医術士タミヤと双剣の守護者
草群 鶏
僧都にて
双剣の守護者
砂塵に霞む地平線から、いくつもの尖塔と大きなドームが顔を出す。さらに進むと、視界いっぱいに広がる市街地が見えてきた。大きな街だ。地面からそのまま生えたような赤褐色の建物群。風吠える荒野を渡ってきた耳に、街のざわめきが心地よい。人の暮らす土地の気配がする。
逸る気持ちを抑え、タミヤは滑るように乗騎を降りた。愛馬ヒサメの鋭い爪に靴を履かせ、鋼の鱗に覆いをかける。街へ入るための一種の儀式だ。
街の外縁には建物が隙間なく並んでおり、街の規模に比してささやかな青銅色の門が一定間隔で設けられている。さながら勝手口で、門番はタミヤの手を見るなり道をあけた。
薬草や鉱物で黒ずんだ指先と魔術により施された同色の蔦模様は、医術士の二重の身分証明だ。タミヤがこの道を志したのは、自身の好奇心と生業とに折り合いをつけた結果でもある。これがあれば、どの街へもほぼ無条件で入ることができるのだった。
「おお」
濃密な都市の迫力に思わず感嘆の声が漏れ、ヒサメが傍らでぶるりと身震いした。
つづら折りの大通り、細い路地が縦横を駆け、暮らしと商いと多くの人が入り乱れる。道に迷わないですむのはどこからでも見える建物があるためだ。門と同じ、青銅色のドームと尖塔群。中央には、街の秩序であり大陸有数の規模を誇る僧院が聳えている。
何はともあれ腹ごしらえだと、タミヤは手頃な店で腰を落ち着け、連れの獣を傍らに侍らせた。旅先ではまず名物を試すことにしている。ヒサメに水を与えつつ、通りがかった店員におすすめ料理を出してもらうよう声をかけた。
ほどなくして、こんがりとした包み焼きが供された。きつね色の生地を割って、顔いっぱいに複雑な香辛料の香りを浴びる。ほんのりとまじる甘さの正体は色鮮やかな野菜、それと繊維の揃った鳥のものらしき肉。いずれも蒸し上がってホロホロになっている。生地の塩味と合わせると大変に美味だ。
「……当たりだな」
ヒサメが興味を示したので、最後の一口は皿ごと渡してやった。
食後、乳入りの甘ったるいお茶をなめていると、獣がガシャリと鱗を鳴らして首をもたげ、地面が震えた。タミヤも荷物を抱えて身構える。旅慣れているとはいえ、タミヤは荒事には向かない。童顔で舐められやすいこともあり、面倒事は極力近寄らないようにしている。
しかし、今回はそうもいかなかった。
ヒサメがやおら立ち上がり、タミヤを振り返る。獣は危険の気配と血の匂いに敏感だ。どこかで血が流れているが、ヒサメはあくまで落ち着いている。医術士の出番、ということだ。
ヒサメの後をついて細い路地を行く。両側の建物が高くなるにつれて薄暗く空気が淀んで、そのぶん気配や匂いが残りやすい。そのうちタミヤの目にも異状が映った。複数の使い手による魔力の痕跡。この先にいるのは、おそらくただの怪我人ではない。
行き着いた先は忘れ去られた物置のような場所で、そこが行き止まりだった。ヒサメの手綱を短く保ち、用心して足を踏み入れる。暗さにはとうに慣れたが、空気が粘り気を含んで重く、感覚が効かない。声を出すのも憚られたが、タミヤは意を決して呼びかけた。
「誰かいますか……」
自分の息遣いと、ヒサメがたてる硬質な音。反応はないように思われた。
と、どこかでふっと気配がゆらぎ、振り返ろうとした鼻先に閃光が走る。とっさに動きを止めたタミヤは視線だけ巡らせて首元をのぞき、そして激しく後悔した。よく見なくても気配でわかる。焼けた鉄のごとき暗い赤、その禍々しさは血を欲し血を啜って力の糧とする魔剣のもの。いま生きながらえているのが奇跡だ。
視線を魔剣の持ち主に移す。大柄な体躯に精悍な面立ち、こちらを見据える鋭い目つきには一瞬ひるんだが、そこにはたしかに年齢相応の落ち着きと理性の光があった。だがわずかな明かりのもとでも、頬骨が浮いて目元に暗い影が落ちているのが見て取れる。
いちかばちか、タミヤは空いているほうの手をそうっと持ち上げた。
「僕は医術士です。害意はありません。あなたを助けに来ました」
男がぐっと目を凝らす。薄暗がりでは色を判別するのは難しかったようで、腰から青白い光源を引き抜いた。あたりが一層明るくなり、色彩が戻った。
タミヤは目を疑った。
(どういうこと?)
あらわれた光の清らかなこと、それはすらりとした刀身に精緻な装飾の施された宝剣であった。高位の聖職者が持つような代物、すなわち聖具である。
困惑するタミヤをよそに、男は突きつけた刃を下ろし、そのまま力尽きるように膝をついた。ヒサメが力づけるように鼻面を押し付ける。ヒサメの人を見る目はたしかだ。タミヤは男に楽な姿勢をとらせ自前の明かりを灯してから、慌てて魔法具と薬草の準備にとりかかった。
薬効の高いもの、栄養のつくものを目分量で調合し、身体の回復を促す魔法を重ねる。同時に、方陣を描いた地面に男の傷だらけの身体を横たえ、魔力の流れを一時的に止めた。すると、二振りの剣の光も消えた。魔剣が放つ力を聖剣が浄化する、この延々続くサイクルに男自身も組み込まれていたようで、それが一番の命取りだと見抜いていたタミヤはひとまずほっと胸を撫で下ろした。
医術士としての腕は人並みのタミヤが旅先で食うに困らないのは、ひとえにこの能力のおかげだ。魔力の痕跡、生命の巡り、他の人間には見ることのできない力の流れを読み分けることができる。一方、男の身体を流れる力は常人と著しくかけ離れていて、圧倒的な魔力の流れに対し、生命力はあまりに儚い。
(これはもう、人ではない)
人としての彼の器は空っぽになりつつあった。タミヤが調合した薬が果たして役に立つのか、しかし薬を飲んでいくらもしないうちに、男は身体を起こして剣を手に取ろうとする。
「まだいけません」
「はなしてください」
予想外の敬語に面食らったが、制止の手は緩めない。男の様子から、話の通じる相手だと信じて語りかける。
「どうしても行くって言うなら、納得いく理由を教えて下さい。このまま行かせて死なせたら、手を尽くした僕がばかみたいじゃないですか」
あえて強い言葉を選んだが、本音である。命を粗末にするのは許さない。こちらを向いた男に畳み掛ける。
「死なれたら僕の夢見が悪い。第一、あの剣はなんなんです。まったく真逆の力を同時に使おうなんてどうかしてる。一体どういうつもりなんですか、それとも本当に死ぬ気ですか」
まくしたてながら、いくらか冷静さを取り戻した。ひとつ深呼吸する。
「そんなにボロボロになって、一体何があったっていうんです」
言いながらタミヤは気づいた。あんなに賑やかな街の裏でたったひとり、己の命すら投げ出そうとする人がいる。それが悲しかった。ただ、この人の無茶には理由があるはずだ。きっと、チンピラの無鉄砲とはわけがちがう。
男はしばし逡巡してから、タミヤを向いて座り直した。
「光あるところには、かならず影が生じます」
「それは剣のことですか?」
「いえ、世の中の話です。そしてそれは、この街も例外ではない」
離してください、と静かに請われて今度は引き下がった。男はタミヤの見守る前で剣を二振りとも鞘におさめると、かいつまんで身の上を語った。
彼はショウビ、タミヤの予想通り僧院でも高位にあり、現在は自らの意思で街の影に潜っているのだという。
「清濁あわせのむ、というやつです」
「あなたがすすんで汚れ役を買って出ているということですか」
「そう、この邪な力も必要悪として黙認されている」
そう言いながら魔剣の柄に手をかけた。足りない力を魔剣で補うだけのはずが、振るう機会が多いのは専ら魔剣で、いまは自らを蝕む邪な力を退けるためばかりに聖剣を必要としているという。
けっきょく魔性の浄化よりも、単純な力が物を言うということ。タミヤが久しく忘れていた、都市と人間の暗部に触れる話だ。
「でもそのやり方では、貴方の身が持たない」
「構いません」
「僕は構うんですよ!」
思わず出た大声にショウビが目を丸くする。ヒサメまで鼻を鳴らすので、タミヤはつい笑ってしまった。
「とはいえ、通りすがりの僕が貴方の生き方を変えられるとも思わない。だから、僕もついていきます」
途端に男の眉間の皺が深まった。
「冗談はいけません」
「冗談じゃない」
タミヤは負けじと言い返す。
「過ぎた力は呪いとなりましょう。ですが僕は医術士です。身体を流れる力を御して調えるのが仕事です。そのふたつの剣とあなたのつながりを僕が見極め、しかるべきあり方に収めてみせます」
これはタミヤにしかできない業だ。そう信じるからこそ、引くわけにはいかなかった。
二刀を思いのまま操るショウビの剣技は美しく、また魔力も激しい勢いで循環していた。
賊のアジトに単身乗り込んだ彼の大立ち回りを、タミヤは物陰のさらにヒサメの影から観察した。魔剣の威力は凄まじく、追う聖剣の軌跡が放った災禍を浄化していく。案の定、その力はショウビ自身にも向かっており、タミヤが気休めに用意した護符がなければ自滅していたに違いなかった。
正義を掲げて破壊の限りを尽くしたのち、ショウビは浮かない顔で戻ってきた。
「どうしたんです」
彼の口元に苦笑が浮かぶ。
「治安維持のためとはいえ、破壊そのものは悪でしょう。やはり気が咎めるのです」
「そういうものですか」
これを受け、タミヤはひとつの仮説をたてた。自らを罰する彼自身の気持ちが、聖剣の働きに作用しているのだとしたら。
「いっそ聖職者なんてやめてしまったらいいのでは」
「何を言い出すんです」
「貴方には魔性の力に頼ってでも人を守ろうという信念がある。その信念にとって、貴方の信仰はもはや窮屈なのでは?」
ショウビは口をぱくぱくさせている。興がのったタミヤはこんな提案も付け加えた。
「なんなら僕らで組みますか?」
予想外だったのは、差し出した手に応える手があったということ。こうして二人は道なき道を歩みだすのだった。
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