第26話 正妃のお茶会



 わたしは今とてもご機嫌だ。いいことが最近二つもあったのだ。


 ドワーフィスター様に依頼して作っていただいたあの魔法の眼鏡が、我が家で大活躍中なのである。

 レイモンドにどうしても生理的嫌悪で近寄れなかった侍女たちが、あの眼鏡のお陰で彼と関われるようになり、


「今まではお坊っちゃまとお話することもできませんでしたけど、あの眼鏡のお陰でようやくお坊っちゃまの人となりを知ることができましたわ! 幼いながらも聡明で賢い方ですわね、次期侯爵としてふさわしい人格者ですわ!」


 と好評である。こうやってレイモンドの性格を知ることで、彼の味方が増えていけばいいなぁと思う。

 レイモンドの方もやはり嬉しそうで、さらに笑顔が増えた気がする。


「ありがとうございます、お義姉さまっ!」

「いえ、あの眼鏡はわたしのお友達(?)とその御兄様が製作してくださったの。わたしは特になにもしてないわ」


 助手という名の話し相手しかやってないのでそう答えれば、レイモンドがふるふると首を横に振る。


「お義姉さまのご友人と、その御兄様にももちろんとても感謝してますっ。でも、僕のために持ってきてくださったのはお義姉さまですから!」


 そう言って満面の笑顔で抱きついてくるレイモンドが、はぁ、尊い……ッ。魔法の眼鏡を貢いでよかったわ!

 イケメンの笑顔を守るためなら大抵のことはできちゃうなぁと、わたしはしみじみ思った。





 そしてもうひとつのいいことは、エル様から髪飾りを頂いたことである。

 初めて我が家のお茶会にエル様をお招きしたとき、わたしがうっかりエル様の瞳と同じ宝石を身に付けたいなどと口にしてしまったせいで、とても高価な髪飾りを特注してくださった。

 すごく透明度の高いブルーサファイアがふんだんに使われた品だ。地金のゴールドにもこれでもかと細かい彫り物がされており、あまりの高級感にこれ十一歳の子供が所持する物じゃないなと、前世の庶民感覚で唖然としてしまった。


 わたしはとても恐縮したが、エル様は長い前髪の奥で楽しそうに笑って、


「ココを着飾らせるために選べるなんて、本当に楽しかったよ。毎日でも贈りたいくらいだ」


 と仰った。さすが王族。


 頂いたからにはフル活用しなければもったいない、という庶民感覚から現在ヘビロテ中である。この髪飾りに合うような青系のドレスを今まで持っていなかったので、ついでにいくつか仕立てた。

 衣装部屋に並べられた新しいドレスを眺めながら、わたしはついニマニマしてしまう。

 好きな人の色に染められていくってのは、なかなか幸福なことだなぁ。

 これを機に青系統を集めるのも素敵かもしれない。エル様の女! って感じがして、前世夢女の心が満たされる感じだ。ええ、前世でも推しキャラの公式グッズどころか、イメージカラーの小物や洋服さえ集めるタイプの夢女でしたよわたしは。

 頂いた髪飾りのお返しに、エル様にもわたしの色の小物でもどしどし贈りまくりたいものだわ。


 そういうわけでサファイアの髪飾りと鮮やかな青いドレスを身にまとって、わたしは本日、初めてエル様のお母様である正妃マリージュエル様にお会いするのである!





「気を付けなさいね、ココレット様」


 マリージュエル様がご招待してくださったお茶会へ向かう道すがら、ミスティア様がそう言った。彼女の方を見やれば、魔法の眼鏡をかけたそのエロい顔にとても暗い表情が浮かんでいた。それすらもエロい。


「余計なことはなにも言わず、正妃様のお言葉に頷いていなさい。……あなたの身のためだから」

「はぁ」


 ミスティア様の背後を歩いているルナマリア様も、いつもの無表情ながら心配そうにわたしに向かって眉を下げていた。

 心配してくれてありがとうと伝えるために、ルナマリア様に小さく頭を下げる。すると彼女もお辞儀を返してくれた。


 余計なことはなにも言わず、ねぇ。

 まぁ、未来の姑ですし、できるだけぶつかり合わないようにしたいとは思う。

 ……けれど、以前オーク様が話してくださった内容が頭を掠める。

 プライドが高くて、エル様の見た目を毛嫌いし、母親らしいことは一切せず、それでもエル様に王太子としての重圧を注いでくるというマリージュエル様。

 話に聞く分にはまったく好意の欠片も抱けない相手である。


 大人しくしていたいけれど、エル様の心を蝕む敵だと言うのなら。わたしはきっと戦ってしまうだろう。

 そのためにも敵情視察! 今日はマリージュエル様の情報をとにかく手に入れましょう!

 わたしは決意を固め、お茶会の開かれるサロンへと入室した。





 青い薔薇の壁紙が印象的なそのサロンには、猫足のソファーセットが用意されている。窓の外には深まる秋の庭が広がっていて美しかった。


 エル様の婚約者候補であるわたしたち三人は爵位順に座ると、マリージュエル様の訪れを待つ。つまりわたしが一番下座だ。

 しばらくすると扉が開いて、衛兵や侍女をたくさん引き連れた女性が登場した。

 藍色の艶やかな髪を纏めあげ、ダイヤの眩いティアラを飾り、豪奢な銀のドレスを身に付けたその女性はーーー完全に悪役女王の顔をしていた。


 整った顔立ちだけど吊り上がった目尻、酷薄そうに歪められた唇。そこに乗せられた化粧はまさかの青である。青いアイシャドーは分かるけど、青い口紅ってどこのアーティスト気取りなの……?

 マリージュエル様の前衛的すぎるセンスにもはや脱帽です。


 この方、時代を数千年単位で先取りしてるわ……、と内心思いつつミスティア様たちと一緒にソファーから立ち上がる。

 上座にやって来たマリージュエル様に向かって頭を下げた。


「面をあげよ」


 マリージュエル様は髪と同じ藍色の瞳を妖艶に細める。


「ルナマリア、ミスティア、久しいわね。以前会ったときよりも大きくなった気がするわ? 子供の成長は本当に早いものねぇ」

「……正妃様におかれましてはお変わりないご様子で、」

「ああ、おべんちゃらはどうでもいいわ。黙りなさい、ルナマリア」

「…………」


 青ざめた顔で黙り込むルナマリア様から視線を外したマリージュエル様は、ぴたりとわたしに視線を向ける。

「ほう……?」と嘲笑うような、馬鹿にするような調子で首をかしげた。


「あなたがココレット・ブロッサムね? なるほど、確かに群を抜く美貌だわ。あと五年も経てば社交界中の男をたぶらかせそうね。あんな化け物には勿体ないわ」


 ……化け物とは、エル様のことかしら。

 わたしは思わずグッと両手を拳に握る。


「なるほどね? こんな娘に微笑まれたら、普段は大人しいあの化け物でも逆上せあがるというわけね。いやぁねぇ、男のさがだわ、汚ならしい。不細工の癖に権力の使い方だけは一人前なんだから。ほんと、気持ちの悪い子……」


 これが本当に実の母親の台詞なのかしら。

 握りしめた拳の内側にどんどん爪が刺さっていく。けれどそんな些末な痛みなど感じないくらいに、怒りでわたしの体が熱くなっていくのを感じた。

 この人がエル様の母親だなんて、神様は酷すぎる。


「それでココレット? ブロッサム侯爵家はなにをお望み?」


 突然尋ねられた言葉の意味がわからず、わたしは目をしばたたかせる。


「いまさら権力の味を知りたくなったのかしら? ココレット、あなたが私のモノになるなら私の陣営に入れてあげなくもないわよ。

 あなたは本当に美しいわ……。どの男のベッドにも潜り込ませられそうね?」


 あまりの言葉に愕然とした。

 実の息子の婚約者候補、しかも十一歳の子供に、なんて台詞をぶつけてくるのだろう。


 もう、無理。

 完全に無理。この人たしかに美人だけど、面食いのわたしでも好きになれない。視界からシャットアウトしたい。


 マリージュエル様は絶対、前世を思い出していないタイプの悪役令嬢、いや悪役王妃だ。

 この人に前世を思い出す呪いをかけてやりたい。飛んできたボールとかで頭を打って前世を思い出した方がいいんだわ、この人は。そして自分が今までしてきた黒歴史に悶えればいいのよ! 前世地球人かは分からないけれど!


 まだソファーに腰を下ろす許可さえ出ていないのに、わたしの心はマリージュエル様を拒絶していた。

 もうこんなお茶会ヤダ……と思っていると。

 急にサロンの扉が開け放たれる。


「楽しそうですね、母上?」


 そこには冷たい眼差しでマリージュエル様を睨み付ける、エル様が立っていた。

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