幕章① -シン・氷室家の人々-

第87話 幸せの合言葉

 翌日、目が覚めると朝の五時。

 眠気はあまりないものの、外はまだ暗く、さすがに誠君の家に行けるような時間では無かった。



「…………夢じゃ、無いんだよね」



 独り言を呟きながら、幸せを噛みしめるように枕を抱きしめると、体の奥底が疼くように熱を持ち始めてるのが分かった。



「……早く、会いたいな」 

 


 ほんの数か月で変わってしまった二人の距離。

 でも、時間なんて関係ない。

 

 私の想いの強さと、誠君の芯の強さ。それがあるなら、後はお互いの気持ちが向くだけで全てがうまくいく。

 正に、運命の人という例えが相応しいほどに。


 

「ずっと、待ってたんだもん。夏休みくらいは、いいよね?」



 昨日、自分が寝入ってしまってから送られたらしいスケジュール調整のメッセージに、全部丸を付けていく。

 会えない日は、二日。友達と会うとコメントが足されたその部分にすら嫉妬してしまうことに自分でも呆れてしまった。

 我ながら本当に独占欲の強いことだと思う。



「………………どこに、行こうかな」

 


 海は行った、山も行った。

 でも、他に行きたい場所はたくさんある。

 いや、正直なところどこへ行ってもいい。私はただ、誠君と思い出を共有していきたいだけなのだから。



「……ずっと、埋まらないから」


 

 底なしの想い。

 埋め合わせるまで付き合ってくれると彼は言ってくれた。

 なら、私がそう思うことは一生ない。


 今はもう、そんな約束よりも、強いものになっているはずだけど、それでも。


 

「ふふっ。とりあえず、今日は早希ちゃんに報告だね」

 


 きっと、みんな祝福してくれる。

 早希ちゃんも、瑛里華さんも、誠君のお父さんも。

 ハル姉も、おばあちゃんも。

 茜ちゃんも、伊織ちゃんも。


 私にとって大事な人達は、みんな綺麗な心を持っているから。


 

「…………早く、大人にならないかな」



 それが、形だけなのはわかってる。

 でも、もっと、もっと。

 まるでわがままな子どものように、そんなことをただ求め続けてしまうのだ。











◆◆◆◆◆









 バスを降りると、誠君の家に歩いて向かう。

 迎えに来てくれるとは言っていたけど、さすがにそれは断った。

 

 すごく暑いし、それに、もう不安はないから。



「ふふっ。前は、緊張し過ぎて死んじゃいそうだったもんね」



 初めて彼の家に行った日。

 今振り返ると、どうしてあれほど思い詰めていたのかと思うほど、必死だった。

 絶対に。何があっても失敗したくないと、そう思っていたから。



「…………でも、仕方ないよ。あんなの、奇跡みたいなことだもん」



 私が抱え込んでいた、その深い闇は、呆気ないほど簡単に受け入れられてしまった。

 気持ち悪いとか、悪用してやろうとか、そんなことはぜんぜんなくて、ある意味何かの芸ができるとかそんな程度の軽さで。



「…………………………私でも、あんな家族が作れるのかな」



 ハル姉と、おばあちゃん。

 私の家族は、少しだけ周りと形が違ったから、昔からずっと憧れていた。

 

 お父さんがいて、お母さんがいて。そんな普通の幸せな家族に。



「……ううん、違う。私達なら、作れるんだ。きっと」



 一人でやる必要はない。何から何まで、二人で分かち合う。

 それなら――誠君と一緒になら、なんとかなる。


 

「もう、一人になることなんて、絶対ないんだから」


 

 気合を入れるように顔を上げると、以前見たことのある誠君の布団が、こちらを手招きするように、ゆらゆらと風で揺れているのが見えた。


 私は、思わずほほ笑むと、暑さなんかに負けていられないというように強く足を踏み出した。

 









◆◆◆◆◆








 チャイムを鳴らし、来訪を伝えるとしばらくして扉が少しだけ開かれた。



「……………………合言葉は?」

 


 あえて出された低い声。

 隙間からは焼けた肌が顔を覗かせていて、早希ちゃんが夏休みを堪能していたことが簡単にわかった。



「えーと、なんだろ。お土産、持ってきたよ?」


「ノンノン。はい、次」



 わかってないなーとでもいうように指が振られ、次の回答を急かされる。

 


「あっ!漫画見せて、とか?」


「ブッブー。そうじゃないんだよねぇ。見せるけど」



 見せてくれるとのことなので、どうやら家にはちゃんと入れてくれるらしい。

 しかし、本当に何が合言葉なのだろう。

 心を読むのはしたくないし、突拍子もないこの問いかけにヒント無しではさすがに答えられそうになかった。



「おい、早希。お前、なにしてんの?」


 

 聞こえた誠君の声。

 私達が玄関先での問答を繰り返している間に、どうやら彼が様子を見に来たらしい。

 


「お兄ちゃんはちょっと待ってて。今大事なところだから」


「は?いや、暑いんだから中に入れてやれよ」


「…………じゃあ、最後!これで最後にするから」


「はぁ、透。開けたほうがいいか?」


 

 見えないながらも、呆れたような声にどんな様子なのかが簡単に伝わってくる。

 でも、目を潤ませながらこちらを見てくる早希ちゃんの表情に、もう少しだけこれに付きあおうと思った。



「ううん、大丈夫。でも、ヒントだけ貰ってもいい?」


「さすが透ちゃんっ!じゃあ、もう大ヒント。これ、読んで」

 

 

 その言葉と共に扉の隙間から渡される厚紙。

 四枚組らしいそれの一番上をめくると、そこにはまるでカルタのような一文字とともに、綺麗なタッチで人物画が描かれていた。



「この文字を全部繋げて言えばいいの?」


「そうそう。それが合言葉だから」



 まるで、写真のような綺麗な絵。

 それをゆっくりめくっていくと、順番に早希ちゃん、誠君、瑛里華さん、誠君のお父さんが描かれていた。

 

 そして、その上に書かれた文字を頭でつなぎ合わせると、彼女がしたかったことがようやく分かって、視界が滲み始める。



「透ちゃん、合言葉を教えて?」



 誠君によく似た優しい声色。

 この家族みんながそうであるように、そこには人の温かみというものが溢れていた。



「……………………………ただいま」


「大正解!はい記念品」



 開け放たられたドアから早希ちゃんが飛び出してくると、『!』とともに私が描かれた絵が渡される。

 五枚目の絵、それとともに描かれた感嘆符は、それだけでは発音できない。

 でも、そこにすらも、何となく思いやりのようなものが感じられ、余計に心が動かされてしまった。

 


「おかえりっ!透ちゃん」



 まるで向日葵のような満面の笑みに、私も笑顔を返す。



「…………………………………………ただいまっ!」




 以前は鳴いていなかったツクツクボウシたちが、夏の終わり、そして秋の訪れを周りに伝えている。

 

 この夏はとても楽しかったから、当然寂しいし、切ない。


 でも、ずっと続いて欲しいなんてことは言わない。

 だって、次の新しい季節をみんなと一緒に見てみたいと、そう強く思ってしまうから。




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