第9話 彼女いるんですか?
「先輩って、彼女いるんですか?」
簡素な仕切りが設けられただけの打ち合わせスペースでの一コマ。
大路さんとは、この1週間付きっ切りでレクチャーをすることになっている。仕事の段取りや、仕事を受注した際の各自の役割分担など細かい内容を教えていき、座学が終わったらOJTとして一緒に得意先を訪問する流れだ。
ちらりと一瞥すると、大路さんの目がぐるぐると回っていた。
……ように思えた。
まあ確かに、一方的「これはこうで~」「これはこうして~」「あ! そこはこうやって~」なんて、初見の人間からしてみれば念仏と変わらない。それに、お昼休み明けということも重なり、彼女の集中力をぐんぐん奪っていく。
大路さんはこちらが伝える業務内容に飽きたかのように、頬杖をついた。
「ちょっと、休憩しようか」
それを合図に、二人で休憩スペースへ向かう。缶コーヒーをごちそうすると、ありがとうございまーすと、にやにやしがらこちらの顔を覗き込まれた。
そして、冒頭のセリフに繋がるわけだ。
「先輩って、彼女いるんですか?」
彼女――ね。
「残念ながらいないよ」
さらりとコーヒーを胃に流し込む。
「そうなんですか」大路さんはずずずとアイスコーヒーを飲み干し、じゃあと一呼吸置いて、「社内で探してるんですか?」
この問いかけに軽くむせてしまう。なぜかわからないが、彼女――飛田さんの顔が瞬時に浮かんでしまったからだ。しかも、あのエロい時の飛田さんの横顔を。
「いやいや、うちの会社を見てみなよ。周りはおじさんだらけだし、どうやって社内恋愛なんかするのよ。それにね、社内でお付き合いすると大変だよ」
「何でですか?」
「そりゃあ……色々とあるでしょ」
「色々お?」
うっとたじろぎ、「色々だよ」とオウム返し。「うまくいったらいいけど、うまくいかなかったら最悪でしょ。嫌でもずっと顔を突き合わせなきゃならないし、仕事辞めるわけにはいかない。それこそ、セクハラになっちゃうかもしれないし、下手すれば男は飛ばされちゃうからね。まあ、リスキーってことよ」
「ふーん」
じっと見つめられた。
なにそれ。
ふーんって。
しかも、にやにやしてるし。
「先輩って、お酒すきですか?」
「まあ、好きだよ」
「じゃあ、今度飲みにいきましょうよ。あたしの歓迎会やってください」
「歓迎会は来週、部署の皆でやるよ。ちなみに、俺が幹事。大路さん、食べたいものある?って、もうお店の予約しちゃったし、今さら変更できないんだけど……」
大路さんは苦笑する。
「じゃあ、あたしに聞いてもしょうがないじゃないですか」
「そ、そうね」
「では、二次会はあたしの好きなところでいいですか? ばつとして、先輩のゴチですよ。なんちゃって」
「はいはい」
一体全体、なんの罪が俺にあるのか不明だが、ここは大人しく従っておくしかない。これも後輩指導なのか。
ふっふっふっとしたり顔の大路さんと、なぜか飛田さんの顔が重なった。
そういえば、飛田さんも飲み会ってやってるのかな……?
そりゃあ、あるか。
だって偉い人だもんな。役員だぜ、役員。しかも、いきなりヘッドハンティングでご就任。主任になったばかりの俺とは天と地ほどの差だよ。仕事っていうのは、とどのつまり「人」と「人」だ。いくら、商品を作ったり、売ったり、伝票起こしたり、そんなモノや書類が行き交っても、結局のところ人が全てを動かしていく。たぶん、上に行けば行くほど、それは顕著なんだろうな。色々な人を接待して、その逆に接待されて。それこそ、毎日、誰かと飲むべく飛び回っているのかも。
DOK(デイリーオブカヤ)では、そんな情報は出ない。伝えられるのは、彼女の日常の一コマである。飛田さんの仕事内容や、深いプライベートな部分は当然、オープンにはされない。
普段、業務の接点がないからこそ、なおさら気になってしまった。
そういえば、今日、忙しくてDOKチェックしてなかった。
どれどれと、社有携帯からアプリを開く。
「こんにちは。春は異動のシーズンです。新しい出会いがあるということは、当然、歓迎会もセットですよね。各々の部署で催されていると思いますが、くれぐれも飲みすぎには注意してください。ちなみに、お酒の無理強いはいけませんよ。あくまで、お酒は楽しむものであり、酔っぱらうための道具でもありません。自分のペースで飲みたい方もいますので。今日は、ついついお堅い感じになりましたが、皆さん素敵なアルコールライフをお楽しみください」
飛田さん……ちょい飲みしていることは内緒なのかな。
DOKで触れたことないかも。
それにしても、こういう忠告めいたことも助かるよな。うちは古い体質だから、入社した時なんて、それこそ朝まで飲まされたし、何度吐いたかわからない。そんな悪夢もあり、飲み会から、ちょい飲み派になったんだよな、おれ。
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