第113話 愚王と最愛(正妃マリージュエル視点)



「ウルクハイ陛下、ポルタニア皇国への賠償請求の内容が決まりましたわよ」


 私が声を掛ければ、ウルクハイ陛下はうっすらと瞼を開けた。


 今の今まで午睡を楽しんでいたウルクハイ陛下は、気だるそうに寝椅子の上で体の力を抜いている。その姿はまるで宗教画の一場面のように美しい。

 怠惰で愚鈍な男だが、その見目の麗しさだけは感嘆に値した。


 しかし私にとってはそれだけの男だ。


 たまたまこの男が王位継承権を持って生まれたというだけで、『王の器』はまるでない。

 私がこの男との間に生んだ、あの醜い息子の方がずっと『王の器』があった。


 男は片手で金色の髪を掻き上げる。

 人払いされた陛下専用のサンルームには私とこの男、そして密かに護衛している王家の影しか存在していないが、もしこの場に侍女でも居ればこの男の色気に当てられて気絶するかもしれない。それほどの色気だった。


 ……この男も奇妙なものだ。これほど美しいのなら他にも妃を持ってくれればいいのに、種馬の役目も満足に果たしてくれない。


 私の生んだ息子はその姿が醜すぎて、時代が時代なら幽閉されただろう。

 第二王子はこの男にそっくりだが、よりにもよってポルタニア皇国の血を引いている。

 まともな容姿の、まともな血の、まともな王子が他に居てくれれば、私はその子を王位継承者として推しただろうに。


 だがこの男は怠惰だ。

 子作りさえも面倒くさがり、私と側妃サラヴィアがそれぞれ一人ずつ子を産めば「これで私の役目は終了しただろう? 女を気遣って抱くより自分の右手で慰めていた方が、よほど気楽なんだ」と宣った。

 何度も私の手の者をこの男の寝室に送り込んだが、相手にされずに終わったと聞く。


「……賠償請求が決まったのなら、すぐさまポルタニア皇国へ使者を送れ」

「ウルクハイ陛下、まずは賠償の内容について確認してくださいませ」

「どうせお前がよく取り計らってくれたのだろう、……マリージュエルよ」


 男は寝椅子に寝転んだまま私を見上げた。

 小粒に輝くサファイアブルーの瞳、どっしりと大きな鼻梁、年齢を重ねて口角が下がってきたその分厚い唇も、何もかもが成熟した男の色香に溢れている。


 この男は私をからかいたいのだろう。私がこの男に情などなにも持っていないことを知っているからこそ、反応を探している。


「賠償の金額はこちらに。その他関税を下げさせる品物のリストはこちらですわ」

「ふーん」


 書類を差し出したが男は受け取らず、また目を瞑った。


「なぁマリージュエルよ、ポルタニア皇国との会談はお前一人でもじゅうぶんであろう?」

「もちろんウルクハイ陛下にも出席していただきますわよ」

「はぁ~? 全てポルタニア皇国が悪いのに、なぜ私が働かねばならんのだ?」

「ウルクハイ陛下の仕事ですもの」

「ああ……私はただ日がな一日ゴロゴロしていたいだけの欲のない男だと言うのに、なぜ王位継承者なんぞに生まれてきてしまったのか……」


 いつもの嘆きを始めた男から、私は背を向ける。


「私はこれで失礼いたしますわ、ウルクハイ陛下。陛下をきちんとお守りなさいよ」


 後半は隠れている王家の影に伝えて、私はサンルームから退室する。


 背後から、男のこれ見よがしな大きな溜め息が聞こえた。





「もう下がってちょーだい」


 夜になると侍女たちを追い払い、私は自室へ籠る。

 すでに入浴を済ませネグリジェに身を包んだあとだ。体を締め付けるコルセットも重いドレスも脱げば幾分か呼吸が楽になる。どれほど昼間の装いが自身の体に負担をかけているのか、よくわかる。


 もう誰の目もないと気がゆるめば、突然咳が込み上げた。


「ゴホッ……! ゴホォ……ッ!」


 口許を押さえた手のひらにべったりと鮮血が広がる。鼻から抜けるように鉄臭いにおいがして、口の中が不味い。

 近くにあった布で適当に血を拭うと、私は強い酒をグラスに移して胃に流し込んだ。出血箇所らしい食道が燃えるように痛んだがが、じきに麻痺していく。酒精で体の力が抜けていく。


 ……私の体はあとどれほど保つのだろう。


「あぁ……メアリパール御姉様」


 気弱な気分の時は、メアリパール御姉様を思い出す。


 私たちヴァレンティーヌ公爵家の人間は、己の両親など知らない。父親でも母親でも、どちらか一方がヴァレンティーヌ公爵家の血筋ならその子供は全員集められ、王家の影の教育を課されながら育てられるのだ。

 そんな環境の中で同じ父を持つ姉が居た私は幸せ者だった。

 私はメアリパール御姉様を心から慕い、メアリパール御姉様は私を深く愛してくださった。


 私は昼間の陛下の様子を思い出し、メアリパール御姉様ならばどのような正妃になったのだろうかと想像してみる。


 ……けれどちっとも思い浮かびはしなかった。


 本当なら王家に嫁ぐのは、私ではなくメアリパール御姉様のはずだった。

 メアリパール御姉様は優秀で、特に精神面が安定した少女だった。


 私たちはみな、王家の影として護身術や暗殺術を極め、諜報活動もできるように教育されていたが、大抵の人間は途中で精神に異常をきたす。それを乗り越えられる人間以外は淘汰される場所だった。

 私も初めて人を殺めたときは震えが止まらなかったし、諜報活動のために色んな人間を騙すのはとても苦しかった。人の心が脆いことを、自分の心で知った。


 けれどメアリパール御姉様は、どんな試練にも任務にも必要以上に心を揺らさない人だった。


『大丈夫よ、マリージュエル。暗殺も諜報も最初は怖いし大変だけど、繰り返していくうちに慣れて、ただの作業になるわ』


 そう励ましてくれたのもメアリパール御姉様だった。


 そんなメアリパール御姉様だからこそ、王家に嫁がせることに決まった。一応婚約者候補の体は取るけれど、正妃として内定したのだ。

 正式にヴァレンティーヌ公爵家の娘として公表しよう、という時にメアリパール御姉様は急死した。


 王家の影の訓練のひとつに、体を毒に慣らすというものがある。幼い頃から少量ずつ色んな毒を服毒していくのだが、慣れる前に死ぬ者も多い。メアリパール御姉様も前日までは元気そうだったのに、その日飲んだ毒の量に耐えきれずに亡くなったのだ。王家の影にとってはよくある死因の一つだった。


 だけど、どうしても、私はメアリパール御姉様の死を受け入れられなかった。


『マリージュエル、お前をメアリパールの代わりに王家に嫁がせることに決まった』


 ヴァレンティーヌ公爵様にそう言われて、私は公爵家の娘として表舞台に立つことになった。……本当ならメアリパール御姉様の専属侍女として王家に行くはずだった私が、なぜか。


 優秀だったメアリパール御姉様ほどの頭脳も話術も手練手管もない私が、いったいどうやって正妃など務められるのか。

 ほかに人材がないこともわかってはいる。王家の影は常に人手不足だからだ。

 私にあるのは結局、王家の影として培った暴力だけだ。

 時に脅し、時に痛めつけ、王家に歯向かう者たちを秘密裏に処理するときもあれば、大々的に処刑するときもある。

 せめて王がまともであれば、私の恐怖政治など必要なかっただろう。

 せめて息子がまともな容姿に生まれていれば、ここまで私が裏で暗躍する必要もなかった。


「メアリパール御姉様、貴女が正妃でしたらどうなさいましたか……? 貴女だったら、あの男をまともな王に出来たの?」


 私の問いかけに答えてくれる亡霊はいない。

 瞼を閉じても、もうメアリパール御姉様のお顔すらおぼろげだ。





 ふと気が付くと背後に人の気配がする。

 この気配は、と思い当たり、声をかけた。


「私になんの用かしらぁ? シャドー」

「定期報告に参りましたよ、正妃様」


 ココレット・ブロッサムの監視につけた影であるシャドーが、ここ数日分の彼女の記録を持ってくる。


「本当になんなのかしらねぇ、この娘は……」


 渡された書類の表面を撫でる。そこに記された彼女の行動記録にはなんの不穏も混じってはいなかった。


 美しく、心優しいと評判のココレット。


 どんなに探りを入れても彼女の真の狙いがわからない。なぜ『異形の王子』に気のある振りをするのか。そうまでしてなにが欲しいのかしら。国か権力か金か、心優しい己を称える聴衆の声か。


 ……まさか本当に『異形の王子』自身が欲しいわけでもあるまいし。


「まぁ、いいわ。わけのわからない娘だけれど、王家に逆らう様子はないもの。腹にイチモツを抱えていたとて、『異形の王子』の世継ぎを生んでくれればそれで」


 それよりも問題なのはーーー。


「それよりシャドー、ルシファーに伝えておいてちょうだいな。そろそろルナマリアの心くらいは壊しなさいと」


 クライスト筆頭公爵家の情報統括力が加われば、反抗する貴族たちをもっと操りやすくなる。

 ルナマリアは馬鹿のくせに頑固だから、そろそろ心を折らないと面倒だ。あの娘をむざむざ第二王子に渡すわけにはいかないのだから。


 私が指示をすればシャドーはフッと笑った。……この男も私と血の繋がりがあるため、同じような藍色の髪と瞳をしている。服毒の繰り返しによって片方の視力を失い、肌もだいぶん青白いが、……私よりはまだマシなのだろう。


「はいはい、承りましたよ、正妃様。……あなたも早めに寝た方がいい。ひどい顔色だ」


 シャドーは軽く答えると、そのまま煙のように姿を消した。


 私はふんっ、と鼻で笑う。


「ひどい顔色、ねぇ」


 メアリパール御姉様が毒で急死したように、私の体もまた毒で蝕まれている。可愛らしい色の化粧品では肌の青黒さを誤魔化せず、臓器もあちらこちらがやられている。それを睡眠ごときで回復など出来ないことをシャドーもよくわかっているだろうに。

 ……私の体はいつまで保つのかしら。


 王家の影に生まれた身として、王家を守らなければ。きちんとこの国の血を引いた『異形の王子』の王太子の地盤をガッチリと固めなければ。

 私の体が動かなくなり、メアリパール御姉様の元に行く日が来たら、


『よく頑張ったわね、マリージュエル。さすがは私の妹ね!』


 ーーー貴女にそう褒めてもらうために。

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