11 蜂蜜入りのホットミルク

 氷湖での冒険から二日後。

 やっと機嫌のなおったトッティ。

 机の上には氷の魔女シェレスティアから貰った宝石と、この近辺の地図、筆記用具、本の山だ。


 この二日というもの、彼女はほとんど同じ姿勢で、ときどき宝石ごしにシェレスティアと話しながら(通話機能があるようなのだ)、何かをしきりに調べているようだった。

 その調べものがついに終わったみたいだ。


 ……トッティは努力家だと思う。

 この世界には祝福ギフトという明確な才能の指針があるとしても、彼女は大魔女と呼ばれるだけの普通じゃない努力と研鑽けんさんをしているのだ。

 普段は大食いの彼女だが、研究や調べもののときにはついつい寝食しんしょくを忘れがちになる。魔法使いらしいというべきなんだろうか。

 僕にできることといえば、そんな彼女にいつもどおりごはんを作ったり、お茶を出したり……そんな小さなことくらいだ。

 彼女の役に立てているのかどうか……。

 ともあれ。


「お待たせ、カイ」

「トッティ。何を調べてたの? 何か、わかったのか?」

「ええ。ひとまず地図を見てちょうだい。次の私たちの冒険の行先が決まったから」


 なるほど?

 僕は彼女の手元の地図をのぞき込む。

 ニーガの街、近くに氷湖。そしてトッティの指は街の東側を示す。“しろがね雪原”と書いてある。

 ええと。街の東側の雪原といえば、僕が元の世界からきたところのはずだ。

 トッティを見やると、彼女はうなずく。


「そう、あなたが最初に落ちてきたところがしろがね雪原よ」

「だよね。あの雪原に何かあるのか?」

「シェレスティアに占いを頼んだの。私たちの行く先はいかに? ってね」

「トッティ、やっぱり占いは得意じゃないの?」

「うるさいわね! できないわけじゃないのよ、私にだってあんまり得意じゃないことくらいあるわよ!」

「いや、別に文句があるわけでは……。それでほら本題は?」


 トッティはひとつ咳払いをして、僕に宝石を返してよこしつつ、続ける。


「シェレスティアの占いによると、“東”、“氷晶樹の群れの中に導きあり”、“踏み出す勇気ある者だけに道が開かれる”ということみたいね。彼女の占いは確かだと思うわ」

「ははあ、それでしろがね雪原に?」

「あの雪原には氷晶樹の森も広がっているからね。まあ広さといったら途方もないわけだから、また絞り込まないといけないし、問題は山積みだけど」

「踏み出す勇気ある者、か」

「あなたも私も、勇気だけはバッチリでしょ」


 ウィンクされる。

 トッティは勇気だけじゃないと思うけど……。

 氷湖の城の鍋事件を思い出すと、むちゃをしたことがなんだか恥ずかしくなって、黙ってほほをかくしかなくなるのだった……。


「そういえば、僕たちの行く先って言ってたけど」


 ええ、と答えながらトッティはあくびをする。目の下にはクマができている。

 ここ二日はかなりのペースで調べものをしていたから無理もない。


「もしかして、元の世界への帰り方を調べてくれているのか?」

「……そりゃそうよ」


 目をこすりながら、トッティは言う。

 氷湖に突然向かったのも。この強行軍も。この先の冒険も。

 そのためだっていうのか。


「私はね、素敵な料理番ができて、喜んでるわよ? でもあなたには、本当は帰りたい元の世界があるわけでしょう。たぶん、家族もいる」

「……」

「いつまでもここにいて、なんて、いうわけにもいかないじゃない」


 心なしか眉根を下げて、彼女が笑った。

 僕は……。

 この時、どんな顔をしていただろうか。

 ちゃんと彼女に笑い返せていた自信はなかった。



 しばらくすると外でまた雪が降り出したようだ。

 僕は、小鍋をあたためる。

 小鍋にはミルクが入っていて、それが煮立たないような火加減を保ちながらときどきゆっくりかき混ぜてやる。

 あたたまったら、カップに注いで蜂蜜はちみつを少し入れる。スプーンでよく混ぜたらホットミルクの出来上がりだ。


「トッティ。飲みな?」

「……ん、ありがとう」


 暖炉の火を見つめている彼女にホットミルクを手渡す。

 彼女は受け取ったカップを両手で持ち、ミルクをすするとほうっと一息ついた。

 そこで僕は話を切り出す。


「あのさ、トッティ」

「気をつかう必要はないからね?」

「うん。それはわかってるよ。あのさ、ありがとう」

「改まってお礼を言われるとなんだかムズムズするわね」

「……うん。でも見ず知らずの、何も持ってない僕に親身になってくれて。住むところも服も仕事も、帰り方まで一緒に考えてくれているわけだからさ」


 だから……。


「僕は、確かに元の世界には帰りたい。でもトッティの料理番に、仲間になれて嬉しいのも本当だよ。仕事にやりがいも感じる。恩に感じてるってだけじゃない」

「……ええ」

「ありがとうっていうだけじゃ伝えきれない分は、ちゃんと行動で伝えられればと思うから。そうする」

「……カイ。ホットミルク、おいしいわ。あたたかくて、甘くて」

「うん。良かった」


 一拍をおいて、彼女は口を開く。


「ねえ……私はこの世界にたった独りだった。私の師匠に拾われるまでね」

「……」

「だから、この世界に放り出されたあなたを助けた時……。私は、あの時ひとりぼっちだった、自分を助けたような気持ちだったの」


 彼女はまっすぐ僕の目を見つめて、それからふっと笑った。


「でもね、今はそれだけじゃないわよ。一緒にいてまだ半月にも満たないけど、あなたは私に色んなものをもたらしてくれたし、私だってきっと色んなものをあげられてると思ってる」

「うん。そうだよ」

「あなたは私の料理番で、仲間。私はあなたのために全力を尽くすわ。あなたが元の世界に帰れるその時まで。……よろしくね? カイ」

「うん、よろしくね、トッティ」


 この世界風のあいさつということで、両手を広げての抱擁ハグをしたけど、抱きしめたトッティは思っていたよりずっと華奢きゃしゃで。

 なんだか胸が苦しくなるような気がして、ソワソワと離れてしまった。……。


「ミルク、おいしかったわ。ありがとう。おやすみね」

「また明日だな、おやすみ」


 夜半になって、吹雪の音は強まっている。

 この晩、僕はなかなか寝付けなかった。

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