第86話 祝福は鈴の音で

 何も言わないまま、ただ見つめ合って時間が流れていく。

 夏が終わりに近づいていることを示すかのように鳴いている鈴虫の鳴き声が、なんとなく私達をお祝いしてくれているようにさえ思ってしまった。



「…………そろそろ、帰るか」


「……………………」


「ちょっと、眠くなってきたんじゃないか?」


「…………ちょっとだけ」


 

 安心したせいか、少しだけ眠気を感じる。

 お互いの気持ちが通じ合った、その事実が何よりも嬉しかったからだと思う。



「じゃあ、帰ろう。また、会えばいいんだし」


「…………明日も?」


「ん?まぁ、予定無いし。いいぞ」


「…………明後日も?」


「ははっ。また、空いてる日送っとくよ。俺も会いたいし」


「…………うん」



 苦笑したような誠君、でも、その最後に添えられた言葉が私のわがままを優しく包み込んでいた。

 そして、元来た道を戻ろうとする彼の手が自然と伸びて、私の手をそっと掴み取る。



「……あっ」


「嫌だったか?」


「ううん。嬉しい」



 今までは、ずっと私からだった。

 腕を組むのも、手を繋ぐのも。


 けれど、今日は違って、両想いになれたんだということを改めて感じさせてくれる。



「…………ふふっ。でも、こういうときはこう繋ぐんだよ」


「え?そうなのか?」


「うん。法律で決まってるの」


「それは、絶対嘘だろ」


「ほんとだよー」



 手のひらだけじゃなくて、指まで絡ませたお互いの手。

 あまりにも嬉しくて、嬉しすぎて、もっと近くに、もっと強く彼を求めてしまう。

 

 今までで一番幸せで、まるで羽でも生えてしまったかのように、心がふわふわと落ち着かない。



「………………誠君」


「なんだ?」


「…………学校ではね。前みたいに……夏休み前みたいに、接してもいい?」

 


 だけど、そうなら余計に私は選択しなくてはいけない。

 この幸せを、誠君を守る。そのために。


 きっと、私が話しかければ、笑顔を向ければ、それは無用な関心や、悪意を呼び起こしてしまう。


 最悪、好意だけなら我慢してもいい。すごく嫌で、嫌で、しかたないけど。

 彼が、私をずっと見続けてくれることは確かめられたから。


 でも、妬みとか、そういう悪意は絶対に向けて欲しくない。

 私のせいで傷つくなんて、絶対に。

 もしそうなれば、私は恐らく何か想像もつかないようなことをしてしまうだろう。 



「…………それは、透がしたいことなのか?」


「うん」


 

 今の私にとって、一番大事なこと。何が何でも、したいこと。

 例え、誠君のようにはいかなかったとしても、私にできることで、彼を守りたい。



「なら、俺はその気持ちを尊重するよ。透がしたいことは、何でも」

 

「……ありがとう。その代わり、学校以外でたくさん会おうね?」


「ああ。そうだな」



 それに、この先、会えない時間は必ず出てくる。

 高校生から大学生になって、大人になっていけば、もっと。

 

 だったら、一緒にいたいと子どものように言い続けるだけではいられない。

 それが、将来をずっと、共に歩くために必要なら、私はそれをする。

 


「…………俺も、頑張らないとな」


「何を?」


「いろいろと、かな。本当に、いろいろ」


「私は、今の誠君のままでいいと思うよ?」


「…………そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも、俺が嫌なんだ。透が頑張るなら、余計に」



 決意が籠ったような強い眼差し。

 今のままでも満点の彼が、何を頑張るのかは、よくわからない。

 でも、たぶんそれは、私のことを想ってのことなのだとなんとなくわかる。

 

 誠君は、そんな人で。そんな人だから大好きになった。



「ふふっ。じゃあ、もっと好きになっちゃうかもね」


「食べちゃいたいくらいとか言わないでくれよ?」


「それは今もだから大丈夫」


「ははっ。そりゃ怖いなー」


 

 今の関係が、何と呼ぶのかはよくわからない。

 付き合っているというのが、普通なのかもしれないけど、どこかそれとは違う気がするから。



「まんじゅう怖い的な意味で?」


「はははっ。やっぱり、透には勝てないな」

 

「ふふっ。やったね」


 

 繋いだ手に力を入れると、同じくらいの力が握り返してくれて、さらに幸せな気持ちになれる。ずっと、このまま一緒にいたい、そう思ってしまうほどに。



「そう言えば、また早希が遊びたいって言ってたぞ」


「そうなの?じゃあ、お土産もあるし、明日行ってもいい?」


「いいぞ。アイツ、明日は一日漫画描いてるとか言ってたし」


「ふふっ。ほんとに漫画が好きなんだね」


「遊び回ってもいるから肌は真っ黒だけどな。ほんと、元気なやつだよ」



 取り留めも無い会話の一つ一つが、記憶に刻まれていく。

 きっとこの先私は、彼と作っていく想い出を一生忘れないだろう。


 

「じゃあ、また明日な」


「………………」



 あっという間に着いてしまった自宅に、もっと遠くに住んでいればよかったなんて馬鹿みたいなことを考えてしまう。


  

「透?」



 悲しいけれど、さすがに一線を越えるわけにはいかない。

 おばあちゃんは絶対に、瑛里華さんもきっと、怒る。

 それに何より、信頼を裏切りたくないから。


 

「…………だから、今は、これで我慢するね?」


「え?」



 不意に近づき、お互いの唇を微かに触れさせる。

 驚いたような誠君の顔は、なんだか可愛くて、もっといたずらをしたくなるけどぐっと堪える。



「ふふっ。おやすみなさい」


「あ、ああ。おやすみ」


 

 さすがに恥ずかしくて閉じてしまった扉。

 体が信じられないくらい火照って、死んじゃうかと思うほどに心臓が鳴りやまない。






「…………また、明日、ね」


 

 そして、私は耳を澄ませて足音が遠ざかっていくのを聞き届けると、そっと、触れ合った場所にお気に入りのリップを当てた。

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