黒幕



 イチさんはずっと、現れた時のままの場所に立っている。


 そこから一歩たりと動いたりしていない……ただ、右手を前にかざしただけだ。


 それだけ。


 たったそれだけの動作で――充分だった。



「【ゼロ】」



 彼がそう口にした、数秒後。


 ヤジさんの右腕が――


 何の音もなく、何の光もなく、何の歪みもなく、何の因果もなく、何の理屈もなく、何の過程もなく――ただ、消えた。


 初めからそこに右腕なんて存在していなかったかのように。


 自然に。

 不条理に。

 不合理に。


 右肩から先が消滅するという、結果だけが残った。



「……」



 自分のパーツが欠けたことを認識したヤジさんは、しかし声をあげることも動くこともしなかった。いや、できなかった。


 その、暴力と呼ぶにはあまりにも静かな攻撃に、脳が追いついていないのだろう。



「……馬鹿な、お前、そんなことが――」



「帰ってよ、ヤジ。俺に



 イチさんは淡々と呟く。


 その声はあまりにも平坦で、何の感情も感じさせなかった。



「……こんな、一瞬で俺を殺せるふざけたスキルがあるのに、見逃すってのか」



「さっき言っただろ? 俺はヤジのことも好きなんだ。だから殺させないでくれ」



 殺させないでくれ、と頼む彼の姿は。


 ほんの少しだけ――悲しそうに見えた。



「……わかった、ここは引く。引かせてもらう。お前のその温い考えに救われたと思って、尻尾を巻いて逃げさせてもらうさ」



 ヤジさんは逆上することなく、私たちに背を向けた。残った左手をひらひらと振って別れを示したのは、彼なりの皮肉なのだろうか。



「あ、そうそう。女」



「……何ですか」



「俺にお前を攫うよう依頼した男について、教えてやろうと思ってな。お前に優しくしときゃ、イチの機嫌もよくなるだろうしよ」



 こちらに振り返ることなく、ヤジさんは続ける。



「そいつは自分のことを、『使』なんて名乗ってやがったぜ。何でも、お前の不死身の肉体に、えらく興味があるんだとよ」



「『変革の魔法使い』……?」



 その謎の人物に疑問を抱くのと同時に、やっぱり彼を雇ったのはお父さんではなかったのだと腑に落ちた。


 ……私、狙われ過ぎじゃない? この体質が露見すれば少しは世間をお騒がせすると思っていたけれど、どうやら裏社会で大人気のようである。



「……あの、『変革の魔法使い』という方は、どうして私が不死身だって知っていたんでしょうか。一応、家族しか知らない秘密なんですけど」



 私が投げかけた疑問に対し、ヤジさんは当たり前の返答をくれた。



「そんなことまでは知らねえが……家族しか知らない秘密なら、家族が漏らしたんだろ」



 考えてみれば当然で、考えてみるまでもなくわかり切ったことである。私は一七年間、ほとんど屋敷から出ず他人と関わってこなかった。そんな女の情報が漏れるのは、近しい間柄の人間からとしか思えない。



……」



 パズルがつながった気がした。まだ抜けているピースもあるけれど、どんな絵が描かれているのかまでは理解できた。


 不死身の娘の存在が世間にバレるのを嫌っていたあの人が、突然領主の息子との縁談話を持ってきた……それは十中八九、お金が入り用だったからである。領主の親族になれば事業も潤うことは、想像に難くない。


 けれど、もっと手っ取り早い話が舞い込んできたのだろう――恐らく、不死身の娘と大金を交換できるチャンスが。


「変革の魔法使い」。


 不死身に興味を持つ謎の魔法使いが、お父さんと接触した……どうして接触したのかまでは情報が欠けていてわからないが、とにかくそこで、あの人は私を売ったのだ。


 だがタイミングの悪いことに、私は元婚約者や殺し屋と一悶着あって家に帰らなかった……このままではまずいと、急遽裏社会の人間に人攫いを依頼したのだろう。


 同時に「変革の魔法使い」も独自に私を探し始め、結果こうして多くの人から狙われるようになってしまったのでした、チャンチャン。



「俺が言えた義理じゃねえが、まあ精々気を付けるこったな」



 最後にそれだけ言い残して、ヤジさんは姿を消した。


 後に残ったのは、滅茶苦茶になった森と、殺し屋たち。



「……レ、レイ」



 不意に名前を呼ばれて目をやると――ボロボロになったニトイくんが、薄く、しかし確かに目を開けていた。



「ニトイくん! 大丈夫、生きてる?」



「ここが天国じゃなきゃね……君は死なないらしいから、それはないか……」



 心配を掛けまいとしてか、彼はニヒルに笑って軽口を叩く。


 その隣で、倒れているマナカさんの身体が小さく動いた。



「くっ……全く、我ながら格好悪かったですね……」



「ほんとだよ、マナカ。僕たち、良いとこなかったじゃん……」



 二人は地面に伏したまま、顔を見合わせて笑い合う。


 そんな光景を見て、私はほっと胸を撫で下ろした……よかった、二人とも生きていてくれて――



「ニトイーーーーーーーー‼ マナカーーーーーーーーーー‼」



 イチさんがダイブした。


 その細長い手足をバッと広げて、二人に覆い被さるように飛び掛かる。



「ぐぇ⁉ イチ、死ぬ死ぬ死ぬ! イチがとどめ差しちゃうよ!」



「イ、イチ……苦しいのでどいてくれると助かるんですが……」



 ニトイくんもマナカさんも苦しそうだけれど、でもその顔は、どこか楽しそうで。


 一番笑っているのは――イチさんだった。



「生きててよかったーーーーーー‼」



 彼にしては珍しく大声で感情をあらわにするのは、きっと二人のことを本当に大事に思っているからなのだろう。


 二人のことだけじゃない……ヤジさんに対しても私に対しても、イチさんは優しい。



「レイちゃんもよかったーーーーーー‼」



「え、ええっ⁉」



 一通りニトイくんとマナカさんに頬ずりした彼は、今度は私の元へ突撃してくる。いきなりのハグに驚いてしまったが――イチさんの腕の中は、とても暖かくて。


 とても、居心地がよかった。



「……」



 この心優しい青年は殺し屋で、人殺しだけれど。


 その優しさを心地いいと感じてしまって。


 もう少しだけ――このままでいたいと思ってしまうのは。


 罪なのだろうか。


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