第十四章 恋は思案の外(4)

 


「あれは私の妹で、たにという。家中の岩本家に嫁いだのが、実家さとに来ていただけだ」

「へ……っ、いも……?」

 呆れ返ったように言う銃太郎に、思わず声が裏返る。

「いもうと、だ。変なところで詰まるな」

「妹……。すまぬ、早とちりしてしもうたの」

「私には妻女どころか、まだ許嫁もいない」

「そ、そうか……」

 耳がかあっと熱くなったが、同時にふっと重石が外れたような心地がした。それと同時に思わず笑いが込み上げそうになり、瑠璃は助之丞を振り返る。

「わっ私も阿呆じゃの! てっきり御新造かと──」

 間抜け振りに助之丞も笑っているものと思ったが、瑠璃の目に映った助之丞は、真顔のまま銃太郎を見ていた。

 殺気こそないが、視線が鋭い。

「まあ確かに、もう御新造迎えてもおかしくないもんな。お父上も銃太郎さんのお相手を探してる頃でしょ」

 瑠璃姫が咄嗟にそう思ったのも別に不思議じゃない、と更に続ける。

「いやぁ、やや子と言えば、うちの兄夫婦にも去年やや子が生まれてさァ。松之介っていうんだけど、これがまた可愛くて。瑠璃姫も今度会ってやってくれよ」

 な? と同意を求めてその視線が瑠璃へ移ろったときには、既にいつもの優しげな眼差しに変わっており、つい口を挟めずに終わったのであった。

 

   ***

 

 鳴海は呻吟していた。

 次代を継ぐのは若君、五郎である。

 なればこそ、幼き時分よりその身辺に仕えてきた瑠璃を夫人の座に推すことは当然。瑠璃も住み慣れた土地と慣れ親しんだ面々から引き離されることなく、藩主を支えて存分にその天性の資質を活かせる。そう信じてきたが、先程の青山助之丞の言が深々と突き刺さって抜けずにいた。

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」

「おい、うるさいぞ大谷」

 番頭詰所に戻ったはずが、物思いに耽るあまり間違って家老の間に入り、その上暫く気付かぬままに丹波の目の前に座り込んで唸り続けていた。

 丹波が漸く声を掛けたところで、鳴海はやっと唸るのをやめたのである。

「はっ!? 丹波! ……どの!」

「敬称をつける気があるならもう少し間を縮めて付けてくれんか」

「な、なにゆえ丹波殿がおられる!? 私がこれほど悩んでいるというのに何用か?! 目障りな!」

「いや、おぬしが勝手に入ってきたのだが」

 鳴海の奇行には慣れたつもりの丹波も、呆れて声を落とした。勝手に部屋に侵入され、目の前で唸り続ける奴に目障りだと言われて怒らない家老は他にあんまりいないと丹波は自負する。

「して、何をそんなに悩んでおるのだ」

「よくぞ訊いてくれた、丹波殿。流石は家柄で筆頭家老に上り詰めた男」

「貶しっぷりまで勇猛果敢か貴様。話を聞かんと出て行きそうもないから訊ねたまでよ」

「実は予てより瑠璃様に近付く不埒な輩に頭を悩ませておりましてな」

「………」

 丹波は露骨にまたか、という顔で鳴海を見返す。

「近頃は富みに不届き者の多きことを憂いていた──。ところがだ。先程、口惜しいことにこいつはなかなか見所がありそうだという者を見出してしまった……」

「ほう」

「青山助之丞……。奴は殿の定めたる御意向に添いつつも、それが万一瑠璃様を苦しめた時、我が身を捨ててでも瑠璃様をお守りすると……!」

「ふむ、おぬしと同類であったか」

「私は……私はこれまでずっと、瑠璃様にはのびのび愉快にお健やかにお暮らし頂きたい……そう願って参った! しかし近頃の私は偏に次期藩主夫人の座には瑠璃様こそ相応しいと信じて疑わず! 肝心の瑠璃様の御心を顧みようともせず! 身命を賭してお仕えすると誓ったあの日が!! 今!! ああぁあ私は何と愚かな!!」

「瑠璃様は充分のびのびしとるわ」

 丹波の合いの手は全く聞こえていないと見えて、鳴海は頭を抱え、天井を仰いだかと思えば深々と腰を追って蹲る。

 そこへ襖の向こうから、やや遠慮がちに男の声が掛かった。

「あー……そろそろ入っても宜しいでしょうか」

「誰だ? 入って構わん。来たついでにこやつを持って行って貰えると助かる」

「た、ん、ば、ど、の!? 聞いてござるか!? 私がこれほど懊悩しているのに、構わんとは何事か! 構え! ちょっとは構え!?」

「知るかたわけ!」

 がしりと袖にしがみつく鳴海と、それを振り払う丹波。

 そこへ入室したのは、用人・青山助左衛門であった。

 今は苦笑を浮かべているが、端整な面立ちで、かつ人当たりの良い気性の穏やかな男だ。こういう男は若いうちは目立たぬものだが、歳を重ねるごとに人の好意を集める。齢五十も半ばで尚清廉さを備えた男であった。

「助左衛門殿、いや、よう来なさった」

「丹波殿まだ話は終わっておりませんぞ!?」

 食い下がった鳴海はしかし、助左衛門という名を耳にした途端にがばりと身を起こすと、丹波を押し退けて助左衛門を凝視した。

「助左衛門殿……!!」

「な、何でござろうか」

 老練の助左衛門ですら些か身を仰け反らせてしまう勢いで、鳴海は真正面から迫りその両の上膊を捕まえた。

 何を隠そう、この助左衛門こそがあの助之丞の父なのである。

「貴殿の二男はなにゆえあんな色男なのか!? 瑠璃様を慕いながらも慎み深く己を抑制し、且つ瑠璃様を害さんとする全ての敵を薙ぎ倒す覚悟があると! 尊き御方の御心を安んじることこそ己が責務と宣言したのだ! この私を差し置いて一体何なのだ!? よもや貴殿の血筋が瑠璃様を誑かすとは──!!」

「鳴海殿、ちょっと喧しくて何を申されておるのか分かりかねる。愚息が何か失礼を申しましたのか」

「貴殿の二男をこの私の養子にしてやらんでもない!」

「………」

「助左衛門殿、そやつの頭はてんやわんやの真っ最中。要するに貴殿の二男を大層気に入ったと申しておるのよ」

「ははぁ、有り難いのか迷惑なのか判断に迷うところですな」

 それで、と助左衛門の用件を促すと、丹波は容赦なく鳴海を部屋の外へ押し出してぴしゃりと襖を締め切ったのであった。

 


【第十五章へ続く】

 

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