第42話 冷える体も、シチューで温まる・中

 朝の仕込みが終わり薬研製薬の人たちが先に食事が終わると、りんさんと俺は長屋の人たちの食事を用意した。その間しのは、『特別な客』のための食材の買い出しに行ってくれた。


 シチューの具材は、ヒラタケと椎茸、胡蘿蔔にんじんと 馬鈴薯じゃがいも、玉葱、鶏肉……青い野菜が欲しいな。本来ならブロッコリーなんて入れたいところだけど、今の時代にはない。干し青豆でいいか。事前に聞いていたので、昨日鶏を買って骨を綺麗にして出汁を取っていた。蕗谷亭にはブイヨンがないからね。今日の客は、薬研氏と客三人の合計四人だ。コスト的に、鶏がらブイヨンを作る方が安く上がる。ワインはないから、甘口の日本酒。薄力メリケン粉とバタと牛乳。これだけ揃えば、明治時代の日本でもクリームシチューは簡単に出来るんだ。


 俺は湯を沸かして、乱切りにした馬鈴薯と胡蘿蔔、干し青豆を下茹でした。電子レンジがないから、茹でるしかない。先に火を通した方が、型崩れが少なく火の通りが早くなる。椎茸とヒラタケと鶏肉は、食べやすいように一口サイズに切る。玉葱は、薄めのくし切りだ。

 空いている竈に鍋を置き、熱するとバタと塩を入れて玉葱を炒める。火を通した玉葱は甘くていい香りがする。

「いい匂いだな。食堂の昼定食かい?」

 買い物に行ったしのと、何故か一緒に蕗谷亭に来た遠野さんが口を挟んだ。遠野さんは口数が少なくて、少し意地悪な物言いをする確か十六歳の少年だ。薬研製薬に入って、まだ日が浅いそうだ。

「別に入った注文なんですよ。洋食が食べたいと言われたんです」

「ふぅん」

 遠野さんは朝飯をゆっくり食べていたが、もう仕事が始まる時間なんじゃないのかな?

「遠野さん、今日は仕事休みなんですか?」

「兄ちゃん、遠野さん今日はお仕事休みなんだって。あたしの買い物、一緒に来てくれて荷物持ってくれたの」

 俺たちの会話に、しのが入ってきた。牛乳やら馬鈴薯やら、確かにしのには重いかもしれないと思っていた買い物だ。だけど、まさかの遠野さんが手伝ってくれたなんて意外だ。

「すみません、遠野さん。しのを助けてくれて、ありがとうございます」

「……別に。暇だったからな。それより、それは何なんだ?」

 遠野さんは、どこか気まずそうにそう言ってお茶を飲んだ。案外、照れ屋さんなんだな。

「クリームシチューです。海外のシチュー料理を手本に、牛乳で煮込んだ汁物なんです」

 実は、クリームシチューは日本が起源だ。戦後すぐに流行ったらしいんだけど、それまでは仏蘭西ふらんすのシチューをアレンジしたものを食べていた。ま、これも時代を先取りした料理なんだけど、『特別なお客』は舌が肥えているだろう。きっと気に入ってくれるはずだ。

「近くで見ていてもいいか?」

「え? ええ、どうぞ」

 遠野さんはお茶が入った湯飲みを持って、台所の方まで来た。料理に興味があるのかな? 俺が返事をすると、じっと鍋を見ていた。


 鍋の玉葱がしんなりしてくると、そこに鶏肉を入れて色が変わるまで炒める。色が変わってきたら、茹でた馬鈴薯と胡蘿蔔、キノコ類も入れてさらに炒め混ぜる。青豆は、最後に彩りで入れる。そして弱火に竈のまきを調整して、メリケン粉を入れる。ここで野菜や鶏肉から出た水分や油分を吸うから、粉がダマにならないように気をつけないといけない。そうして鶏がらスープと日本酒を入れて沸騰するまで煮る。アルコール分を飛ばして二十分ほど煮たら牛乳を入れて再び煮込み、野菜や鶏肉が柔らかくなったのを確認して、最後に胡椒で味を調えた。

「恭ちゃん、味見させとくれ!」

 りんさんが、お椀を四つ持ってきた。味見がしたいはずと思っていたので、多めに作っている。俺は笑いながらもそれに入れてあげた。

「はい、遠野さんも味見!」

 りんさんからお椀を受け取ったしのは、遠野さんに差し出した。

「――俺も食っていいのか?」

 お椀を差し出された遠野さんは、驚いた顔になった。しのから、ゆっくり俺に視線を移した。

「ええ、どうぞ。ただ、内緒で食べて下さいね。皆さん食べたいって言ったら、無くなっちゃうから」

「なら、遠慮なく……」

 竈や座敷に火があっても、底冷えがする雪の日だ。シチューの温かさは、お腹から体を温めてくれる。

「美味しい! 優しい味だね、牛乳は苦手だけどこれなら大歓迎だよ!」

「え、りんさん牛乳苦手だったの?」

 俺は、意外な事を知った。まあ、この時代まだ馴染みないよな。

「……うん、美味い。鶏肉の臭みもないし初めて食べる味だけど、懐かしい感じがして……美味い」

 遠野さんは、熱々のシチューに気をつけながらゆっくり飲むとほっとした顔になり、小さくそう呟いた。実は、クリームシチューは現代の叔父さんの『アジサイ亭』の人気メニューなんだ。お客さんは、冬になると大半が注文する。『どこか懐かしい味』、と評判だ。店が出来た頃から、結構研究して出来た味なんだって。うまみ成分が増すから、本当は干し椎茸を使うんだ。


 あれ? 『アジサイ亭』が出来たのは、大正のはず。出来た頃には、クリームシチューはまだないんじゃないか?


「本当だ、美味しい。あたしこれ好き! 牛乳が優しくて、バタが味を濃くしている。野菜にこの味が染みて、本当に美味しいねぇ。体も温まる!」

 俺が考え込んでいる横で猫舌のしのが、ふぅふぅと冷ましてからようやくシチューを口にした。口に入れた途端、しのの顔が輝いた。俺には、分かる。しのがこの顔をするときは、本当に美味しんだって。

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