第14話 くだを巻く女
アーベントという店名は、ドイツ語で「夕方」という意味らしい。
山並美冬と再度接触したその店に、俺は「笹嶋」の指定時刻きっかりに到着した。
「笹嶋」からのメッセージによると、彼女とは先に合流して、ハッピーアワーから飲み始めているという。都心のキャリアウーマンとしては随分と早い終業時刻だな、と思いながらドアを開けたが。その謎は間も無く解けることとなった。
「あ! でた、イケメン男。え〜笹嶋さん、あの人も呼んだんですかぁ」
「いいじゃな〜い。お酒の席は人数多い方が楽しいでしょ。それに、私あなたとの共通の知り合い、この人しかいないんだもの」
「そんなこと言って! 私がシングルだからって、世話焼きしようとしてるんじゃないんですかあ。その手にはのりませんよ〜」
(随分と出来上がってるな……まだ七時だろ?)
ターゲットは、すでにだいぶ呑んでいるようで、明らかに目が据わっている。こういう状態になってしまった女と、一体何をどうすればお近づきになれるのか、俺の経験値では全く見当もつかない。
さっさと勝負を決めてしまおうと、息を巻いてきたにも関わらず。思わぬ難所の登場に、すでにお手上げ状態となっている自分に情けなさを覚えた。
「遅れましてすみません。……何か、あったんですか?」
ここで立ち止まっていても仕方がない。恥を偲んで「笹嶋」に助けを求める。
すると笹嶋が何か言う前に、山並美冬がテーブルを平手で打ち、恨み言を言うように語り始めた。
「……女の子は先に帰れって言われたんです」
「え?」
「今日、このあと、土砂降りの予定ですよね。横殴りの雨になるかもしれないから、『女の子』は先に帰れって、指示されたんです」
なるほど合点がいった。例の部署は男世帯だと聞く。そして歴史ある閉鎖的な企業であることを考えると、花形部門における女性社員は「労働力」ではなく「優秀な社員の見合い候補」とでも考えられているのだろう。そういう企業はこれまでこの仕事に取り組む中で、五万と見てきた。
ダイバーシティ・インクルージョンだの、女性活躍推進社会だの、どんなに声高に叫ばれていようとも。長年染み付いた慣習が、そんなに簡単に塗り替えられるわけがない。大体は間に合わせの改革で、綺麗に整えられた漆喰の裏は、時代錯誤なたぬきどもの巣窟と化している。実質など伴っていないのだ。
これまで経理部門で確かなキャリアを築いてきた彼女にとって、「女の子」扱いは相当自尊心を傷つけられただろう。
(まあ、今回に限っては、わざとそういう言い方をしているのかもしれないが。本人にとっては辛いだろうな)
「もう、あったまきたっ! やっぱり転職してやる。転職してやるんだから……」
「まあまあ、あんまり焦って変な企業掴んじゃってもアレだし。もうちょっと頑張ってみたら?」
「やめたくない気持ちもあるんですよ? 確かに部署異動したばかりだし、弱音を吐くなんて早すぎるとも思っているんですけどっ。あ、でも、ビジネスSNSには登録して、自分の市場価値を確かめてみようとは思ってて……」
笹嶋と視線があった。悪くない流れだ。不特定多数の人間に彼女の経歴を晒すというのは、こちらの計画としては願ってもない話だった。
「ああ、俺もね、ビジネスSNSをよく使ってるよ。実は今の会社も、ビジネスSNS経由でヘッドハンターからオファーを受けたんだ」
彼女の意欲を掻き立てようと、すかさず言葉を投げかけてみる。こちらにほとんど視線を向けてくれなかった彼女だったが、俺の言葉に多少は興味を惹かれたようだった。
「そうなんですかぁ? 私、登録はしたことあるんですけど、転職で活用したことはなくて……確かに、だいぶ前に登録した時は、なんだかよくわかんない人たちから、いっぱい連絡は来てた記憶がありますけどぉ」
「ヘッドハンターは、非公開求人もいっぱい抱えてたりするから、聞くだけ聞いてみるのもいいと思うよ。俺も実際に何人かと会って、自分の経歴とか、キャリアへのビジョンを話して、何社か希望にあう会社を紹介してもらったんだ。その場で決めなくても、継続的に案件があった時に紹介してくれたりもするし」
ほとんど目は開いていない彼女だったが、頭を上下に振っているところを見ると、おそらく会話の内容は頭にはいっている……と信じたかった。
「いいんじゃない? ものは試しよ。何より転職サイトとかに登録するよりは手軽に情報を得られるし、私もやってみてもいいと思うわ」
笹嶋のコメントには、彼女は目を見開き「そうですよね!」と、まるで女神にでも感謝するかのように頷いている。
思わず苛立ちを顔に出した瞬間、笹嶋に射殺すような目で睨まれてしまった。
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