紡ぐ想い:繋ぐ思い

 僕が部屋に戻って来ると、玄関前に男が立っていた。

 

 その光景はこの間見たような構図で、なんだかおかしかった。

 とても笑う気にはならなかったのだが。




「おまたせ」


「ああ」


 普段の彼らしくない、冷たい声色。

 彼とは長い付き合いだが、こんなに冷めた表情をしているのは初めてのような気がした。



「部屋に入ろう」


 僕は玄関を開け、彼を――親友の鷹水雄介を部屋に案内する。

 すると、普段と同じように部屋へと入っていった。


 リビングのテーブルセット。その椅子に腰掛けたのを横目に、僕は戸棚からインスタントコーヒーとマグカップを取り出す。


「俺は要らん」


「そう言うなよ。尋問には自白剤が必要だろ」


 マグカップにコーヒー粉末を入れ、お湯を注ぐ。

 愛飲しているブランドのインスタントコーヒー、その匂いは雨天の湿気のせいでうまく感じられない。

 それでもいい、舌と味覚を苛むものならなんでもよかった。


 小さなスプーンを入れて、マグカップを雄介の手元に置く。

 僕はその対面に座った。




「話してくれ、篠宮について」


 雄介は溜息を吐き、マグカップに口を付ける。

 あからさまに顔を歪め、テーブルの上に戻した。


「濃すぎだろ、砂糖とミルクくれよ」


「これはコーヒーじゃない、自白剤いじわるだからさ」



 うんざりした表情で雄介は全てを話した。


 

 篠宮レイという同級生がいたこと、双子と言っても過言では無いほどにそっくりな妹がいたこと、雄介はそんな2人に好意を寄せていたこと……


 そして、僕が上京していたタイミングで篠宮レイは病気で亡くなったこと。



 全貌を聞かされても、何一つとして納得できるものはなかった。

 雄介が誰を好きになっても構わないが、篠宮レイという女性のことは少しもわからない。

 僕は彼女の片思いの相手だったらしいが、終わったことだ。

 それなのに、妹の方は僕に執着している。




 濃いめのコーヒーが底を突いた頃、雄介の釈明は終わった。

 だからといって、状況が変わるわけではない。


 

 しばしの沈黙が続いた後、僕はこの場を終わらせることにした。



「明日も仕事だろ? 奥さんも待ってるだろうし、帰った方がいい」


「でもよ……」


 雄介が引け目を感じているのはわかった。

 だが、ここで話していても時間の無駄だ。


 それに――




「篠宮、来たんだろ?」


「――なに、言ってんだ」


 雄介は普段、部屋の前で待っていたりはしない。

 この物件は駐車場から玄関前を確認できる配置になっている。いつもは車で待っていて、僕が部屋に入るのを見てから入ってきていた。

 それはもちろん、玄関から彼の駐めている車が見えているからわかることなのだが。


「玄関前で篠宮を待っていた。だから、そのまま前で待ってたんだろ。雨降ってたし」


 僕の指摘に言葉を失う雄介。

 彼の手元にあったマグカップは空になっていた。


 2つのマグカップを手に、僕は立ち上がる。

 シンクにマグカップを置き、雄介の肩に手を置く。



「僕は誰も責めたりしない。追求もしない」


 雄介は小さく頷いて、席を立つ。

 そのまま一言も発さないまま、彼は部屋を出て行った。



 ――今日は、疲れたな。


 気を抜くと、全身びしょ濡れだったことを思い出す。

 慌てて衣類を脱ぎ捨て、床と椅子の水気を拭き取る。

 

 着替えて一息つく頃には、もうすっかり暗くなっていた。



 朝から原稿を読み込んだり、数時間のドライブにずぶ濡れになるほど雨に打たれ、衝撃の真実を告げられる。

 数ヶ月分のイベントを凝縮したかのような忙しさだった。


 空腹感はあるが、今から食事を作る余裕はない。

 それに運が良いことに、明日急いでやらなければならない作業は予定に無い。


 ――外でゆっくり食べるか。


 外出用の服装に着替え、玄関のドアノブに手を掛ける。

 すると、玄関のすぐ近くに人の気配があった。


 雄介が部屋を出てからしばらく時間が経っている。

 彼が戻ってきた……ということはありえない。


 

 恐る恐るドアスコープを覗くと、そこにはフードを被った人物が立っていた。

 薄暗いせいで人相まではわからない。身体は細く、小柄だ。


 それは誰か、と考えるまでもない。

 なら、きっとこのタイミングで来るだろう。そんな気がしていた。



 意を決して、玄関の施錠を外してドアを開けた。

 すると、目の前にいた人物は驚いたように後退る。


「――えっ、あ……」


「どうしたんだ、篠宮」



 フードを上げると、そこにはやはり篠宮レイ――いや、ミオがいた。

 頭髪は濡れ、身体が冷えているせいか鼻と頬が赤くなっている。


「入ったらどうだい? 風邪引くよ?」


 僕の言葉に、首を横に振るミオ。

 このまま風邪を引かれても、精神衛生上良くない。

 だから、彼女の手を引いて部屋に入れることにした。


 乾いているタオルを渡し、洗って干しているマグカップに牛乳を注ぐ。

 コーヒー用のスティックシュガーをマグカップの中に加え、スプーンで掻き混ぜてから電子レンジに入れた。

 数分後、加熱が終わったそれを彼女の前に置いた。





「――事情は雄介から聞かせてもらったよ。篠宮ミオさん」


 部屋に入ってからずっと、彼女は一度も口を開かなかった。

 それは気まずさや反省といったものではないことはなんとなく察しがついた。


 だから、雄介の時と同じように彼女からの言葉を待つ。


 

 ホットミルクの入ったマグカップに手を添えたままの篠宮。

 俯いたまま、じっとマグカップを見つめている。


 僕は雄介の時のように、テーブルの対面に座った。

 何か腹に入れようかと思ったが、話を聞く側に落ち着きが無いのは問題だ。我慢しよう。



 しばらくの沈黙の後、篠宮は顔を上げた。

 対面に座っている僕を、まっすぐ見つめてくる。


「読んで、頂けました?」


 原稿のことなのは疑いようも無い。

 しかし、雄介から全ての事情を聞いた今、あの原稿用紙の束は単なるエッセイではないことが明るみになった。


 姉の無念、叶わなかった想いをどうにかするために彼女はここにいるのだろうか。



 取るべき選択肢は2つ。


 雄介から聞いた事情を考慮して、篠宮ミオの目的を果たさせてやる。

 もしくは、何も知らないフリをして原稿を酷評するかだ。


 どちらにしても、面倒なことになるのは間違いない。

 だが、どちらも最高の選択肢とは言えなかった。



「ああ、読んだよ。何度も読み返した」


 問題なのは、原稿の中身だ。

 『篠宮レイの独白』として処理すれば、それはミオが求めた答えになってしまう。僕は結果、何も悪くないのに彼女に陳謝しなければならなくなる。それは理不尽極まりない。


 逆に技術面や構成面の話をしたところで、書いた姉を侮辱していると受け取られかねない。こっちの方が最悪だ、まさに「考える中で最悪の結末バッドエンド」を迎えることになるだろう。



 何を言うべきか思案していると、原稿を受け取った時のことを思い出した。

 スーパーで買い物カゴに直接入れられる直前、感想についてのコメントは強要しないという約束をしたはずだった。


 ――これしかないな。



 僕は作業部屋から原稿の入った分厚い封筒を回収し、彼女の前に置く。

 


「読んだ。けど、完結していないものにはコメントを付ける気にはならない」


「……どう思ったのかだけでも、聞かせて」


 彼女の言葉を、僕は原稿を突き返して否定する。

 今ここで何かを伝えても、それは彼女――篠宮ミオにとって何にもならない。

 重ねてきた嘘に、また1つの層が増えるだけだ。




「未完の傑作なんて無い。誰かが終わらせるから、それは傑作になるんだ」


 僕が師匠と慕った作家が言っていた。

『作品は完結して、ようやく作品として評価してもらえる。完結しなければ、それは評価の対象ではない』


 事実。序盤が面白くなくても、途中からどんどん面白くなる作品だってある。それは商業的には課題のある作品ではあるが、それもまた魅力の1つだ。


 だから、僕はこの原稿を否定せず、肯定もしない。

 どう受け止めたかは関係無い――だって、完結していないのだから。評価すべきではない。




「書くのは辛い。誰もが作品を完結させられるわけじゃないんだ」


 僕自身も作品を書く手を何度も止めてきた。

 文章を綴ることを止めた仲間は何人もいた。


 書き続けてきたのはことを絶対条件に据えてきたからだ。

 企画も、プロットも、原稿も、手を止めたままでは終わらない。

 どんなにクオリティが低くても、間違っていても、作業を続けるしかない。



「読んだ読まないの話じゃない、作品は最後の締めまでどう転ぶかわからないんだ。もしかしたら、ハッピーエンドになるかもしれないだろ。このまま物語が幕を閉じずに終わってしまうのはもったいない」


 

 この原稿はたしかに、姉のレイが綴った後悔の記録だ。

 だが、それは同時に妹のミオが見てきた物語でもある。

 それを語る書くのは、彼女しかできない。



「だから、頑張って終わりまで書いてみてよ。僕はずっと、完結するまで待つからさ」  


 僕が選べる最高の選択肢はこれしかない。

 彼女はクリエイターではなく、ただ原稿を運んできただけだ。


 しかし、彼女はクリエイターと名乗ってしまった。それは僕に読ませるための口実なのは間違いない。

 でも、この原稿をにするつもりは微塵も無かった。



「書けません」

 彼女は呟くようにそう答えた。

 当然だ、篠宮ミオが書いたものではない。だから書けるはずがない。


 それでも、僕は言うしかなかった。




「書くんだ。君の手で」


 彼女は首を横に振る。

 目尻に涙を溜め、視線は原稿に向けられていた。



「いや、書けるはずだ。君はこの物語をよく知っているだろ」


 知っているどころか、登場人物の1人ですらある。

 この場を切り抜けるためでもなく、自分のためでもない。


 篠宮ミオが『姉』から離れるには、物語を終わらせる必要がある。

 そう思ったのだ。


 文章として書き出し、アウトプットする。

 そうすることで、彼女が抱えているを整理することができるのではないか――と考えた。





「僕は大体、この部屋にいる。文章技術や作品構成についての相談くらいはできると思う。書き続けるのは難しくなったら、また来てくれ」


 これは僕ができる最大限の譲歩だ。

 そして、最初で最後の助力。



「わかりました」

 篠宮は小さく頷き、原稿を抱えて席を立った。    



「これからもよろしくお願いしますね、先生?」


「続き、待ってるから」


 それを聞いて、篠宮ミオは部屋から出て行く。

 再び、雨音だけの部屋に取り残され、僕はしばらく篠宮のことを考えていた。



 僕が「篠宮レイ」と接点が無く、向こうも僕に接触してこなかった。

 その結果、こんな面倒な事態へと発展することになったわけだ。


 雄介のいい加減さにも腹が立つが、人との縁というのはどこで繋がっているかわからないものだ。

 だからこそ、面白い。


 人は変わる生き物だ。

 それは良い方と悪い方、どちらに転ぶかもわからない。


 僕はきっと、良い方では無いだろう。

 でも、篠宮は――好転するだろう。そんな楽観的な予感がしていた。

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