ死ぬまで奴隷扱いだ。その後、俺たちがどれだけ苦労したと思ってるんだ?」
逆恨みもいいところだ。
法廷で父親に逆らえなくて仕方なくって、嘘泣きまでしていたくせに。
それを頭でちゃんと理解しているのに、ガタガタと恐怖で体が震える。
声が、出ない。
声をあげれば、お店にいる誰かがすぐに来てくれるのに、ひりついた喉が、声を出すことを拒んでいる。
悲鳴を上げれば殴られた記憶が脳裏を占めて、それが無意識に見えない鎖で私を縛り上げる。
「お前だけにいい思いなんかさせるはずないだろ。なぁ、伯爵夫人様よぉ。腹ボテになった不倫女なんかどうなると思う?すぐにポイだろ」
何をするつもりなのか、それが想像できて、バクバクと心臓が鳴り響き、浅い呼吸を何度も繰り返す。
男が、さらに近付いてくる。
嫌だ。怖い。頭の中で、その二つの言葉がずっと繰り返される。
指先が触れる直前、助けてと願ったら、風が吹くように、目の前にいた男が真横に吹っ飛んでいった。
私は右目の視力はほとんどない。
だから、右側から人が来ても気付くのが遅れるから、本当に突然男が吹っ飛んでいったようにしか見えなかった。
右側にある入り口に体ごと顔を向けると、まさに鬼の形相のメルさんが、殴りつけた拳を解いて、手を軽く振っているところだった。
「アシーナに触るな。穢らわしい」
それからさらに大股で近付いて行き、床に伸びる男の胸ぐらを掴んで、底冷えのする声で囁く。
「アシーナの悲しみと罪悪感につけ込んで、アシーナの人生を滅茶苦茶にしたこと、赦されると思うなよ。彼女を辛い目に遭わせて、今再び、アシーナの前に現れた事を後悔させてやる。後でお前の右目をもらいに行くからな」
体を離したところで、騒ぎを聞きつけた警備隊が駆けつけた。
「女子トイレに侵入した不審者だ。後で行くから、今は牢屋にぶち込んどいてくれ。逃せば、クラム伯爵家が責任を問う」
男は、警備隊に拘束されると、喋る間も与えられずにすぐに連行されていった。
あの男の姿が見えなくなったから、やっと私は緊張から解き放たれていた。
「帰ろう、アシーナ。怖い思いをさせてごめん」
メルさんのせいではないと言おうとする前に、ひょいと私を抱え上げたメルさんは、スタスタとお店の外に歩いていく。
横抱きにされるとメルさんの顔がすぐ近くにあって、それに、いろんな人がいろんな表情で私達を見てて、恥ずかしくなって顔を覆っていた。
「私、重いのに、ごめんなさい、足が、動かなくて」
「君が重いだなんて、そんな事はない!僕は毎日重たい土を運んでいる。それに比べたら、君は木の葉のようだよ。領地で言ったことを気にしているのなら何度でも謝罪する。君が健康を取り戻したと言う意味で、ふっくらしたと言ったつもりだったんだ。君は今でも、もっと太っていいくらいだ。大丈夫。すぐそこに馬車が待ってるから」
メルさんが言った通り、お店から出ると、すぐそばの通りに乗ってきた馬車が停まっていた。
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