第47話 側妃の噂



 ダグラスに見送られて馬車に乗り、わたしはブロッサム侯爵家へと帰宅した。

 門から玄関先までの短い道を、橙色のランタンが照らしている。少しホッとする光景だ。

 馬車から降りると、侍従が玄関扉を開けてくれる。

 明るい玄関ホールには我が家の天使レイモンドと侍女のアマレットが待機していて、わたしを出迎えてくれた。


「おかえりなさいませっ、お義姉様!」

「お帰りなさいませ、私のお嬢様。本日も妃教育お疲れさまですわッ」

「ただいま、レイモンド、アマレット」


 外套をアマレットに預ける。

 すぐそばに近寄ってきたレイモンドが、やさしく微笑んでくれた。そしてわたしに向かって手を差し出す。どうやらエスコートをしてくれるらしい。

 以前はわたしがこの子の手を引いていたというのに、どんどん素敵な紳士になって……!

 感動で鼻の奥が痛い。出てきそうになる涙を飲み込んで、レイモンドの手に手を重ねる。


「お義姉様、すでにお夕食の準備が出来ているそうですよ。さっそく食堂へ参りましょう」

「ありがとうレイモンド。今日も一日、屋敷のみんなに変わりはなかった?」

「はいっ。今日はお義父様に三組の来客がありました。僕は午前に歴史とダンスのレッスン、午後からはフィス様が遊びに来てくださいました!」

「まぁ、ドワーフィスター様が……」


 またこっそりレイモンドにカードゲームのイカサマ方法とか教えてるんじゃないでしょうね……? とハラハラしながら廊下を進む。

 レイモンドは一生懸命わたしの歩くスピードを確認しながら、自分の歩幅を調整していた。ただひたすらに可愛い。


「レイモンドは本当にドワーフィスター様と仲良しなのね?」

「そうだったら嬉しいです! フィス様はとてもクールで格好良くて、物知りで、身分も高い方なのに、僕なんかにも気さくに接してくださって……、僕っ、フィス様がとても大好きなんです。フィス様の魔法の眼鏡のおかげで我が家の侍女たちともちゃんとお話しできるようになりましたし。

 僕もいつかフィス様みたいな格好良い男性に……、いえ、僕の容姿では無理だとわかっているんですけど、でも、フィス様のように誰かのお役に立てるような人になれたらって思うんです」

「レイモンドはとっても格好良い男の子よ? 今もわたしのために歩幅を一生懸命調整して歩いてくれているでしょう? あなたの心はとっても素敵だわ」


 わたしが言えば、レイモンドははにかんだ。


「えへへ……。これもフィス様に教わりました。『貴族の男は女の扱いが上手くないとダメだぞ』って。僕に必要になる時が来るかわからないんですけど、『不細工だろうが知っておけ』って」

「そうね、レイモンドも年頃になればきっと必要になるわ。知っておいて損はないわよ」


 レイモンドは自分の容姿を卑下するし、この世界は確かに美醜に厳しい。

 でも、だからといってレイモンドが誰かと愛し愛される未来の可能性を摘んではいけない。

 ドワーフィスター様はレイモンドの容姿に対して率直に不細工だと言うし、魔法の眼鏡がなかったらミスティア様みたいに失神するかもしれないようなお人だけれど。レイモンドの可能性を伸ばしてくれるなら、姉としてこれほど有り難いことはないだろう。

 ……イカサマを教えた件に関してはまだちょっとモヤッとするけど。


「レイモンドにいいお友だちが出来たようで嬉しいわ」

「お義姉様がフィス様を我が家に招待してくださったおかげですっ」


 いや、あの人勝手にミスティア様に付いてきただけよ。

 わたしはそう思ったけれど、言わないでおいた。





「そう言えばココ、側妃様のお茶会用に仕立てたドレスが明日届くそうだよ」


 父とレイモンドの三人で夕食を楽しんでいると。ふと思い出した様子で父がそう言った。

 ちなみに本日のメニューはアマレットと料理長が二人でアイディアを出し合って作り上げた、『お嬢様のための美容メニュー』の新作である。コラーゲンたっぷりそうなお肉のトマト煮込みみたいなものだった。美味しくて美容に良いなんて最高だ。


 わたしはとりあえず父に礼を言う。


「ありがとうございます、お父様。新しいドレスが楽しみですわ」


 もともとわたしのドレスや髪型や装飾品など、美容部門のほとんどをアマレットが担当している。

 今回のわたしはエル様に見せるドレスではないので気合いが入らず、さらに妃教育で忙しいので、「グリーン系のドレスがいい」とアマレットに伝えただけだった。

 彼女のことだからわたしの見た目を三割増し美しく見せるようなデザインにしてくれたとは思うけれど。どのようなドレスに仕上がったのか楽しみだ。


「まぁ側妃様のお茶会ではどのようなドレスを着ても、誰もあの御方より目立つことはないから、楽しんできなさい」


 父は穏やかに目を細め、わたしをいとおしげに見つめる。

 わたしは父の言葉に引っ掛かりを感じて、小首をかしげた。


「お父様、側妃様はどのような御方ですの?」

「おや、まだ王宮で一度もお会いしていないのかい?」

「はい。エル様やミスティア様からは、何にも囚われないような自由な方だとお聞きいたしました」


 そう言いながら、わたしはふと思った疑問を口にする。


「……そもそもなぜ隣国から嫁いでこられた元皇女様が、正妃になれなかったのでしょう? マリージュエル様は皇女より地位の低い、元公爵令嬢ですよね?」

「ああ、それはね、単純に輿入れの時期が違うんだよ」


 父はそう言ってナイフとフォークを皿に置いた。詳しく説明しようと、ナフキンで口元を拭う。


「マリージュエル様は長い婚約者候補時代にその地位を確固としたものにして、国王様に正妃として選ばれ、嫁がれたんだ。

 その二年後に隣国ポルタニアとゴタゴタがあってね、その和平の証に当時皇女であったサラヴィア様が嫁がれることになったんだ。国王はすでに正妃がいらっしゃるから、側妃としてね」


 エル様とオーク様の誕生日が半年しか違わないと聞いていたから嫁いだのも同じような時期かと思ったけれど。そういうことなら納得だわ。


 頷くわたしを横に、父が「それに……」と続ける。


「そうでなくともサラヴィア様に正妃のご公務は無理だろう」

「元皇女ですのに、正妃業務が難しいとは……?」


 あまり頭の良い方ではないのかしら?

 わたしが言葉にしなかったことを読み取った父は、首を横に振る。


「ポルタニア皇国のお血筋のせいか……、あの国の皇族方は気性が激しくてね。ご自分の納得することしかなさらないようだ」

「マリージュエル様より気性が荒いのですか!?」

「ココ、それは不敬だよ」


 分厚い唇に人差し指を当てて「しーっ」と呟く父に、周囲で給事をしていた新人侍女が「はわわ……! 麗しすぎます……!」と真っ赤な顔で呟いて壁に寄りかかった。アマレットが素早く彼女の体を支え、退室を促すのが見える。

 父の今のしぐさをエル様がしてくださるならわたしも喜ぶのに、と思いつつ謝罪する。


「側妃様は短気な方ではないよ。性格はとても穏やかだ。ただご自身のこだわりが強くてね、それを曲げることのない方なんだ」


 でも心配ないよ、と父が微笑む。


「ココに理不尽なことをする方ではないから、安心してお茶会に出席してきなさい」

「はい……」

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