猫ときどきご飯!

夢見里 龍

拝啓 ここは猫の国です

 猫は世界にあるおいしいご飯の一割も知らない――


 炊きたてほかほかのご飯に卵を落とし、しょうゆを垂らしていっきに啜る、あの卵かけご飯のまったりとした味わいも。熱々のコロッケを思いきり頬張ったときにサクッと心地のいい音に続いて、とろりとじゃがいもと挽肉がなかから溢れだしてくる感動も。

 一晩を掛けて煮こんだカレーの香りを胸いっぱいに吸いこんで、ご飯が炊きあがるのをいまかいまかと待ち構えているときのワクワク感も。まよなかに小腹がすいてどうしようもないときに戸棚から最後の一個を見つけだして、意気揚々とお湯をそそいだ即席らーめんのあの背徳感に満ちた旨さも。


 猫たちは知らないのだ。

 

 それはしょうがないことなのだけれど、たまにおいしいご飯を一緒に食べられたらいいのに、なんておもってしまうのは猫を愛するがゆえだろうか。

 それは細やかな願望で、他愛ない妄想で。


 だからこんなにも切実に猫たちの食について考えることになるなんて思いもしなかったのだ。



     ✿ ‥ ✿ ‥ ✿ ‥ ✿ ‥ ✿ ‥ ✿



「ん……」

 ふにふにとした何かが、額に触れた。

 弾力があってやわらかくて、春のひだまりみたいに暖かい。これはいったい、なんだろうか。

 腕を伸ばすとふわふわとしたものがすり寄ってきた。


「みけ、起きてにゃ」


 視界いっぱいに瑠璃色が拡がる。

 きらきらと瞬くそれは、他でもない――猫の瞳だった。

 さっきのは肉球だったらしい。


「朝ごはんをもってきたのにゃ、いっしょに食べようよ、みけ」


 長靴をはいた猫ならぬチョッキをきたハチワレの猫が碧い瞳をきらきらさせながら、バスケットを差しだしてきた。


「おはよう、ルリタマ、毎朝ありがとう」


 ふかふかのベッドから身を起こし、まだねぼけた頭で御礼をいいながらそれを受け取る。枕もとで充電しているはずの携帯を捜しかけて、ああ、とおもった。五分刻みに設定されたアラームのベルは、ここにはない。朝いちばんに確認しないといけないメールもニュースもないのだ。

 あるのは枝葉がこすれる心地のいい森の調べと、風に乗って漂ってくるバニラのかおりと、喋る猫。

 何度眠って起きても、暮らしなれた安アパートではないことに一瞬、戸惑ってしまう。


 チョッキをきた猫――ルリタマは嬉しそうにすりすりと、私の肩に頭をこすりつけてきた。御礼のきもちをこめて、ふわふわの頭をなぜれば嬉しそうに瑠璃の瞳を細める。


「ふにゃああ、きもちぃにゃあ。なんだか、また眠くなってきたにゃあ」


「みけえ、朝飯をもってきてやったぜ」


 ぴょこんと窓から猫の耳が現れる。

 窓をあけると、猫が部屋に跳びこんできた。

 今度はライオンみたいなふさふさの猫だ。彼はバンチョという。おでこの縞模様がトラみたいでなかなかに格好いい。彼はくわえていたバスケットをてきとうに投げだして「ほらほら、おれさまのことを褒めたたえてもいいンだぜ」と胸を張った。

 ずいぶんと偉そうだが、御自慢のしっぽはなぜられたくて、私の脚にするりとまきつけている。もちろん、なぜる。もとい、もふる。


「にゃふう、みけはなぜるのがうまいよなぁ……ああ、そこそこ」


「はいはい、ここね」


 ふっふっふっ、愛猫家を舐めるなよ。猫が喜ぶツボは全部熟知しているのだ。


 朝からもふもふ。もふもふもふもふ。


 ……七日前の私に教えても、とても信じてはもらえないだろう。


 和多々比わたたひ 三華みけ、二十五歳。

 私はいま、猫の国にいます。



     ✿ ‥ ✿ ‥ ✿ ‥ ✿ ‥ ✿ ‥ ✿



 土日ともに出勤、タイムカードをきってからが仕事の本番という典型的なブラック会社に勤めて早三年。終電はとうにすぎてふらふらと帰宅していた私は、トラックにひかれかけていた猫を助けようとして――事故にあった。

 意識を取りもどすと私は喋る猫たちにかこまれていて、一瞬なにこれ天国かとおもったのだけれど、彼らのいうことにはここはどうやら猫の王国らしい。これが俗にいう異世界転移かあとぼんやり思いながら、こちらを心配してくれる激カワな猫たちを眺め、……いやこれ、異世界というより天国じゃん、猫の神様、ありがとうございます。と拝みたくなった。

 猫教とかあって死後にこんな異世界にいけるんだったらお布施はたいて信者になるわ。



 そんなわけで、私の異世界ライフは至福のスタートをきったわけなのだけど、三日すぎたあたりから段々とある問題が浮かびあがりはじめた。


 この猫の国は御伽の国といった趣で、森にはチョコレートやクッキー、ビスケットが冗談みたいに可愛らしく実っていて、赤白黄色どころかピンクから青、紫のロリポップキャンディやマシュマロがあたり一面に咲き群れ、噴水みたいな泉からはハチミツが湧き、ミルクが湧き、といった調子なのだが――とにかくどこを捜しても甘い物ばっかりなのだ。


 枝にのぼった猫たちがクッキーやチョコをほお張っていたときには、ぼう然となった。

 猫たちは私が食べたがっているのだとおもって、それをバスケットいっぱいに収穫してきてくれた。甘い物はキライじゃないし、はじめのうちはワクワクして楽しかったのだ。

 けれど甘い物を一週間に渡って朝昼晩と食べ続けたら……飽きる。

 飽きるどころか、朝起きて窓をあけたときに風に乗って漂ってくるバニラのかおりだけでも胸やけしてくるほどだった。


 なんなら、おにぎりが食べたい。


 届けてもらったバスケットいっぱいのクッキーにブラウニー、ドーナツ、キャラメル――がどうしても食べられず、私が葛藤していると猫たちが心配そうに覗きこんできた。


「どうしたのかにゃ、朝ごはん、食べないのかにゃ? 春のキャラメルはちょっぴりやわらかくて、とってもあまいのに」


 瑠璃をはめこんだような瞳がきらきらと潤む。ぺたんと耳が真横に倒れる。


「朝飯食わないと、元気に遊べないぜ。それとも、おれさまがとってきた朝摘みのマカロンが食えないなんてことはないよな」


 言葉は悪いが心配してくれているのがだらんと垂れたしっぽから感じ取れ、微笑ましい。


「あ、あとから食べるね」


 ううぅ、猫たちの純真な瞳がつらいよお。

 いまこそ、声を大にして叫びたい――……


 猫は世界にあるおいしいご飯の一割も知らない!!! ――――と!


 

 現実の猫たちは、食べられるものがかぎられている。

 ねぎやたまねぎはちょっとかじっただけでも中毒をひき起こし命の危険があるし、牛乳だって猫にはあわないので飲むとすぐにお腹を壊してしまう。猫に魚、とはいうものの、実際はかつお節の塩けだって猫のからだには悪いし、青魚は万病のもとだ。

 人間の食べ物は食べさせないのが猫への愛である。


 でもここは異世界なのだ。


 猫たちは毎日毎日、チョコレートやキャンディを枝からもいでは、ひげをべたべたにしながら食べ続けている。チョコレート中毒で死に到るどころか、体調もすこぶるよく、肥満すらなさそうだ。


 思いきって、声をあげてみる。


「ね、たまには私がご飯をつくってお礼をしたいんだけど、いいかな」


 彼らは人と同じ物が食べられる。なおかつ味の感じかたも一緒のようだ。

 猫たちにご飯とはなんたるかを教えたいという思いがむくむくと胸のうちでふくらんできた。


「にゃ、みけの世界のご飯かにゃ?」


「そうだよ」


「食べてみたいにゃあ」


 問題はこの甘い物だらけの世界でどうやって食材と調理器具を用意するか、なのだが。


「ふうん、それは楽しそうな話だねえ、にんげんのお嬢さん」

 

 後ろから声がして振りかえった。

 あけっ放しになっていた窓に白銀の髪をなびかせた青年が腰かけていた。

 新緑の森を映す湖みたいな瞳に細い鼻筋。イケメンという言葉があまりにも軽々しいくらいの、超絶な美貌がこちらにむけられている。まぶしい。

 しかし彼の頭からは猫の耳が生えていた。


「王様にゃあ」


「おはよう、王様」


 猫たちがわっと王様のもとに駈け寄った。


 彼こそがこの猫の国の王様だ。

 猫たちが思い思いに暮らしているこの御伽の国で王様がどんな統治をしているのかはまったくわからないが、偉いのはわかる。ついでに事故に遭いかけた猫の命を助けたということでなにか御礼をしたいといってくれていたのを思いだす。そのときは、とくにないといったのだが。


「猫の王様、そんなわけなので、御礼ということでしたら食材と調理器具をいただけませんか」


「もちろん、なんでもいってくれ。ああ、まずはキッチンが必要かな」


 そうだ、猫の王様から預かったこの木の上のコテージにはそもそもキッチンがなかった。

 猫の王様がパチンと指をならせば、きらきらと星が弾けて、部屋の一角にキッチンができた。ご丁寧にキッチンの横には冷蔵庫が備えつけられており、調理台には真新しいフライパン、鍋、包丁などがならべられている。まるで魔法だ。


「おおっ、さすが王様だにゃ」


「これ、なんだ、食えるのか?」


「わからないけど、王様はすごいのにゃ」


 バンチョが調理台にあがり、かじかじと鍋をかじりだす。うん、やめてほしい。ルリタマは肉球のある可愛いおててで音の鳴らない拍手をしている。


「あ、そっか、かぶるんだな」


 天啓を得たとばかりにバンチョが鍋を頭にかぶる。うん、可愛いけど、やめてほしい。頭が重いのかふらふらしてる。落ちないでね。


「ありがとうございます」


「いいや、御礼ができて何よりだよ。君は命懸けで猫を助けてくれたんだから、これくらいはさせてもらわないと」


 それに。

 ぺろりと王様が唇を舐める。


「人の食べものには興味があったんだ。ぜひとも私にも食べさせてもらいたいものだね」

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