第42話 出発
今日はエル様ご希望の教会視察の日だ。
集合時間にはまだ早いけれど、王宮の玄関にはエル様とわたし、従者のフォルトさん、ミスティア様がすでに集まっていた。
使用人たちが馬車の最終チェックや荷運びをする横で、護衛の騎士たちが点呼をとっている。その輪の中には見習いのダグラスの姿もあり、わたしはうっとりと彼を眺めた。背筋を伸ばしてきびきびと歩く姿は実にいい。引き締まった手足が白い制服に包まれてセクシーだ。
ダグラスがこのまま健やかにイケメンが育ちますように。なむなむ。わたしは心の中で手を合わせた。
フォルトさんが用意してくれた椅子に腰掛け、エル様やミスティア様とのんびりおしゃべりをしながら時間が過ぎるのを待つ。
ミスティア様が本日お召しになっている赤い宝石のペンダントが綺麗だったので誉めたら、彼女は得意そうに「フィス兄さまからいただきましたの。まぁ、石はイミテーションですけどね」と答えた。公爵家でもイミテーションを使ったりするのねぇ。わたしは綺麗なら本物でも偽物でも気にしないたちだけれど。
そうこうしているうちに集合時間になり、オーク様がやって来る。その隣には、ルナマリア様がエスコートされていた。
そして背後に、ヴィオレット様があの深紫髪の従者を連れてやって来た。
わたしの隣でエル様が眉間にシワを寄せる。
「オークハルト。どういうことなんだ?」
「早かったんだな、兄君! 遅れてすまない」
「集合時間には間に合っているからそれはいいよ。だけど、私は今日の視察にベルガ辺境伯爵嬢を呼ぶとは聞いていなかったのだが、どういうつもりなんだ?」
「ああ。ココもルナもワグナー嬢も来るのだから、ヴィーを仲間はずれにしては可哀想だと思ってな。俺が招待したんだ。好きにしてもいいと兄君はおっしゃっただろう?」
「………」
エル様が頭が痛いかのように額に手を当てると、怒りを圧し殺した声を出す。
「……なるほど。確かに私はお前に好きにしろと言ったな。だが常識的に考えて、事前報告があっても良かったはずだろう?」
「ヴィーが一人増えるだけじゃないか。なんの問題もないだろう? 今までだってお茶会などに急遽人数を増やしてもなんの問題もなかったのだから」
「今までは周囲がオークハルトを思いやってくれたから、どうにかなっていただけだ。
それに今回はお茶会ではなく、視察だ。先方だって事前に通告された人数より勝手に増やされれば対応に困るかもしれない。王宮の使用人たちだって私たちの為に事前に色々準備が必要だし、騎士たちだって護衛する人数が変われば対応も変えなければならないんだ。ベルガ嬢を招待した時点で私に報告すべきだ」
全くもって正論である。
オーク様はエル様の言葉にハッとしたような表情になり、慌ててエル様へと駆け寄った。
椅子に座るエル様の前で腰を屈め、エル様の顔色を伺おうとその両肩に手を置いた。
「申し訳ありません、兄君……。兄君の言う通り、俺が軽率だった。下々の者のことまで気が回っていなかった。本当にごめんなさい……」
太い眉を下げ、小さく鋭い蒼眼をうるうる潤ませるオーク様に、わたしは口内の肉を噛んでいろいろと堪えた。無の境地になるのよココレット……!
たぶんオーク様の表情は、すがる仔犬のような庇護欲あふれる美少年みたいなものなのだろう。エル様が苦々しげに「顔の良いやつはこれだから……」と呟くのが聞こえた。少なくともエル様には効果はあったらしい。
はぁ……、とエル様がため息を吐く。
「オークハルト、次からは気を付けるように」
「ああ、わかった兄君! ありがとう!」
ご主人様に許された仔犬みたいにパッと明るい表情を浮かべたオーク様が下がり、次に、従者に手を引かれたヴィオレット様がエル様の前で挨拶をする。
「突然参加させていただくことになってしまい、大変申し訳ありませんわぁ、ラファエル殿下。ご都合がお悪いようでしたら、わたしはこのまま下がりますのでぇ、なんなりとお申し付けください」
彼女特有の甘くのんびりとした声で、しっかりとオーク様の尻拭いを申し出る姿はとても立派だった。
栗色の巻き髪にタレ目がちなスミレ色の瞳。砂糖菓子のように甘そうな見た目の女の子なのに、しかも年下なのに、オーク様よりしっかりしているわね。きっとご家族の教育がいいのだわ。
エル様を見てもちゃんとポーカーフェイスができているし。
「いいえ、貴方が謝る必要はまったくありません。それに、……フォルト、ベルガ嬢が来ても問題はないだろう?」
「はい、エル様。馬車も余裕を持って三台用意しておきましたから」
「ありがとう、フォルト。同行する者たちにベルガ嬢の参加を伝えてくれ」
「承りました」
そうして準備が整い、馬車へ乗り込むことになった。
わたしはエル様とミスティア様とフォルトさんと同じ馬車に。オーク様とルナマリア様、ヴィオレット様とその従者が二台目の馬車に。三台目の馬車は使用人や荷物用で、騎士たちは馬で馬車の前後左右を護衛してくれる。
オーク様は馬車が分かれることに決まったとき、とても寂しげな顔をされた。
「次から俺はこんな馬鹿な真似はしないぞ、兄君。だから次は兄君とココと同じ馬車に乗る」
「……学習してくれればそれでいい。お前はなにせ側妃様に自由に育てられたのだから」
「母上のせいにしても仕方なかろう。俺が俺自身で気が付いて成長しなければ。
では兄君、よい道中を」
「ああ、オークハルトも」
オーク様はルナマリア様をエスコートしながら馬車に乗った。
わたしたちも一台目の馬車に乗り込む。
馬車はゆっくりと走り出した。
「エル様、そういえば側妃様はどんな方ですの?」
わたしは先ほどのエル様たちの会話で気になったことを、さっそく聞いてみる。隣に腰かけたエル様は微苦笑を浮かべた。
「ココは側妃様とお会いしたことがなかったんだね。……そうだな、どう説明すれば良いのか……」
躊躇うように言葉を切るエル様に、向かいの席からミスティア様が助け船を出すように答えた。
「あの御方はなにものにも囚われないような方だと、わたくしは思いますわ」
「そうですね、ワグナー嬢」
「隣国の思惑も、貴族としての矜持も、側妃としてのお立場からも、服装ですら本当にご自由で……。そんなところに魅力を感じる方々が多いのも、わかる気がいたしますわ。
あなたと波長が似ていらっしゃるかもしれませんわよ、ココレット様?」
「まぁ……、いずれお会いする日が楽しみですわ」
それからわたしたちは目的の教会まで二時間ほど、のんびりと馬車に揺られた。
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