批評会作品まとめ

水沢

2022.03.15 第1回

タイトル:一宿一飯

 文字数:2018文字




*****



 しんしんと冷えた空気が這う冬の明け方。犬の散歩には少しばかり早く、とは言ってもこの寒さでは散歩を嫌がりそうでもある。そんな早い時間に、一台の車が狭い道を横切っていった。

 近隣住民たちによる共同のゴミ捨て場にはごっちゃりと置かれた不燃ゴミの山。今日は不燃ゴミの回収日のようだ。そんなところに、まるで捨てるかのように置き去りにされていった一人の青年がいた。

 ポリ袋の山に埋もれる彼の姿は洗いざらしのシャツ一枚にジーンズだけと、この季節にしては非常に軽装だ。このまま放置しつづけたら風邪をひくのも時間の問題だろう。

 意識が戻ったらしく、小さな呻き声が聞こえる。何度も吐き出された「うっ」とも「あ、ぐ……」ともつかない吐息は確かな苦悶を訴えているにもかかわらず、何とも言えない色香を滲ませていた。


「ちょっとお、こんなところに置いていかないでよねえ! まったくもう……大丈夫? キミ」


 そんな男に声をかけたのは、一人の女だった。化粧は人並みだが服装は派手で、ボブ風の短い髪が活発そうな、それでいて大きな目元が愛嬌のある印象を与える。

 どうやら置き去りにされるところから見ていたのだろうか。とはいえ、こんな時間帯に一人歩きなど不用心だ。それであっても不審がる素振りも見せずに、まるでその姿を見過ごすほうが寝覚めが悪いと言いたげである。


「……ええ、まあ。俺のことは放っておいて」

「風邪ひきたいの? ほら、行くよ」


 強引にされるまま、小さな肩を支えにふらふらと立ち上がった。踏ん張ろうとして力をこめた足先がツキンと痛む。殴られて腫れた顔や半身よりも、思いきり穿たれた腹部のほうがずうっと痛む。

 支えてくれる彼女はヒールが高く足下が見えないにもかかわらず、カンカンカンと慣れた様子で鉄格子の階段をのぼってく。アパートの二階につくと、右手側に曲がり一番奥のドアノブをまわす。あらかじめ閉まっていることを確認してから部屋の鍵を開けると、大雑把な動きで玄関へと誘う。


「ただいまあ。っと、ちょっと待ってて」


 男を玄関におろした彼女は大慌てで部屋の奥――ちゃぶ台とコタツが置いてあるだけの居間へと急いだ。小さな裸電球がともすだけの部屋だが、ここのところ珍しく雨続きで室内に洗濯物を干しっぱなしだったのを思い出す。

 無造作に吊るしていた派手な下着を隠すように、急いで部屋の隅へどける。そうして男の目に触れないことを祈って、応急処置を施すべく救急箱をかかえた。


「ほら、部屋に上がって脱ぐ! はい、沁みるよお」

「痛……ッ! うぅ……よく変わってるって言われませんか?」

「まあねえ。でもここで見すごしたらヒトとして駄目でしょ」


 脱脂綿に消毒液を含ませると、見るからに痛そうな傷口を丁寧に拭いてやる。傷自体は深く無さそうだが、念入りに拭いてやると、やっぱり表情を歪ませた。ガーゼを当ててテーピングしてやると、一番酷そうな腹部の打撲痕へと移ろってく。

 指先で少し、腫れて鬱血うっけつした箇所を慎重に触れる。そこも同じように消毒してやると、腫れの著しいところに湿布を貼ってやった。


「ヒトとして……。一理はありますが、リスクが高すぎますよ。俺はゴメンです」


 シャツを着なおすと、青年はゆっくりと、女を支えにさせられながら立ち上がる。それから居間を暖める灯油ストーブを消すと、敷きっぱなしの布団へと案内された。そこに横たわると布団が掛けられ、寝つくまで言葉少なに話しこんでいた。




 次に意識が浮上した時には朝だった。近くのブリキ時計を見れば十一時を少し過ぎたくらい、傷は痛むが小腹が空いた。寝入っている家主の女を起こすことなく布団を抜け出ると、小さな冷蔵庫のドアを遠慮がちに開ける。

 その中には袋を開けたままのスルメや、未開封のジャーキーがあった。その有り様に男はまさか、と思う。下のスペースを見ると、そこには缶ビールやカップ酒だけが並んでいる。食材らしい食材は見当たらない。


「どんな生活してるんですか」


 見も知らない自分の心配をして手当をしたり、かと思えば冷蔵庫には食材らしいものが無かったり。まるで理解できない。思わず唸っていると、居間のコタツから起き上がる細身の影。

 適当に厚ぼったいトレーナーを着こんだ彼女は、財布をバッグにしまって目を擦る。まだ眠たそうなのは言うまでもない。だが、今から近所のスーパーに並ばないと朝食を食いっぱぐれることになるだろう。


「留守番してて。買い出し行ってくる」

「それなら適当に俺が作りますよ。気をつけて」


 少し遅い朝、出かけぎわ。誰かに見送られるなど、ずいぶんと久しぶりになる。それは女が上京してくる前の――まるで実家にいた頃みたいだ。

 スニーカーを履き潰すと、彼女は近くの店を目指す。今日は卵が特売の日で、米まで安く売っていたのは想定外だ。そうやって順調に食材を調達していくと、真っすぐアパートに帰る。待っていた男が作ったのは、意外にも可愛らしいオムライスだった。




【完】

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