第51話 泣いていた恋人たち(ラファエル視点)



「それで、ヴィオレット様はオーク様の護衛役だったのです!」


 ココがぱちんと両手を合わせ、テーブルから身を乗り出すようにして私に告げた。

 私はオークハルトに提出させた王子教育の課題から目線を上げ、額に手を当てる。ココの話を聞いてようやく、ベルガ嬢がオークハルトの婚約者候補に選ばれた理由に納得できた。


 なるほど。我が母から放たれるであろう刺客への盾か。

 オークハルトを可愛がっている側妃様なら、それくらいの備えはするだろう。

 そうやって守られているオークハルトが羨ましくもあり、同時に我が母の行動を申し訳なく思う気持ちも芽生えた。


 ーーーヴィオレット・ベルガ辺境伯爵令嬢。

 前回の人生ではまるで接点のなかった少女だ。

 我が国のたいていの貴族や、平民でも大商人など裕福な家柄の子供は、十四歳になると王立学園へ入学することが恒例になっている。十八歳で卒業するまでの四年間を過ごすのだ。

 学園の生徒でいる間はみな平等、と謳ってはいるが、実際は将来のために人脈作りに勤しむ場である。高位貴族は王家に取り入ろうと腰を低くし、商人の子供たちは新たな得意先を作ろうと躍起になり、少女たちは嫁ぎ先を見つけようと暗躍する。身分が忘れ去られることはけしてない場所だ。学園でどう過ごし、どのような成績で卒業するかによって、その後の社交界での最初の立ち位置が決まるのだ。


 前回のベルガ嬢はその学園にさえ、入学することはなかった。

 辺境伯爵家という高位貴族でありながら、将来の嫁ぎ先探しもせず、人脈作りもしない。嫁に出せないほどのよほどの理由でもあるのだろうかと、悪意のある噂話を耳にしたこともあった。


 そんな彼女を私が一度だけ見たのは、彼女のデビュタントの時である。


 城で行われた陛下の即位記念日のパーティーの場で、私はいつも通り第一王子として入場したあとは、庭へと繋がるバルコニーに避難していた。

 会場から流れる楽曲と、人々の楽しげな笑い声、橙色の照明がこぼれてくる。笑い声の中心にはいつも通りオークハルトが居て、あいつを呼ぶたくさんの人の声が聞こえてきた。

 私はそれに虚しく背を向けて、暗闇の中に溶ける庭園へ視線を向けていた。なにも楽しいものは見えないが、会場を見るよりはずっといい。

 夜の気配に満ちたみずみずしい草木の香りに、ざらついた心が落ち着いた。


「……待って、お待ちください、ヴィオレットお嬢様ッ!」


 そんなふうに暗闇と同化していた私に気付かず、一人の少女が私の横を通り抜ける。


 スミレ色のドレスを着た少女が、バルコニーから庭園へ繋がる階段を駆け降りていく。踵の高いヒールがカツンカツンッと音を立て、会場からこぼれる照明で少女の背中に流れる栗色の巻き毛がおおきく揺れていた。


「どこへ行かれるおつもりですか!? 旦那様はお嬢様のために、お嬢様に相応しい御方をご紹介してくださろうと、わざわざ……!」


 少女を追いかけてきた少年も私に気付く様子もなく、庭園へと降りていく。質素な服装から彼女の侍従らしい、と私は予想をつけた。


 まだ会場からの照明がギリギリ届く範囲で立ち止まった少女は、侍従へと振り向いた。その顔は絶望に歪んでいた。

 少女は胸元を両手で押さえ、悲痛そうに口を開く。


「お願いよ、サリー……。わたしに他の殿方との縁談をすすめようとしないでちょうだい……。あなたの口からは聞きたくないわぁ……」

「……ですが、ヴィオレットお嬢様……ッ」

「……どうすればいいの? どうすればいいのかしらぁ? わたしはただ、あなたと共に生きたいだけなのにぃ……」

「お嬢様……」

「どうしたらいいのぉ……」


 少女は近づいてきた少年の手を取ると、そのまま庭園の奥の暗闇へと消えていった。

 消えていく二人の肩は震えていて、どちらも泣いているようだった。


 その少女がベルガ嬢だったことを知ったのは随分後になってからのことで、彼女を見かけたのはその一度きりだけだ。

 ベルガ嬢はデビュタントのあとは王都へやって来ることもなく領地に籠り、その後どんな人生を歩んだのか私は知らない。


 ココの話と照らし合わせると、あの従者はベルガ嬢の身分違いの恋人だったのだろう。

 前回の二人がその後幸せになれたのか、前回のバトラス嬢のように駆け落ちをしたのか、クライスト嬢のように修道院で神に身を捧げたのか……。私には想像もつかない。


 けれど今度の人生のベルガ嬢は、恋人と共に生きる道を見つけることが出来たのだろう。


「ヴィオレット様が無事にサルバドルさんと婚姻できるといいですわね」


 まるで二人の結婚式でも想像したかのように、ココはペリドット色の瞳を潤ませた。

 私は胸の奥から湧き上がる彼女への愛おしさでいっぱいになりながら頷く。


「うん。ベルガ嬢の幸福を祈るよ」


 心の底から。





 二杯目の紅茶を楽しんでいたココが、ふと私の手元を覗き込んでくる。


「そちらはエル様の勉学の課題ですの?」

「いや、……オークハルトのものだよ」

「え!? オーク様の課題を、なぜ……?」


 私だってあいつの勉学の進み具合をわざわざ知りたかったわけではない。

 ただ……。


「オークハルトが私の補佐役になるために、なにが足りないのか見て欲しいと言ってきてね」

「まぁ、本気でしたのね、オーク様」

「覚えは良いようだし、成績も悪くはないのだが……。お茶会やら視察で時間を取られている分、授業の進みが遅すぎる。私がすでに十歳で学び終えたことを、オークハルトは十一歳の今、ようやく学び始めたみたいだ」

「あらあら……」


 あいつは前回の人生でもこんなのんびりした教育を受けていたのだろうか。

 私からオークハルトへ王太子の座が移った後、あいつは王太子教育をきちんと学ぶことが出来たのだろうか。王子教育の何倍も学ぶことが多く、きついのだが。

 ……もしかすると私が反乱軍を作らずとも、オークハルトは愚王として勝手に滅んだのでは、という気がしてくる。頭が痛い。


「オークハルトの教師たちにカリキュラムを練り直すように言わなければ……」


 私がうんざりとした口調で言えば、ココがくすくすと愛らしく笑う。


「なんだかどんどんお兄さんらしくなってきましたね、エル様」

「やめてください、ココ……」

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