第24話 手がかり
彼女の帰路は事故が起きた路線ではなかったため、電車は遅れてはいるもののなんとか帰れるようだ。
家の近くまで送ろうかと申し出たものの、断られた。付き合いの浅い異性の知人に自宅を知られるリスクと、脅迫された直後の心細さを天秤にかけた結果。どうやら俺は信用度で負けたらしい。
(初めの軽薄な態度が尾を引いてるな、こりゃ)
今更そんなことを後悔してももう遅い。失われた信頼は地道に積み上げていくことでしか取り戻せない。
あくまで紳士的に、最寄り駅まで山並美冬を見送ったあと、俺は虎ノ門へ戻る方面の電車に乗った。
時刻は十時を回っていたが、少し離れた先にある霞ヶ関の省庁の窓には、煌々と明かりがついていた。俺が成人と呼ばれる歳になる頃には、既に働き方改革という言葉は叫ばれていた気がするが。そう簡単に染みついたカルチャーは拭えないらしい。
(しかし、即始末とは。物騒だねえ)
たとえ山並美冬に顔がバレたとしても、他のターゲットに使いまわせば良いという考え方もできる。それがすぐに消されてしまったということは、それだけ過激派の組織ということか、あるいは尾行がばれていたか。どちらにせよこんなに簡単にトカゲの尻尾切りをする組織なんて、絶対碌な奴らではない。
頬に、雨粒が落ちた。いつのまにか小雨が降りはじめていたのだ。顔についた水滴を拭い、群青色のタイルのビルへ向けて、歩みを早めた。
薄暗い階段を登り、ところどころ錆びた、薄いクリーム色の金属の扉を開ける。
「先輩、遅いっすよ。で、ターゲットの懐にはうまく入り込めたんですか? あ、この時間に来るってことは、何もないかぁ」
開口一番そう話しかけてきたのは、後輩の江戸だった。基本的には自分の個別案件に集中しているが、人的余裕がそんなにないチームのため、俺の仕事も単発で手伝ってくれている。
軽口をたたいてはいるが、江戸の顔は死人のように真っ青だった。無理もない。人間一人が鉄の塊に粉砕される姿を、目の前で見てしまったのだ。こういう仕事をしているからといって、誰もがそんな場面を見慣れているわけではない。多少のからかいには、今日は目を瞑ってやろうと思った。
奥から、三人分のティーカップをトレーに乗せた「笹嶋」こと、我らがボスが現れた。爽やかなアップルティーの香りが、殺伐とした空気を少しだけ和らげた気がする。
「……で、やっぱ犯人は、わかんないのかよ」
俺の質問には、江戸ではなくボスであるエリコさんが答えた。
「江戸くんはキンバリーの斜め後方から観察してたってことなんだけどね。電車が入ってくるのに合わせて、キンバリーがホームに倒れ込んだんだって」
キンバリーが電車に轢かれたのは、ホームドアのない駅だった。それまでスマートフォンをいじっていたはずなのに、突然意識を失ったようになって自らホームに倒れ込んだそうだ。
「突然の出来事で一瞬目をそらしちゃったんすけど、キンバリーの後ろに立ってた男がいなくなってた気がするんす。多分その男が何かキンバリーにしたんじゃないかと。駅の監視カメラの映像は入手できてるんで、今マリンちゃんに分析してもらってます」
俺はため息をついて、手近にあったデスクチェアに腰掛けた。暗殺するために近づいてきたのであれば、変装はしているだろうし、当然監視カメラも意識して動いているだろう。しかも時間帯は午後七時に差し掛かる頃。乗り換え駅で客の多い事件現場は、人で溢れかえっていたはずだ。犯人の特定は不可能に近いだろう。
「で、先輩の方はどうだったんすか。キンバリーが山並美冬から受け取ったのは」
「見るか?」
「げ、あの子、先輩に渡しちゃったの? この書類。不用心だなあ」
「まあ、素人から見たらデタラメな書類だろ、ただの。ま、残念ながら隠された暗号でもなんでもなくて、結局本当にデタラメな書類だったんだけどな」
キンバリーから奪い取った書類の一枚目は「美味しいご飯の炊ける炊飯器の設計図」だった。ネットで一般に公開されている、国内メーカーの炊飯器のもの。ただそれを、機密書類のように見えるように加工しただけだった。二枚目は全くのデタラメな文書の羅列。なお、三河重工は炊飯器なんぞ取り扱っていない。社内の重要書類ではないことを確認し、山並は俺に書類を預けた。
「あー、なるほど。これをそれっぽく見せつけて、手駒にしようとしたわけだ、彼女を」
「そういうこと。まあ、社内に内通者がいるってわかったってことは収穫だな。彼女はパンフレットを机の上に置いたままにしていて、知らぬ間にこの書類を差し込まれていたらしい。一応指紋鑑定に回して、結果を見る」
江戸はアップルティーにふうふうと息を吹きかけ、ちびりちびりと飲んでいる。チャラいくせに猫舌なのだ。
「しっかし、物騒ねえ。下っ端の尻尾きりに、社内の内通者か。とりあえず、杉はもう少しターゲットに入り込むことに注力して。尾行に気づかれていた時のことも考えて、人員の配置は考え直す。キンバリーの死体からなんらかの毒物が出ればそれもヒントになるわ。得られた手がかりを足がかりに、着実に敵の正体を暴くのよ」
「ヘイ、ボス」
少しふざけた調子でそう答えると、「エリコさんでしょ!」と嗜められた。呼んでたまるかと嘯きながら、俺はアップルティーを口に運んだ。
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