4-3 犠牲の器

 部屋の底が抜け、食堂へと降り立ったアルフェールとシューレイの前で、人間二人分を優に包み込んだ炎が猛々しく燃えている。

 【暴食亭】は惨憺たる光景となり、あちこちで煤や火が木造の机や椅子、床に散っていた。

 屋根にも穴が開いており、中から黒焦げとなって異臭を放つ遺体が二人の前にごとりと落ちてきた。

 

「うぇっ……、き、汚い……!」


 ガツンと、シューレイが遺体をゴミのように蹴り飛ばす。アルフェールはそんなシューレイに構わず、煤で汚れそうになる服を苦笑顔で叩いていた。

 

「シューレイさん、突然すぎますよ。大事な服が燃えたらどうするんですか」

「い、いつまでも、はは、話してるアルフェールさん、が悪いん、です。そそ、それに神様の、祝福がある、ここ、この服が燃えるなんて……」

「そうですが、気分の問題ですよ。それにこの火力だって。折角の依り代に何かあったらどうするんですか」


 まぁそんなことはないでしょうと、淡々と軽い口調で炎を見つめたアルフェール。二人の温度は、燃え上がり強烈な熱気を放つ炎と違ってひどく冷めきっている。

 ――と、そこで炎が小さく揺らめいだ。


『霊法三ノ章三ノ段! 【ウェンティア】!!!』

「お」


 力強くも焦りを孕んだアンリの声と共に、アルフェールが感嘆の声を上げた。

 炎は大きく揺らめき始め、そして強い一陣の風が全ての炎を吹き飛ばす。【暴食亭】の炎は種火すら消え去る。

 炎が消えると、亀裂があちこちに入った白い三重の円環――障壁――がアンリ達を覆っているのが見えた。その中では、滂沱の汗をかいたアンリが体の前で両手を重ねて翳しミーシャを庇い立っている。

 ほどなくして、障壁も消えた。


「はっはっはっ……! ミーシャさん、大丈夫ですか……!?」

「あ、ああ……。アンリのおかげで助かったよ……。ありがとう……。でも、【暴食亭】が……」


 アンリがミーシャの安否を確認するとともに、ゆったりとミーシャが立ち上がる。ミーシャは辺りを見渡し、焼遺体や燃えた店内、瓦礫と化した壁などを見て顔を悲痛に歪めた。

 アンリもそれらを見て、声が引きつる。そして握った小さな手を震わせ、こらえた涙が浮かぶ双眸でアルフェールたちを睨んだ。

 アルフェールは拍手と笑みを以て返す。


「いやはや、無傷どころか服に煤一粒すら付かせないとは。よっぽど強固な障壁でしたね。その後の風も見事です。流石、依り代さま。人間の術如きで私たちの術を防ごうとは」

「炎がモノを燃やすなんて……。一体、どんな原理と術ですか……」


 少しでも情報を探ろうと、悲嘆で叫びそうになる心に蓋をして尋ねる。

 アルフェールは悠々と答えた。

 

「前提が違いますよ我らが姫――アンリ様。これがなのです。醜き人類が我が物顔で使う偽の炎とは違い、万物を燃やし尽くす力。神様から下賜していただいた原初の力の一つです」

「一つ……? それじゃあ、さっきの針も……!?」

「ええ、その通りです。――【神傷必罰ティモリアス】。あらゆる事象を歪め、再構築し、時には想像通りに顕現させる神様の御業。貴方たち人間の作った霊法とやらの術は所詮、単なる御業の劣化版でしかありません」

「か、か神様が、ぼくたちに授けてくれた、こ、この力……! 人間に、理解、出来るもの、じゃ、ない……!」

「――ッ!!」


 体が強張り歯噛みするアンリ。正直言って、先の攻撃をミーシャごと防げたのは奇跡に近かった。自分たちが認識できない言葉、しかも超短文詠唱であの威力。ほんの僅かな霊力の発露を感知できなければ、燃えていたに違いない。

 そして針の件。椅子の脚を再構築して作ったということは説明で分かったが、最初から椅子の脚は針だったと言われてもおかしくないほどのあの事象の改変速度。死ななかったのは完全な運だった。

 自分たちの運命はずっと相手側に握られているのだと、アンリは本能でそう感じ取る。

 

「まぁそういう意味では依り代様は私たちの術を使える可能性はありますが――」

「そそ、そんなことより、私はもう、我慢できない……! 私には、時間が、なな、無いんだ……!」

「ミーシャさん、逃げますよ……!!」

「わ、分かった!」


 感情が高ぶっているからか、シューレイの霊力の起こりをはっきりと感知したアンリ。そのまま、ミーシャの手を引っ張り壊れた壁から出ていこうとする。

 戸惑いながらも、小さな手に引かれて外に出るミーシャ。

 それと同時に、金切りの様な突き刺す声が聞こえてきた。


「――――…!!」

『【空断バリエース】!!』


 アンリの切羽詰まった声と共に、詠唱いらずの術――先ほど炎を防いだと同じ障壁――が三つ現れ二人を囲う。


「「――ッ!」」


 パリィンと、炎は防ぐも衝撃だけは防げず障壁はガラスのように壊れた。二人はつんのめるも、こけるより早く足を前に出して勢いに転じる。

 二人はやがて並走して路地の中を走り出した。

 

「なぁアンリ!? これは一体どういうことなんだい!? なにがどうなって……!」

「ご、ごめんなさい……巻き込んで……。理由はよく分からないですけど、あの人たちは私を狙っているみたいです……!」


 走りながら、顔を暗くするアンリ。【福音教】の存在だけで既にもう頭がいっぱいっぱい。

 背後から聞こえてくる衝撃音と爆炎による悲鳴の声。自分が理由も語られず狙われ、ミーシャが危険に陥り、【暴食亭】もボロボロにさせられ、都市全体が襲われているのも自分のせいかもしれないという現実に心理的負荷が相当なモノになっていた。

 災厄を齎す【白忌子シニステラ】。言い伝わるその言葉がそれがアンリの心を重くさせ、悲痛に顔を歪ませる。

 そんなアンリの沈殿する思いを、ミーシャが吹き飛ばした。


「馬鹿言うんじゃないよ!」

「え……」


 若干潤む瞳をミーシャに向ける。


「はっは……! あんたも狙われてるんだろ!? だったら、あんたも被害者だろうに……! 勝手に加害者の罪悪感を抱くんじゃないさね!」

「ミーシャさん……」

「あんたが【白忌子】だからとか災厄を呼ぶとか今関係ない! 全部アイツらが悪い! それだけで良いんだよ!」


 路地全体に響き渡る叱咤の声。

 それを冷酷無比で無機質な声が否定した。


「残念ですが関係はあるのですよ」


 はるか後ろにいるはずのアルフェールが彼女たちの前に憮然と立っていた。二人の姿、特にアンリを見てホッと息をつくと共にため息をついた。

 

「全く……。本当、シューレイさんはせっかちなんですから。何もわからぬまま捕らえては可哀想ではありませんか。まぁ彼の事情を鑑みればそれも無理はありませんがね」

「か、関係があるってどういうことだい……!!」


 警戒心を以て構える二人。

 アルフェールは、まるで世間話をするかのように口を開いた。


「愚かな人間には理解しえないことでしょうがね、あえて言いましょう。彼女は

「え……」

「神を降ろすだって……? そんなことしちゃあ……!!」

「ええ。六百年前の再来。人類は完全に滅びるでしょうね。私たちからすればそれは救いなのですが」


 アルフェールが言葉を一旦切り、頭上に浮かぶ【月】を見上げた。


「今の人類があるのは、七人の大賢者が【月】という次元結界を作り神の出現を抑え込んでいるからなのはご存じでしょう? 神を出現させるには【月】を破壊するのが一番なのですが、手段はあれどそれは中々に面倒でして」


 一息嘆息する。

 けれどそこに口惜しさはまるでない。

 それも当然だろう。アルフェールは面倒と言っただけで、不可能とは言っていないのだから。実際、破壊という手段が確立されていてリヴィ達に防がれたが破壊行動そのものは取られている。


「そこで我らが器の存在に目を付けました。不変の存在である神様と同じ、老いない身体。そして純粋無垢な白き御姿に莫大な霊力。それはこの世の中で誰よりも神様に近い存在であるのです。それ故に、近しい存在は引かれ合うモノ。形而上的に繋がりを持たせることが出来るのですよ」

「じゃ、じゃあ私は……!」

「分かりやすく言えば生贄ですね。【白忌子シニステラ】は我らが求める最低条件に達する存在ですがその中でもアンリ様は格別です。探し続けていたモノがようやく見つかり私たちもホッとしていますよ」

「なんだいそりゃあ……!」


 冷や汗を流し絶句するミーシャ。

 ちらりと横を見れば、アンリが息を荒げ胸を苦しそうにつかんでいた。肌も青白い。自分の命が世界の命運を握っていることの重み、そして『自分のせいで世界が終わってしまう』という罪悪感がアンリを押しつぶそうとしていた。

 アルフェールはそんなアンリに言葉で止めを刺す。


「そもそも疑問を抱かなったのですか? 【白忌子】という名前が神様の遣いたる【隷機ミニステラ】に似ているということを」


 名前は往々にして意味を込めて付けられるモノ。人々は無意識に認識したのである。

 姿形だけではなく、【白忌子】という存在そのものが神に近しいモノだと。

 やがてその無意識の集合体は【白忌子】としての存在力を神と同等以下にまで高めた。【白忌子】の霊力が人並み外れて高く実年齢よりも肉体が若くなってしまうのも神と似た霊力を持つ為であった。同じ【白忌子シニステラ】であるアンリとシャーリーが【霊力過剰供給症】を患っていたのもその為。

 違いは、老いているシャーリーと老いていないアンリ。より優れた方を使うに過ぎない。

 そう淡々とアルフェールは皮肉気に語っていく。

 それにアンリは思わず怯えてしまう。

 体だけではなく、魂が。

 震えていた。


「い、いや……! わ、私はに、人間です……!」

「そうですよ? 神様の器に成れる素晴らしき、そして全人類の中で最も優秀な素材です」


 詳らかにされる理不尽な定義が自分だとは思いたくなかった。けれど、アルフェールが述べた条件が自分に当てはまっていることがそれを否定させる。

 なにせ、アンリのことはリヴィしか知らないのだから。


「分かりますか? この現世にて神様と認識される存在が出来上がるのですよ? これほど神様と繋がりを強くさせるモノが他にあると思いますか?」

「あ、う……」


 途方もない現実とその身に宿るおぞましき未来。それを実感して、アンリは小さな足を後ずらせた。

 アルフェールはそんなアンリを見て、優しく笑みを浮かべて慮る様に言う。

 自分こそが一番貴女を想っている——と言わんばかりに。


「アンリ様。貴女はこれまでずっと人類に理不尽な憎悪をぶつけられてきました。罵倒はまだマシな方。殺されかけたことだってあるでしょう。だからこそ、今こそ彼らは清算を果たさなければなりません。貴女が神様と成ることで——」


 貴女は真の意味で解放されるのです。

 そう言って、アルフェールは手を差し伸べた。

 脳裏に浮かぶはかつての記憶。

 罵倒され、石を投げられ、殺されかけたこともある。庇ったリヴィが倒れた時に腑が煮え繰り返ったことも。

 アンリの行く末はもう変わらない。このままジャンブルの人たちを傷つけられた上で捕らえられ命を落とすか、大人しく捕まったうえで命を落とすか。どちらにせよ、アンリという存在はなくなるし、人類も滅びる。

 どうせ変わらぬ結果なら、己の中にある憎悪に従って自分を救うべきだと、アルフェールは訴えているのだ。

 体が震え、死と罪の意識、責任の重さ、事実としてある虐げられた過去により視界がぼやけていくのをアンリは自覚した。

 思考停止。何も、考えられない。

 虚な表情となり、抜け殻と化していくアンリを見て我が意を得たりとアルフェールがニタリとほくそ笑んだ。


「――ふざけるんじゃないよ」

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