第37話 初めての教会視察



 ついに教会視察という名の初デート当日。

 わたしは張り切って身だしなみを整え、視察に相応しい清楚で華美すぎないドレスを着て、エル様の訪れを待った。きょうは王宮からエル様がわたしを迎えに来て、そのまま教会に行く手はずなのだ。


 王家の紋章が入った馬車が、馬上の騎士達に守られて我が家の門を潜る。

 騎士達のなかに一人、装飾の違う白い制服を着た少年が混じっていた。ダグラスだ。

 春に近付いたとは言え、まだ分厚い外套が手放せない季節。ダグラスは厚手のマントを羽織りつつも頬や鼻を赤くしている。寒さに耐えるように眉間にシワを寄せながら、辺りに視線を走らせて危険がないかを確認していた。その横顔がもう、すっっっごくセクシーだ。

 わたしがぽぉっとダグラスの横顔を眺めていたら、その熱い視線に気付いたのかダグラスが振り向き、わたしに向かってぎこちなく頭を下げる。嬉しくてわたしも手を振った。


「こんにちは、ココ」

「お待ちしておりましたわ、エル様!」


 馬車から降りてきたエル様に挨拶をする。

 玄関先でわくわくと待機していたわたしの側には、それに付き添ってくれた父やレイモンド、アマレット達使用人が居て、一斉にエル様へと頭を下げた。

「本日は娘をよろしくお願い致します」「エル様、次はぜひ我が家にゆっくりしていってくださいねっ。僕、待ってますから!」と父とレイモンドが挨拶をして、わたしたちを見送ってくれる。

 わたしはエル様のエスコートに身を委ねて馬車に乗り、窓からみんなへ手を振ると、教会へと向かった。





 ブロッサム侯爵家のタウンハウスから三十分くらいのところに、目的の教会はあった。とても小さく古びた教会で、蔦がはびこり、窓ガラスがあったところは木の板で塞がれている。

 よく言えば歴史の重みを感じ、悪く言えば前世のホラー映画に出てきそうな佇まいの教会だった。初デートとしては難易度が高すぎるだろう。

 エル様もさすがに思うところがあるのか、「ここは現在でも使われているのだよね……?」とフォルトさんに確認を取っている。フォルトさんも涙目になりながら教会を見上げ、首を縦に振っていた。


 わたしたちが戸惑っている間に騎士が教会の扉を叩く。ふつうのノックのはずなのに、蝶番がギィギィと不快な音を立てた。

 まるでそのまま扉が外れてしまうかのような音を立てて、扉が内側から開かれる。

 中に居たのは人の良さそうな顔をした老牧師と老婦人、そしてたくさんの子供達だった。ざっと二十人は居る。どの子も継ぎ当てはあるが清潔な衣類を身にまとい、いきいきと輝く瞳をわたしたちに向けていた。


「ようこそいらっしゃいました、ラファエル殿下。私はこの教会の牧師のグレイ、こちらは妻のカナリア、そして我が子供達です」


 グレイ牧師とミセス・カナリアはすでに老眼が進んでいるのだろう。二人とも分厚いレンズの眼鏡をかけながらも、エル様のお顔を見てもこれといった反応はしなかった。

 けれど子供達ーーーたぶん孤児を育てているのだろう。どの子も様々な色の髪や瞳を持ち、容姿もこれといって似ていない。年の頃もバラバラだ。わたしよりも年上そうな子もいれば、赤子までいる。

 子供達はとても素直に、エル様とダグラスを見て泣き出した。


「ミセス・カナリアっ! おっかない子が来たよ!」

「うわぁぁぁぁああんっ、怖いよう、牧師様っ、助けてぇ!!!」

「悪魔が二人もいるよ、地獄になんて行きたくないぃぃぃッ」


 泣き出し、抱きついてくる子供達を、グレイ牧師とミセス・カナリアがのんびりと宥める。


「こらこら子供達、今日いらっしゃったのはこの国の第一王子様ですよ。悪魔なんかじゃありませんよ」

「そうですよ、みなさん。お客様には礼儀正しくしないといけませんよ?」

「牧師様とミセス・カナリアは老眼だから!! 悪魔が見えないだけだよ!!」

「そうだよ!」


 なかなか収集がつかず、エル様も唇を真一文字に引き結んで青ざめ、ダグラスが苛立たしげな表情をするので、わたしが前に出ることにした。

 こんな子供くらい、わたしの顔でどうにかなるだろう。


「こんにちは、みなさん。本日はこちらの教会にある美しい肖像画の入ったペンダントを拝見に来ました。ご案内していただけると嬉しいのですが……?」


 ニッコリと笑って挨拶をし、とどめに小首を傾げてうるうると瞳を潤ませて見せれば楽勝だ。男の子はもちろん女の子ですらわたしの美貌に釘付けになり、ころりと泣き止んだ。

「うわぁ……天使だ!」「ちがうよ、女神様でしょう? ほら、聖書にある……」「絵本の中のお姫様みたい。とってもきれい!」「ぼっ、僕が案内します、お姫様!」「いいえ、アタシが案内するわ!」「俺も!」


 子供達は一斉にわたしに駆け寄り、両手を掴んでくる。そのまま教会の中へと案内された。

 エル様が気になって振り返れば、彼は悲しげで、それでいてどこかホッとしたような様子でわたしを見ていた。やはりこれだけの人数の子供達に容姿のことで泣かれるのは嫌だったのだろう。

 グレイ牧師とミセス・カナリアがエル様の案内を始めるのを見て、わたしはようやく安心し、子供達について行った。


 教会の外観もなかなか古かったが、内部はもっと老朽化が進んでいた。

 板張りの廊下を歩けばミシミシとひどい音を立て、ときおり子供達が「そこは踏んじゃダメですよ、女神様。床板が腐ってるんです」「このあいだもアルフレッドが床下に落っこちて、ご近所さんから貰った廃材で穴を塞いだばかりなんだよ」などと説明してくれた。

 ガラスの代わりに板を張った窓から、かすかに細い光がこぼれて辺りを照らす。ふつうなら木製のベンチがずらりと並んでいるはずの場所に、不揃いの椅子が何脚も並び、敷かれた絨毯は色褪せて擦りきれていた。

 それでも中央に飾られた女神像やロザリオ、蝋燭立てなどはきれいに磨きたてられて輝いている。野の花を摘んできたのだろうか、素朴な小さな花が教壇に飾られていて可愛らしい。貧しいけれど清潔に保とうという努力があちらこちらに見受けられた。


「……ここの教会の寄付金はあまり多くないのかしら」


 わたしがぽつりと呟いた言葉に、子供達が反応する。


「少しでもお金が入ると、牧師様たちがすぐに新しい子を連れてきちゃうんだ」

「虐待にあっている子の家に行って、頭を下げて引き取ってきたり。スラム街まで出掛けて赤ちゃんを拾ってきたり。部屋が足りなくてどうしても引き取れないときは、お金を食料に換えて孤児達に配ってしまうの」

「だからうちの教会はいつもカツカツでね。でも僕、とても幸せなんだ!」

「アタシも! うちの親なんて何日もご飯をくれないことなんてしょっちゅうだったし、殴ってくるし」

「牧師様とミセス・カナリアは殴ったりしないもんねぇ」


 それではいくら寄付しても、教会の修繕にお金を回せないわけかぁ。

 でもこれだけ老朽化していて、子供が床板を踏み抜いて落っこちたりしていては危険すぎるだろう。牧師様達はそのへんについて考えていないのだろうか?


「今までに怪我をした子は居ませんの? 床板を踏み抜いたりしたのでしょう?」

「大きな怪我をした子は誰もいません。掠り傷くらいなんです」

「だってここは教会だから、神様が僕たちを守ってくださるの!」


 とんでもない理屈が出てきたわ……!

 教会だから、神様が守ってくれるから老朽化を放っておいてるのだとしたら、とんでもないのだけど!!

 わたしは「それは牧師様やミセス・カナリアがおっしゃったことなの? 神様が守ってくださるから、教会が古いままでも平気だと?」と慌てて尋ねた。

 けれどそれに関しては、子供達は首を横に振る。


「牧師様とミセス・カナリアはそんなこと言わないよ?」

「そもそも二人は老眼だから、教会がボロっちぃことに気付いてないんだ!」

「二人は床板を踏み抜いたこともないし。穴が出来ても年上の男の子達がぱぱっと直しちゃうから」

「窓ガラスが割れて板に変わったことも気付いてないよね、牧師様達」

「老眼だから仕方がないんだ」


 つまり牧師様達は教会の修繕の必要性に気付いてないから、寄付金を子供達を助けることに回しているということなのね……。

 これはエル様に相談して、牧師様達に修繕の必要性を説いた方がいいわ。

 わたしは子供達にロケットペンダントの保管されている部屋まで案内されながら、そう考えた。





 ロケットペンダントはやはり、わたしの心をときめかせることのない品だった。

 銀細工のペンダントは小まめに手入れされていて、白く輝いていた。製作された時代に流行ったらしい動植物の彫刻が施されていてとても立派だ。ロケット部分さえ開けなければ、わたしの目にも素晴らしい芸術作品に見える。

 けれどロケットを開ければ、超絶オーク顔の少年の肖像画である。

 周囲の子供達はオーク顔の肖像画を覗き込んではうっとりとため息を吐く。「はぁ……なんて素敵な王子様なの……」「いつ見てもカッコいい人だわ!」「俺も大きくなったらこんな人になりたいなぁ」「こんな男の子と結婚したいわ、アタシ」


 牧師様からロケットペンダントについて説明を聞いているエル様のお側へ、わたしはそっと近寄る。イケメン成分を補給しないと心が冷えきってしまいそうだ。心が凍傷になってしまうわ。

 エル様の横顔をガン見するわたしにエル様も気が付き、彼は驚いたように瞳を見開いた。それからじわじわと頬を紅潮させる。尊い。


「……ココ?」


 戸惑い気味のエル様の手に指を絡め、そっと手を繋ぐ。少しはデート気分を味わいたい一心だ。

 けれど視察でもあるので、そのままエル様の真っ赤になった耳元に顔を寄せる。


「エル様、先ほど子供達から聞いたのですが……」


 わたしは声を潜め、牧師様達が教会の修繕の必要性に気付いていないことをエル様に伝えた。真面目な話をしつつ、エル様を堪能する。実に最高だわ。

 最初は照れて赤くなっていたエル様も次第に真剣な顔つきになり、「そういうことか」と頷いた。


「しかし、この教会はすでに大規模な改修工事が必要になっていると思う。子供達をやっと養っているような寄付金では、どうにかできるレベルではないかな。教会本部に掛け合わないといけないね」


 そう言いながら、エル様は壁や床に視線を走らせていた。


 そろそろ教会視察の予定終了時刻だ。

 わたしはエル様とともに牧師様達にお礼を言い、フォルトさんが謝礼を渡す。

 子供達は少しはエル様の顔に慣れたのか、わたしの顔が見たいのか、まだ傍から離れなかった。子供達に囲まれてゾロゾロと歩きながら、また教会の玄関へ向かった。


「お姫様、また来てね!」「違うよ、女神様だってば」「大人になったら僕と結婚してくださいっ」「アタシ、お姫様のお友だちになりたいわ!」

 子供達の言葉に答えながらエル様を確認すれば、彼は牧師様達に教会の老朽化について話しているところのようだった。ときおり「おや、気付きませんでしたなぁ、老眼なもので」「床板に穴が? あら大変、子供達に怪我がなくてよかったわ」と牧師様達の声が聞こえてくる。


 教会本部に掛け合って、すぐに予算がおりればいいな。どれくらいで改修工事に入れるのだろう。まずは本部の人が確認に来なきゃいけないだろうし……。


 わたしがそんなことを考えていると、突然天井からバリバリバリッとなにかが剥がれ落ちる音がした。続いて、なにかが床に叩きつけられる音がする。

「キャァァアアッ!!」「危ないっ!!!」「天井が落っこちてくる!!」


 老朽化した天井の飾りに亀裂が走って剥がれ落ち、大小様々な木片がわたしたち目掛けて落下してくる。わたしは慌てて近くにいる子供達に覆い被さり、手の届かない場所にいる子に「頭を隠しなさい!」と懸命に声をかけた。

 すぐさま傍にいた騎士達がわたしたちに駆け寄り、わたしたちを守るためにさらに上から覆い被さる。そのなかにはダグラスの姿もあって、幼い子供達を抱き締めていた。エル様や牧師様達も騎士に守られ、しゃがみこんでいた。


 床に叩きつけられる木片の音がようやく止むと、わたしたちはすぐさま教会から脱出した。

 子供達は牧師様達に飛び付いて大泣きしているが、怪我はないようだ。

 騎士達も木片に叩きつけられたが、さいわい皆軽傷で済んだ。エル様もダグラスもフォルトさんも無事でホッとする。


「無事で良かったよ、ココ」

「エル様もよくご無事で……。騎士達が居てくださって本当に助かりました」

「ああ、本当にそうだね。あとで褒賞をあげなくては」


 わたしとエル様は騎士のもとに向かい、礼を言う。彼らは肩や腕などに打撲を負っていたが、「この程度の怪我は訓練中にもよくあるので」とハキハキと答えた。


「ダグラス、今日は子供達を守ってくれて、本当にありがとう」


 エル様がダグラスに声をかけ、彼の手を強く握った。ダグラスはなんだか不思議そうに目をしばたたかせている。

 わたしも重ねられた二人の手に手を重ね、とびっきりの笑顔でお礼を言った。


「ありがとうございました、ダグラス! あなたはもうすでに立派な騎士ですわね」


 そこへ、ダグラスに守られた子供達がやって来て、おどおどとダグラスにお礼を言い始める。


「悪魔の兄ちゃん……、助けてくれてありがとう」

「ありがとう……。最初、泣いちゃってごめんね?」

「僕らを守ってくれてありがとう!」


 ダグラスは金色の瞳を見開き、呆然とした様子で「……ああ」と頷いた。


 その後、教会本部へ連絡を取ったり、近隣住民に頼んで仮住まいするための小屋を借りる手配をしたりと色々あったけれど。牧師様と子供達に見送られて教会をあとにするまで、ダグラスの表情は変わらなかった。

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