第2話 赤ん坊の命を繋ぐ

 僕には元気に泣いているように見えたが、赤ん坊は医者曰くかなり弱った状態であるとのことだった。

「傷に効く薬はすぐ作れます。しかし赤ん坊がちゃんと栄養をとれないと、結局は……」

 医者は言葉をにごしたが、きっと死んでしまうということだろう。

「僕はなにをすればいいですか」

「とにかく栄養のあるものを食べさせないといけません。本当は母乳が一番手っ取り早いですが、最近町で子どもを産んだ人はいないんですよね」

「ヒトの赤ん坊って何が食べられるの?」

「ヒトは乳が出ない時のために、乳を粉状にしたものを水に溶いて飲ませると聞いたことがあります」

「動物の乳ではダメなのかしら。果汁は?」

「うーん……とにかく一度与えてみましょうか」

「ヒトの作ったものならゴミ山にもしかしたらあるかもしれない。僕ちょっとそれを探してくるから、ソフィーは果汁とかをお願い」

「分かったわ」

 ソフィーと言葉を交わして、僕はゴミ山へと走った。門のところでガラーに「どうせ助からないぞ」という声を浴びせられたが、今はそんなことはどうでもよかった。助かるかどうか、今からの僕たちの行動にかかっているんだ。

 僕はヒトの文字は読めないが、きっとなにかヒントがあるはずだ。絵か何かが書いてあればいいが。そんなことを考えながら積み重なったゴミをかき分けていく。

 探し始めてからどれだけ時間がたっただろうか。最初頭の上にあった太陽はすっかり見えなくなり、僕は月明かりの中で「粉ミルク」というのものを探し続けた。すると、ヒトの赤ん坊の絵が描いてある袋がでてきた。中身は入っていなかったが、もしかしたら子どものいる家がまとめて捨てたゴミがここに固まってあるかもしれない。集中的にそこを掘り進めると、これまた赤ん坊の絵が描かれた金属製の丸い箱が出てきた。蓋を開けると、中には白い粉が少量入っているのが見えた。ペロリと舐めてみると、ほのかに乳の味がした。これかもしれない。村で唯一ヒトの文字が読める長老に確かめてもらおうと思って、箱を持って村に急いだ。

 医院に戻ると、赤ん坊は青い顔をして泣いていた。なぜかソフィーも赤ん坊の隣で泣きはらした顔をしている。

「ソフィー、どうしたの」

「イグニス……赤ちゃんが動物の乳も果汁も吐いちゃうのよ」

 どうしたらいいのか分からないと言って、ソフィーは涙を流した。しかし彼女は僕が拾ってきたものを見て、目の色を変えた。

「もしかして、それがヒトの粉ミルク?」

「分からない。僕はヒトの文字が読めないから」

「私、簡単な文字なら分かるわ……うん、ミルクって書いてある」

「ソフィーはすごいですね」

 僕が感嘆を示すより前に、奥から出てきた医師がソフィーの知識に感心した。

「さあ、早く水で溶いてみましょう」

「僕、井戸から水を汲んできます」

「じゃあ私は器を用意するわね」

 水がどれだけ必要か分からなかったので、とにかく僕は大量の水を持って医師の家に戻った。僕が水を汲んでいる間に、医師が長老を呼んでくれたらしい。長老の指示で、水と粉を量り、慎重に混ぜる。

「できた?」

「うん、これなら飲めるかな」

「できましたか。飲ませるのにはこれを使いましょうね。動物でも竜人でも、赤ん坊は吸いついて食べ物を摂取するものですから」

 そう言って医師が出してきたのは、柔らかい吸い口のついたガラス製の瓶だった。母親の乳が出ない場合に果汁等を飲ませるために使う瓶らしい。先ほどまで動物の乳や果汁を飲ませるのにも使っていたとのことで、一応赤ん坊は吸い付く様子は見せたとのことだった。

 瓶にできた乳状のものを入れて、吸い口を赤ん坊の口に含ませる。すると、赤ん坊は力なく吸い付いた。何口か飲み込んだが、すぐに青い顔をして吐き出した。

「先生、これもダメです」

 ソフィーはまた泣き出してしまった。医師も頭を抱えている。

「飲み込んでいるのに、どうして受けつけないのでしょうか」

「これでダメなら、次はどうすれば……」

 僕たちが悩んでいると、長老が難しい顔をして重々しく口を開いた。

「昔、乳を受けつけない子どもには村の外になっている緑色の果実から採れる果汁を与えていたと聞いたことがある。この赤ん坊も、それならば飲めるかもしれない」

「村の外? 裏にある森のことでしょうか」

「恐らくそうだろう。わしが若い頃、薪を採りに出入りしていた際にそれらしいものを見たことがあるでな」

「裏の森は、基本的には入ってはいけないことになっているのでは?」

「昔はそうではなかったのだ。特に危ない動物もおりはせんで、今回は許可しよう」

「じゃあ早く行かないと!」

 ソフィーの言葉に、長老は小さく首を横に振った。どうして、という感情が伝わったのだろう。長老は小さく言葉をつむぐ。

「ヒトの子どものことも心配ではあるが、わしは町の子であるおぬしたちのことも心配なのだ。夜ももう遅い。月も時期に沈む。この暗い中で森に入ることを容認することはできかねる」

「幸い子どもは発見も早かったですし、恐らくまだ大丈夫です。今日は休んで、明日日が昇ってから森に入った方がいいでしょう」

 医師の言葉に、ソフィーと僕は顔を見合わせた。赤ん坊のことは心配ではあったが、長老の言葉ももっともである。医師の言葉を信用して、僕たちはいったん休むことにした。

 夜が明けて早朝。僕とソフィーは町の裏にある森へ初めて足を踏み入れた。立ち入りを禁止されている割に、森は驚くほどに平穏だった。

「なんで立ち入りが禁止されているんだろうね。ゴミ山の方がよっぽど危ない気もするけど」

「資源を守るためなんじゃない? ゴミ山のゴミからでも有用なものは十分拾えるけど、何かあったときにはやっぱり自然のものに頼らないといけないからね」

 ソフィーはやっぱり何でも知っている。僕はそんなこと思いつきもしなかった。ソフィーに感心しながら足を進めていると、隣を歩いていた彼女が突然大きな声を出した。

「ねえ、あれじゃない?」

「え? あっ、確かに緑色の果実だよ!」

 木になっていたのは、僕たちが見たこともない果実だった。思っていたよりも簡単に見つかった。赤ん坊の栄養源になるくらい有用ならば、村でも育てればいいのに。そんなことを考えながら、いくつか採って村に戻る。

 再び医院に戻り、扉を開ける。

「先生、長老。採ってきましたが、この果実でしょうか」

「ああ、まさしくそれだ」

 長老の言葉に、ソフィーはパッと表情を明るくした。そして勝手知ったるとばかりに医院の台所に入っていった。

「ソフィーはいいお母さんになれると思いますよ」

 台所に立つソフィーを、医師は穏やかな笑みで見つめる。なぜか少しムッとしてしまった。そんな僕を見て、長老は小さく笑った。

「できた! これも昨日の瓶に入れればいいの?」

「ええ、吸い付く力はあるようですのできっと大丈夫です」

 果汁を瓶に入れ、昨日と同じように赤ん坊の口に吸い口を含ませる。すると、ようやく赤ん坊は果汁を飲み込んでくれた。

「やった! 飲み込んだ!」

「吐き出さない? 大丈夫そう?」

 ソフィーの心配をよそに、赤ん坊は果汁を全て飲んだ。こうしてようやく僕たちは赤ん坊の命をつなぐことができたのだった。

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