第26話 蓮見 透 四章③
早希ちゃんの部屋に連れて行かれた後、誠君を待っている間に漫画の説明が始まった。
「これが一番新しいやつなんだけど、舞台は学校でね。ヒロインと会うとこから始まるの」
奥には、没になったらしい原稿が山のようになっているのが見える。恐らく、今見せてくれてるこれを作るまでにはかなりの時間を費やしているのだろう。
「ヒロインはね、クールな子なんだけどね。主人公と話すうちに徐々にデレるんだ!くー、そういうの燃えるよね」
それでも彼女はそんなことは苦では無かったようで楽しそうに自分の作品を語っている。
彼女の心は、とても素直で、裏なんて無いとても綺麗なものだ。
裏を読まなくていい彼女との会話はとても居心地が良い。
だけど同時に、徐々にこの家にいることに慣れ、余分な思考が回り始めてきた私には、眩し過ぎるようにも感じてしまう。彼女と自分、その心の内をつい比べてしまうから。
「それで、ここでね、主人公とヒロインがドーンってぶつかってね!主人公のハートがズキューンって感じになるの!!どう?面白いでしょ!?」
そうして、彼女の話を聞いているうちに誠君が上がってきたようだ。
彼は、呆れた顔で早希ちゃんの方を見た後、持ったお盆を彼女の頭にそっと乗せた。
「おい、早希。せっかく透は頭が良いんだからアホ語で洗脳すんな」
「お兄ちゃんは黙ってて!女の花園の真っ最中なんだから。ねえ?透ちゃん」
おかしい日本語ではあるが、言いたいことは大体わかるので頷く。
「ふふっ。いいよ、私は楽しいから」
「それ日本語としておかしいからな?それと、透も甘やかすなよ。とりあえず、アイスと飲み物持ってきたから食べよう」
彼も私と同じことを考えていたらしく、それがちょっぴり嬉しかった。
「わーい、アイスだ!」
不意に動き出した彼女に少し驚く。だけど、誠君はそれを見越していたようで、華麗な動きで彼女の手を掴んだ。
「最初はお客さんからだろうが。透はどれがいい?」
そう言って差し出されたお盆には、三つの色のアイスバーが並んでいた。どうやら、レモン、オレンジ、桃の三種類らしい。
どれを選ぶのが正解なのだろうか。心を少し覗くと、私は二人が選びたがっているものでは無いものに手を伸ばす。
「…………じゃあ、私はこれかな」
「さすが透ちゃん!!気が合うね~。私、オレンジ大好きなの」
気が合う。その好意を示す言葉に罪悪感を感じてしまう。
自分をありのままさらけ出しながら、私を慕ってくれる彼女の素直な心に嘘をついているような気がして。
そして私は、楽しさと反比例するように姿を見せ始めた罪悪感に必死で蓋をしながら彼女の話に耳を傾けた。
◆◆◆◆◆
しばらく話をし、キリが着いた頃、早希ちゃんが思いついたような風で再び口を開いた。
「そう言えば、お兄ちゃんの部屋も案内しとかなきゃね。ちょっと待ってて」
彼女はそう言うとすぐに漫画を読んでいる兄の方に近寄り声をかけ始めた。本当にパワフルな子だと改めて思う。
「お兄ちゃん!お兄ちゃんったら!」
「どうした?」
「せっかく来たんだし、お兄ちゃんの部屋にも行こうってなったの」
「ああ、そういうことか。じゃあ、行くか。ゲームくらいしか無いけど」
彼は立ち上がり伸びをした後、欠伸をしながら歩き出した。
その様子は女の子を部屋に入れる男子高校生とは思えないほどに気の抜けた様子で、なんだか納得がいかない。そこが彼らしいと言えば、そうなので仕方が無いのだが。
「ここが、俺の部屋だな」
案内された部屋にはゲームや本、漫画、バイク用品と彼の好きなものが所狭しと並べられていた。
「ここが、誠君の部屋か」
洒落たものや流行りものなど一つも無い、自分というものを一切飾らない彼らしい部屋だ。
「そんなに見るほど面白いもんじゃないとは思うが」
「ううん。すごく、楽しいよ。それに、なんか、見てると安心する」
「そうか?よくわからんが」
年季の入った本や、ゲームも大事に保管されており、そんな些細なところにも彼の性格の一端が現れているようにも見える。
それに、家族からのプレゼントだろうか。この部屋の色には似つかわしくないものが奥の棚に綺麗に並べられていた。
「うん。とっても誠君らしい、素敵な部屋だと思う」
何の変哲もない部屋だと言われればそうだろう。だけど、私には、彼の心の奥底にある優しさや温かさがここで形作られていることがはっきりと分かる素敵な部屋に思えた。
「とりあえず、ゲームでもする?」
しばらく、部屋を眺めていると、彼がテレビの方を指さしながら声をかけてきた。
「うん。でも初めてだけど大丈夫かな?」
田舎に住んでいたことに加え、人の家に遊びに行くこともなかったのでゲームは全くしたことが無かった。
だけど、教えてくれるならやりたいなと思っていると、何故か早希ちゃんが目を輝かせてこちらの手を握ってくる。
「透ちゃんゲーム初めてなんだ~。じゃあ、私が色々教えてあげるよ」
「ほんと?ありがとう」
「任せて」
ニヤニヤしながら笑う彼女に一瞬不思議に思うが、なるほど、彼女はいつも誠君に負けているようで、初心者の私になら勝てると踏んだらしい。
だが、そっちがその気なら私も本気でやらせてもらおう。やったことは無くても、大抵のことならうまくやれる自信があるし。
「あっお前。いつも俺にボコボコにされてるから自分より弱い奴をカモにしようとしてるだろ」
さすがは、兄というべきか誠君は彼女の企みに気づいたらしい。
「ちがうもーん」
目をあからさまに逸らしながら言う彼女は少し可愛い。
「嘘つけ」
「ちゃんと教えるもーん。ね、透ちゃん。それならいいよね?」
「いいよ。あんまりよくわからないし」
「ありがとう。へっへっへっ」
完全に悪い企みが顔が出ている彼女はそう言ってせっせと準備を始めた。
そして、彼女の説明が始まる。私の近くに座り、コントローラーのボタンの位置を指しながら教えてくれる。
「ここら辺のボタンは全部攻撃で、移動はこっち。後はガチャガチャやってると必殺技が出る感じかな」
情報量を絞る作戦かなと心を見るが、ただ純粋に教えようとしているだけのようで拍子抜けする。そんな腹芸が出来ないタイプなのは分かっていたが、どうやら彼女はここでも期待を裏切らなかったようだ。
「あー。代われ、そんなんじゃわからん」
しばらく黙って聞いた誠君は、とうとう諦めたらしく、説明を交代するため彼女をどかし、私の近くに座った。
だが、女性同士では気にならないその距離は、不意に好きな人に詰められるにはあまりにも近すぎて心臓の鼓動がこれ以上無いほどに早まる。
鏡を見なくても顔に血が集まり、体温が上がるのが分かる。先ほどまで涼しいと感じていた部屋の温度は、まるで外にいるかのように熱く感じ始め、じんわりと手に汗が滲んできた。
「これが、弱攻撃で、こっちが強攻撃、で移動はこれ、逆向きにするとガード。必殺技とかはこの説明書の通りリズムよくボタンを押してくと出る。なんとなくわかるか?」
彼はコントローラーの方を見て、指をさしながら丁寧に教えてくれた。
だけど、鼓動の音が大きすぎて、私の耳にはその説明は全く入ってこない。それに、私は下を見るふりをしながらずっと彼を盗み見ていた。
「う、うん」
そして、ふと顔を上げて尋ねてきた彼と目が合うと、心臓が鷲掴みされたように激しく跳ね、体がこわばる。
「とりあえず、一回やってみるか?」
彼は、説明に集中していたようで私の異変には気づいていないようだ。何ともない顔で私にそう聞いてくる。
「…………あと一回だけ教えて貰ってもいい?同じ風に」
心臓の鼓動の回数が一生で決まっているというのが本当なら私の寿命は数年分は縮むのではないだろうか。
でも、説明もほとんど聞けてないし、必要なことだよね。
私は、そう自分に言い訳しながら、もう一度彼に同じように説明してくれるようお願いした。
心の奥底では、また説明は聞けないんだろうなとは分かっていたけど。
「わかった。じゃあ、もう一回な」
そして、もう一度説明が始まる、同じ距離で、先ほどより優しい声で。
案の定、その説明は全く頭に入らなかった。
◆◆◆◆◆
火照る体が少しずつ冷め始め、鼓動の音も落ち着いてきた頃、早希ちゃんが声をかけてくる。
「じゃあ、透ちゃんいくよ」
「よろしくね」
それほどボタンは多くない、それに、彼女の動きは直線的でわかりやすかった。
私の足元にある説明書に時たま目をやりつつ、どれを押したらどう動くのかを体に慣らしていく。
そして、三ラウンドあるうちの一ラウンド目を終える頃には、だいぶ感覚を掴むことができた。
二ラウンド目が始まり、相手が真っ直ぐ突っ込んでくる。考えると同時に動く彼女の心を読むのはあまり意味がない。
だけど、分かりやすい隙を見せると面白いくらい攻撃を入れてくるのは理解できたのでそれを活用しながら削り合いをしていく。
減り具合から見て、このまま押せば行けるだろうと予想し、結果がその通りになると少し楽しくなってきた。
「すごいな。要領がいいというかなんというか」
彼に褒められたことが尚更嬉しくて、思わず笑顔が漏れでる。
「ふふっ。ありがとう」
「く・や・し・い!早く次やろ次!」
とても悔しそうな顔で言う彼女は可愛らしくて負けてあげようかなという気持ちにもなるが、私をハメようとした罰なので勝たせてもらうことにした。
行動予測を立てながら相手の行動に適切な対応を入れていくと、相手はやけになってきたようで更に動きが単調になる。
慣れてきて、少し調子に乗った私は、必殺技とやらを試しつつ、やがて相手にとどめの一撃を入れた。
「ほんとすごいわ。こいつ弱いは弱いけど、それなりにこのゲームやってるのに」
とても感心したような風に彼が言ってくるので私の伸びた鼻は更に伸びていった。
「ふふっ。楽しいね」
得意げな気分になって胸を張ると、呆然とした早希ちゃんが涙目になり、誠君に泣きつき始めた。
「兄えもーん。透ちゃんが意地悪するの。仇を討ってよ~」
「はいはい。わかったから離れろ。暑いし」
抱き着くようにして兄に絡んでいく彼女を見ていた時、ふと思った。
なるほど、前私が彼に抱き着いた時に思ったより動揺が見られなかったのはこんな感じで慣れているせいだと。
私ばかり動揺させられてしまうことに少し恨めしい視線を送ってしまう。
「ちゃんとメッタメタのギッタギタにしてね」
「なぁ。それジャイアンの台詞じゃなかったっけ?まぁ、いいや。じゃあ、次は俺とやるか」
ただの仲の良い兄妹のじゃれあいを見ているうちに、私は無性に悔しくなって小さな復讐心が燃え上がってくる。
「うん。よろしくね、先生」
「ああ、よろしくな、弟子よ」
冗談を言いあいつつ、私はコントローラーを握った。
女としてのプライドを傷つけられたのだから、ちょっとした復讐くらいはさせて貰おうと思って。
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