つれづれなるままに
@happy-us
第1話 生きること
幼稚なことと思うが、自分の存在意義について考えてしまう。
自分はなぜ生きているのか、どうして生まれたのかなんて答えはないのに。
社会に出て働いて、何をなすでもなくただ生きている。そんな人生に意味なんてあるのか。
きっと無いのだろう。
だから心を壊すのだ。
職場で働いて、怒られて、認められず、承認欲求を満たされずに自己否定を繰り返す。自分はダメなやつなのだと。自分がダメなやつだからいけないのだと。
家に帰り、気が緩んだ瞬間に叫んでしまう。「自分なんて死んでしまえ!」と。
そんな状態を何年も続けていると、正常な状態が分からなくなる。自己否定が”普通”になってしまう。
落ち着いて考えれば、そんな状態が良いわけがないことはすぐにわかる。どうにかして変えなければ。どうしたらいいのだろう。そんなことばかり考えるようになる。
そんなときは場所を変えるのがよいだろう。地理的に変えるのもよいが、立場的に変えるのがよい。職場を変えたり、新しい立場を得たりする。今あるものを手放したり、新しいことを始めるのは怖いもの。しかし、何かを変えなければ今のままが続くだろう。
私は精神学者でもファイナンシャルプランナーでもない。ただ、人生に悩んでいる人間でしかない。しかし、一歩踏み出し、職場を変えた。すると自己否定や家で叫び声をあげることが格段に減り、心は以前に比べてだいぶ穏やかになった。だがやはり、金銭面での不安はついてくる。十分な報酬があり、心穏やかになれる環境ができれば、自己否定は落ち着き、存在意義について考える時間も減るだろう。
心穏やかになった後にも存在意義について考えることがあるなら、それは無駄だろう。私は人間に存在意義なんてないと考えている。極論、人間がいなくても世界は存続するのだから。
故に一人一人にも与えられた存在意義なんてなく、あるのは自分がどう生きたいかだけだと考えている。もし、存在意義が必要ならば、自分で決めるしかない。何を成せば自分が満足して死ねるか考え、もし見つかったならそれに突き進むだけ。
もし、決めたことを成し遂げられないとしても、それに向けた活動は、それぞれの人生にとって最も活力の沸き立つ日々であろう。夢中になって進む日々はきっと楽しいだろう。もちろん苦しいこともあるだろうが、やり遂げようと進み続けられる。
子供のころ夢中になったものはないだろうか? スポーツ、ゲーム、マンガ、工作、ダンスなどなど多くの人は一つくらいあったと思う。その夢中のなかで息切れ、悩み、眠気、ケガなど苦しく思ったことがあっただろう。それでもきっと止めなかった。それ自体が楽しいことであり手放しがたいものであったから。
大人になった忘れてしまいがちな楽く思えること。夢中になれること。それに突き進み続けられたならきっと、後悔の少ない充実した人生と死を迎えられるだろう。
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