伊豆、ちっちゃいインド説

 以下は私の所属する阪大カレー愛好会の会誌『基礎・カレー探究』が編纂された際に、結びの言葉として投稿した文章です。


 * * *


伊豆、ちっちゃいインド説


 伊豆即印度。


 この考えに至ったとき、私の牽強付会の癖も極まってきたと感じたのが正直なところである。


 しかし、我々のようなカレーを愛する者―常時、脳のリソースの数%をカレーについて考えることに割いている者―であれば、このような考えに至ることはむしろ自然なのかもしれない。


 伊豆はちっちゃいインドである!これは信じていいことだ。


 先日カレー愛好会の伊豆旅行に参加した際、私は旅のしおりに一節の駄文を寄稿した。そこで私は太古の伊豆は日本列島とは独立して存在した島であったことを挙げ、その異質性が伊豆を魅力ある地にしているのだと述べた。


 白状すれば、この文章はしおりの締め切りに追われてテキトーに書いたもので、伊豆が元々は島だった、ということ以外は全て出鱈目を書き連ねたものであった。


 さて、伊豆についてテキトーこいた私であったが、伊豆に得も言われぬ魅力を感じていたことは事実であった。


 私は伊豆旅行で伊豆の魅力を再確認したが、なぜ伊豆に魅力を感じるのか、それを的確に言語化することはできずにいた。しかし最近になって伊豆半島とインドの成立にある種の相似があることに気付き、疑問が氷解したのである。


 その相似とは、伊豆半島もインド半島―あえて亜大陸ではなく半島と呼ぶ―もプレートテクトニクスによって成立したということだ。


 地球というのは数枚のプレートから成っており、そのプレートは常に移動している。伊豆はフィリピン海プレートの移動によって列島に、インドはインドプレートの移動によって大陸に突き刺さった。


 伊豆の衝突は箱根をはじめとする山々、一方インドの衝突はヒマラヤ山脈を形成させるに至った。


 私は伊豆半島に遥かなるインドを見ていた。


 伊豆への憧憬とは即ちインドへのそれであった。伊豆への愛情とは即ちインドへの、ひいてはカレーへの愛なのである。伊豆に向き合うことはカレーの深淵を探求する上で避けては通れぬ課題であると気付いた。今後もカレー研究と並行して伊豆についても思案していく所存である。



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