16.結果の欠片
「いやー、朝風呂って最高だね!」
火照った頬を手で扇ぎながら廊下を歩いていたら、部屋から出てきたランディに
「おっはよー」
「……はよ。朝から元気だな」
そう言うランディはちょっと呆れ気味。何故だろう。
「お前、聖堂の神像に悪戯しただろ?」
「な、……ナンノコトカナー?」
「誤魔化し下手すぎか」
何故バレているのだ!?
ランディに腕を掴まれて連行された。
「どこに連れていくつもりだ!? きゃー、ゆうかいだー」
「裏声の棒読みやめろ。……マトリックスさんのとこだよ」
まさか朝一の説教? いやだー。罰金もいやだー。
***
「おや、愉快犯のお目覚めですね。おはようございます」
目が笑っていない笑みを浮かべるマトリックス。その背後には、紙で作った白髭をつけた神像が佇んでいた。真っ赤なポンチョがお似合いデスネ!
「弁明の機会を与えます。何故、こんなことを?」
目が怖いよぉ。
ランディの後ろから覗いていたら、ため息をついたランディに押し出された。
俺には壁が必要なのに!
「……おっはよぉ。そちらの神像はサンタクロース様ですね。相応しい装いで素晴らしいと思いますよ?」
「サンタクロースって誰ですか。貴女、神の御名前さえ覚えていないのですか? こちらはセントクロス様ですよ」
「ま、紛らわしぃ……」
憎々しいセントクロス像を睨む。
セントクロス像は、人で言うと二十代ほどの美青年の姿をしている。ギリシャ神話の登場人物のような服を纏った像だ。今は赤ポンチョだけど。
本来のセントクロスは、俺が出会った爺さんだ。美化し過ぎである。サンタクロース姿の方が、実物に近い。
だから、俺は夜中に装飾してやったのだ。これで世界の子どもたちにプレゼント配って回るくらいの慈悲の心が生まれたらいいのに。望みが叶う可能性が雀の涙ほどにもないのが残念で仕方ない。
「……どうせ、神は俺たちを救ってくれないじゃないか」
「浄化師ルイ。信仰は民の心の支えです。貴女がそのようなことを口にしてはならない。神は全てをお見守りくださっています」
「……」
唇を引き結ぶ。
見守っているから何なのだ。救いを
「……神像への悪戯に対し罰を与えます」
「え、マトリックスさん?」
ランディが驚きの声を上げる。俺は無言でマトリックスを見据えた。今回のことを謝るつもりはない。
「浄化師ルイは一時職務停止処分とします」
「……え?」
「ああ、なるほど」
俺はポカンと口を開けた。ランディは何やら納得したように頷いている。
俺にも分かるように説明しろぉ!
「皆さん、神像の清掃を」
マトリックスが声を掛けるのと同時に、何処からかやって来た聖職服の男たちが、髭やポンチョを取っていった。ポンチョは綺麗に畳まれて、俺に渡される。
すっかり人がいなくなったところで、ようやくマトリックスが動きだした。じっと俺の顔を見つめてくる。
「……体調は、大丈夫そうですね」
「げ、元気いっぱいだぞ……」
なんだか変な雰囲気だ。俺、怒られてるんだよね?
「貴女、三日も目が覚めなかったんですよ? 治癒師に見せても、疲れているだけだとしか言われず。ランディなんか、寝る間も惜しんで貴女を見舞っていたんですからね?」
「ちょっ、それ言わないって、約束っ」
慌てるランディを振り返る。サッと目を逸らされた。
俺は三日も寝ていたのか。通りで体が痒いし動きにくいと思った。……たくさん、心配掛けたんだな。
「……心配かけた。ごめん」
「貴女が謝る必要はありません。謝らなければならないのは……私です」
深々と頭を下げられた。どうしたらいいのか分からない。
「限界を見極めるなんて偉そうなことを言って、貴女を危険にさらしました。私は、この街のことしか考えていなかった。貴女の命を損ないかねない行いをしてしまいました。心から申し訳なく思います」
「っ、頭上げてよ! マトリックスが謝る必要ないでしょ! 退避の判断に逆らったのは俺なんだから!」
「それでも、私は貴女を逃がすべきだった。これは、数少ない浄化師を管理する人間として、何をおいても全うしなければならない使命でもあったのです」
「……それなら、謝罪する相手は、聖教会の本部でしょ。俺にする必要はない」
マトリックスの肩を掴んで無理矢理顔を上げさせる。ようやく見えた表情は、泣きそうになっているのか笑おうとしているのか、俺にはよく分からなかった。
「本部にはありのままを報告して、処罰を待っているところですよ」
そんなのってないよ! って叫びたかった。あの時、あの場で、俺たちはただ自分ができることをしただけだった。一人でも多くの人を生かし、人々の暮らしを守るために。その恐怖も決意も何も知らない人間が、頑張った人間を処罰すると言うのか。
でも、俺がそう訴えることは、マトリックスの
「――まあ、幸いにして、一人も命を奪われる犠牲者が出なかったので。むしろお褒めの言葉をいただくかもしれません」
マトリックスが心底嬉しそうに言った。思考が止まる。
「……え?」
「貴女のおかげです。怪我人は多数出ました。建物の被害も大きかった。ですが、死者は一人もいなかったんです。街を代表して、御礼申し上げます。ありがとうございました」
誰も、死んでいない……?
再び頭を下げるマトリックスを前に、俺は呆然としていた。
グランノアタイガーの前に倒れた冒険者たちの姿は今でも目に焼き付いている。その誰もが、今この時も生きていると言うのか。
「貴女は暫くお休みです。体調をしっかり整えてください。街の西側地域は被害を受けましたが、その他の地域では今まで通りの生活を再開しています。貴女の好きな甘味処も開いているはずですよ」
マトリックスがそう言ったところで、聖職服の女性が近づいてきた。マトリックスに用があるらしい。立ち去る非礼を詫びて、視界からマトリックスの姿が消えた。
俺は無言で顔を上げた。俺の誓った決意を裏切って、涙が溢れそうだったから。でも、喜びの涙なら許してもいいのかな。
聖堂の上部に設えられた、美しい女神を
「……よかったぁ。神様、ありがとうございます……っ」
頭に手が置かれた。優しく撫でるように動かされる。堪えられなくて振り返った。今、顔を見られたくないから体当たりする。
「うおっ……勢いつけすぎじゃね?」
「うるさいぃ」
「はいはい」
「手、とめるな……」
「わがままか」
「うるさいぃ」
「語彙力なくなってるぞ」
「ばかあほ……」
「それ、普通に悪口だな?」
優しい口調で言うな。いつまで経っても顔上げられないだろうが。
「朝飯まだだろ? 食ったら何処か行くか?」
「うぅ、お腹空いたぁ」
「そりゃ良いことだ。何処のケーキ屋が美味いのか、誰かに聞いてから行くか」
「ぅんっ……」
でも、先に、行くべきところがある。
「ねぇ、ネコ様は……どうなった?」
穢れに憑かれ、暴れずにはいられなくなって。それでも人を傷つけたくなくて。あの子は衝動を壁にぶつけた。どれだけ攻撃されても、人の命を奪わないように抵抗し続けた。
俺を見つけて、救いを求めていた優しいあの子。
「ネコ様って……あれ猫なのか……」
「ネコ様だよ」
「なんであれを見て猫だと思ったんだ」
「だって、同じ目をしてたもん」
初めての出会いは街の門。寝そべって見下ろしてきた、好奇心で輝く瞳。全てが可愛らしくて、一瞬で魅了されてしまった。
俺を追いかけてきて、毎朝煮干しをねだり、幸せそうに頬張る姿。俺が振るはたきを必死で狙い飛びかかる姿。俺が結界石に力を籠めているのを、窓辺で寝そべりながら見ていたこともあった。どれも大切にしている記憶だ。
「色も同じでしょ。黒と灰の縞柄」
「大きさが違い過ぎだろ。お前がそう言ってたって、マトリックスさんに聞かされても信じられなかったんだけど」
「頭の柔軟性が足りないなぁ」
「お前は柔軟すぎだよなぁ」
呆れたように言う。
「……会いたいなぁ」
ポツリと呟いたら、頭を軽く叩かれた。ランディが離れていく。顔を見上げたら、切なげな笑みを向けられた。
「じゃあ、会いに行くか」
「……うん」
どんな姿になっていても、俺はあの子に会いたい。
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