第34話 凸凹な二人
杉原と山並のうしろ姿を見送って、一仕事を終えた安堵から、エリコは唇から息を漏らした。
(杉、お膳立てはここまでよ。頑張りなさいよね)
「柳澤さん」
背後から声をかけられ、エリコは振り返った。
そこには強面でガタイのいい、自分達のクライアントが立っていた。
「鮫島さん、今日はお部屋お貸しいただきありがとうございました」
「ねえ、彼。大丈夫なの?」
疑いの眼差しで大柄な男––––警視庁公安部外事課課長の鮫島はエリコを見ている。
「……杉のことでしょうか」
「うん。どっちかっていうと、尾行とか、要人の身辺警護とか。武闘派のイメージがあったんだけど。諜報活動、できるの? あんな感じで」
「うちは少数精鋭のチームですから、みんな満遍なくできるように訓練しています。杉は今みたいな任務に関しては駆け出しですが、頑張ってくれていますし、私は期待しています」
「……そう、まあくれぐれも失敗はしないでよ。先週、アメリカの最新戦闘機の発表があったが、例の国で全く同型の戦闘機のお披露目式が今週あったそうだ。性能や構造もほぼ一致。どう考えても設計図が盗まれたに違いない。––––三河重工の例の情報が漏れたらコトだ。世界の力関係がひっくり返る」
「重々承知しております」
「くれぐれも頼んだよ。次回の報告で明るいニュースを聞けるのを楽しみにしているから」
そう言って踵を返し、本庁の奥へ向かっていく大きな背中を、エリコは黙って眺めていた。
(……あの人も、私が公安にいた頃に比べるとだいぶ白髪が増えたわね。まだ若いのに。本当に、大変な時代になったものだわ)
⌘
「どうぞ」
「ああ……どうも」
「……」
「……」
警視庁本庁の裏口から出た私たちは、近くに停めてあるという彼の車まで歩いて向かい、たった今その車に乗り込んだところだった。
用意されていた車は、少し年季の入った白い国産のハイブリットカーで、乗り心地は抜群によかった。ただ、車の乗り心地云々の前に、車内の空気が非常に居心地の悪いものではあったが。
ゆっくりと音を立てずに車は走り出した。このタイプの車には何度か乗ったことがあるが、ほぼ発進音がしない。まるで滑るように地面を進む様が印象的だった。
「どこに行くつもりですか」
「山並さんはどこに行きたい? どこでもいいよ」
チラリと杉原さんの横顔を見ると、またあの出逢った時の仮面をはめたような顔つきになっていた。
「……それ、演技なんですよね」
「え」
「その、なんかスマートさを売りにしたような、当たり障りない雰囲気イケメンみたいな応対、私ちょっと苦手なんです」
明らかに当惑している。でも恋人役をやるなら、もうちょっと打ち解けてくれないと。そんな態度でいられたら、こちらも余計かしこまってしまう。ただでさえ、歴代の彼氏から「淡白な女」というレッテルを貼られているのだから、外から見て自然に見えるように少し砕けた関係を作っておくことは必要だと思っていた。
「さっき笹嶋さんにババアって口走ってましたよね」
「あ、いや、あれは」
「あっちが本性なんですよね」
「……はあ、やっぱキッツイねえ。君は」
そう言うと、杉原さんは車線変更をし、首都高方面に向かい始めた。
「海にでも行きますか。都心よりもその方がゆっくり話せるし。おっしゃる通り、もうちょっと打ち解けておいた方が、今後も進めやすいだろ」
杉原さんの運転で東京を抜け出し、神奈川県の某所にある海辺に私は連れ出されていた。博物館が近くにある小さな砂浜には、散歩に来た老人や子連れの親子が数組いるくらいで、閑散としている。
有名どころだと人が多すぎて、込み入った話はできないから、と彼は言った。
近くにお店もないような場所だったので、砂浜と道路を一本隔てた向かいにある公園に設置された自販機で、杉原さんは二人分のコーヒーを買ってきてくれた。
軽く会釈をしながらお礼を言い、渡されたコーヒー缶のプルトップを開ける。久しぶりに味わう缶コーヒーの味は、なんだか異様に甘ったるく感じた。
「私はあなたと、どれくらいの頻度で会ったらいいですか」
「できればコトが終わるまでは毎日」
「……はぁ。仲のいい恋人でも、毎日はちょっと多いんじゃないですか」
「同棲してたら毎日でしょ」
「同棲って……いやいやいや、無理無理! 捜査協力って言ったってそんなの」
「俺も山並さんには悪いと思ってるけど。相手が悪いんだよ」
「そんなやばい犯罪グループなんですか」
「やばいね、任務に失敗したヤツを殺すくらいには。そのうち分かる事だから伝えておくけど、ジョン・キンバリーは殺された。君は三河重工の最重要機密情報への突破口として、奴らに認知されている可能性が高い。この後どんな手で奴らが山並さんに接触してくるかはわからないんだよ」
「殺された」という一言に、脳天を貫かれたかのようなショックを覚えた。私を脅してきたヘッドハンター。つい先日向かい合って話した人間が、もうこの世にはいないという事実に、私は戦慄する。
私の気落ちした雰囲気を悟ったのか、少し間を開けて、杉原さんは話を続けた。
「だから。いきなり今日とかは無理だろうけど、近いうちに部屋を移ってほしい。今の部屋はとりあえずそのままでいい。同居先はうちの組織が用意した部屋で、本当の俺の部屋じゃないから、キチンとプライバシーは確保できる作りになってる」
「……もうっ、そういうの書類にも書いといてくださいよ」
「色々気を回さなきゃいけないことがありすぎて、任務に必要なことを書類にいちいち書いてたら、仕事にならないんでね」
これまで丁寧に説明していたのに、こちらの態度にムッとしたのか、杉原さんは突っかかるような言い方をしてきた。思わず顔を上げて彼の顔を見上げると、「しまった」という顔をしている。多分、咄嗟に素が出てしまったのだろう。
その顔を見ていたら、なんだか笑いが込み上げてきて、頬が緩んでしまった。
(なんというか。笹嶋さんと違って、ほんとこの人、スパイっぽい仕事向いてなさそうだよね。思い返すとちょいちょい素が出ちゃってるし)
「……気にしなくていいですよ。そういう人間らしい表情の方が、私は好きです。そんな感じで、率直に言ってくれた方が、私は話しやすいので」
そう言って笑いかけると、なぜか相手は背筋をピンと立てて目を見開き、頬を染めていた。
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