第59話 鈍感な彼

 朝食を食べ遥さんも家に帰った後、今日は何をするかを透と話し合う。



「どこか、行きたいところあるか?」


「うーん、そうだなぁ………………あっ、川にでも行こうか」


「川か、涼しそうでいいな。近いのか?」


「そんなに遠くないよ。歩いて三十分くらい」


「え?それは、遠くないのか?」



 この炎天下の中、歩くにはなかなか遠く感じる距離だ。

 部屋の中は空調が効いてるからまだいいが、たぶん昼間は猛暑日の暑さだろう。

 


「そう?ここらへんじゃ、どこ行くのにもそれくらいかかるけど」


「あー、確かに。コンビニも無いくらいだもんな」



 そう言われてみると、この家は村の中心部からも離れているので一番近い家でも、十分くらいかかるだろう。

 それに、個人の趣味かと思えるほど小さい商店のようなものはあるものの、コンビニなんてもちろん無かった。



「ふふっ。町に行かないと何も買えないくらいだからね」


「田舎なめてたわ」


「あははっ。早く、慣れられるといいね」


「いや、そんなに…………そうだな。前向きに努力するよ。斜め前くらいで」



 そんなに長くいるわけではないと言おうとして、言葉を止める。

 もしかしたら、今回だけじゃなくて何度もここに来ることになるかもしれないと思ったから。

 

 いや、違うか。たぶん、そうなることを俺自身が願っているのだろう。

 隣にいることを、一緒に歩き続けられることを。



「あはははっ。ちょっと、遠回りしてる」

  

「俺は、シティボーイだからな。猶予期間をくれ」

 

「ふふっ。じゃあ、私はビレッジガール?」


「透はどっちにも住んでるからハーフなんじゃないか」


「えー、ハーフガールってなんか違う意味に聞こえない?」



 アホみたいなことを話しながら居間で二人寝転がっていると廊下を通りかかったおばあさんが呆れた目でこちらを見てきた。



「はぁ、聞きなれない横文字をダラダラと。行くんならさっさとお行き。日が暮れちまうよ」


「「はーい」」



 そして、俺達は準備をするためゆっくりと立ち上がった。








◆◆◆◆◆







 玄関を出ると、うだるような暑さが俺に襲い掛かる。

 上を見上げると、雲一つ無い空の中で、太陽が満面の笑みを見せているのがわかった。



「暑い」


「あははっ、渋い顔」



 横では透が、太陽に負けないくらいの笑顔を見せているが、暑くないのだろうか。



「……透は、すごい元気そうだなぁ」


「うん。誠君と一緒にいるからね」



 あまりにも真っ直ぐな言葉に、揶揄からかわれていることがわかっていても動揺してしまう。



「……そりゃ、何というべきか迷うな」


「ふふっ。何も言わなくてもいいよ?どぎまぎさせるのが私の作戦だから」


「勘弁してくれ」


「やだ」


「頼むよ」



 半分、諦めながらそう頼むと、何故か透は少し思案気な顔をした後、何かを思いついたようにさらに笑顔を深めた。

 どうせまたいたずらを思いついたんだろうと、俺はため息が漏れそうになる。



「じゃあ、代わりに手繋ごうよ」


「それはさすがに暑いだろ」

 

「なら、小指だけ。ね?」 

 

「まぁ、それならいいか」


「やった!」



 俺がそういうや否や、透はそれがわかっていたとでもいうようにするりと指を絡めてくる。

 ふんわりと優しく、それでいて決して離れないような力加減で。



「明日の花火大会、楽しみだね」


「そうだな」


「明後日は、何しようか」


「また、なんか考えるか」


「うん、考えよう。次の日も、そのまた次の日も、そのまたまた次の日も、二人で」


「はは、いつまで夏休み続けるつもりなんだよ」

 


 誰もいないあぜ道をのんびりと歩く。

 邪魔するものがないからか、吹き抜ける風は街のものよりも涼しく感じた。



「誠君は、最後まで付き合ってくれるんでしょ?私が普通の女の子になれるまで」


「まぁな」


「どんな普通もいいんだよね?」


「ん?例えば?」



 話すことに集中しているからだろうか、少しだけ小指を握る透の力が強くなる。

 ぎゅっと、まるであの日指切りをした日のように。



「楽しい普通は?」


「大丈夫だな」


「嬉しい普通は?」


「それも、問題ない」


 

 何をもってそうなのかはよくわからないけど、最高の楽しさや幸せではなく、普通に楽しいことや嬉しいことを叶えるだけなら俺でもできる。

 


「悲しい普通は?」


「別にいいけど」


「辛い普通は?」


「ははっ、物好きだな。まぁ、別にいいが」



 透は、それほど悪い部分を体験したいのだろうか。

 あえて辛い思いをする必要もないと思うが、そうしたいのならば、それでもいい。



「ふふっ。そんなに簡単に言っちゃっていいの?」


「すごいことは無理だぞ?」


「ううん。ほんとに、普通なものだけ」


「なら、問題ない」



 それこそ、十五年ほど普通を生きてきたのだ。


 それに、俺はおばあさんと約束した。

 透が望む限りはそばにいるって。


 だったらそれがどんなものであろうが関係はない。

 そこに彼女の意志さえあれば、それで。



「時間、たくさん使っちゃうよ?」


「俺にできる範囲ならな。最後までちゃんと付き合うさ」


「そっか。なら、末永くよろしくね?」


「ん?あ、ああ。よろしくな」



 あまり日常では多用しない言葉に思わず隣を見ると、今まで見たことがないほど蕩けるような笑顔に一瞬虚を突かれる。

 本当に、嬉しそうだ。特に変わった会話では無かったはずだが、それほど、彼女の琴線に触れるところがあったのだろうか。



「あはっ、どうしたの?なんか、驚いてるけど」

 

「いや、すごい笑顔だったからさ。ちょっとびっくりした。そんなに嬉しかったのか?」


「うん、とっても。誠君にはあんまりわからなかったかな?」


「あー、まぁ、そうだな。それこそ、俺には普通の会話に思えたんだが」


 

 思い返してみるが、やはりよくわからない。

 正直に伝えるも、透は笑みを深めるだけで、説明する気は無いようだった。

 


「なら、そうなのかもね」


「説明してくれないのか?」


「うん。とりあえず、今はね」


「いつかは教えてくれるってことか?」


 

 思わせぶりな態度ではあるが、こういう時の透は意外に頑固なので恐らく聞いても教えてくれないだろう。

 


「うん。きっと、いつか同じような会話をするよ。きっとね」


「ふーん、そういうものなのか」



 俺よりも、頭の良い彼女がそう言うのであればたぶん、そうなのだろうと何となく思わされる。



「ふふっ、そういうものなんだよ」


 

 暑さを忘れたような、嬉しそうな笑みの中で、痛みの境界線ぎりぎりまで強く結ばれた彼女の小指だけが、熱を放っていた。

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