第八章 獄中からの上書(1)
「本当にそんな素っ気ないことで宜しいんですか」
奥御殿から堂々と表へ向かう瑠璃に付き添い、澪が畳廊下をやや早足で足袋を擦りながら後を追う。
瑠璃は普段通り木綿の小袖に袴姿、瑠璃付き女中の澪のほうがまだ姫君に近い格好だ。
「義弟君とお話すらなさらないなんて……、砲術なんてあとで幾らでもお出来になるじゃないですか」
藩主とその養嗣子が国入りしてから三日。
流石の澪もなんとか引き留めようとあれこれ説得して食らい付いてくる。
が、瑠璃は構わず表御殿へ繋がる廊下をずかずかと渡って行く。
「挨拶なら済んでおる。何なら澪も一緒に砲術習うか? 楽しいぞ、色々と」
「だからそうじゃなくてですね、殿もご病状が優れず臥しておられますし、お見舞いなさるとか! それでなくとも若様に不審がられますよ……!」
「別に構わんじゃろ、父上だとて既に見舞ったし、私のやり様は御承知のことじゃ。こーんな義姉であることは五郎殿とて覚悟の上であろう」
引き留めようとする澪と、構わず突き進む瑠璃に、廊下の端から声を掛けた者があった。老齢の男だ。
「恐れながら姫様」
顔を伏したままではあったが、見覚えがある。
その皺深い手を流し見てから、瑠璃は男の正面に屈んだ。
「顔上げて良いぞ? 何か用か?」
「ちょっと姫様! 貴方も何です、姫様に直にお話になるなど!」
澪が賺さず牽制し、瑠璃にもそばを離れるよう促した。
「無礼は承知の上なれど、是非にも姫様に御願い申し上げたき儀がございます。何卒お聞き入れ下さいますよう」
嗄れた声が告げ、男がその顔を上げた時、瑠璃は漸く気が付いた。
「……和左衛門じゃったか、久しいの」
これ程早く動いてくるとは思わず、油断していた節も否めない。
内心でしまったとは思ったが、足を止めた以上は話だけでも聞いてやらねばなるまい。
「そなたの御願いとやらを聞いてやれるかは別として、話があるなら聞くぞ」
世子五郎君の傅役である男は、老いて肉の削げ落ちた顔でも尚、眼光鋭く瑠璃の目を射抜く。
質素倹約を旨とする家中でも、
「姫様はいずれ若様の御正室となられる御方。若様も姫様に大層ご興味を抱いておられます故、何卒──」
「瑠璃様! まだこんなところにおられましたか。最早皆集まっております、お早く広間へ御出まし下さい」
和左衛門の口上を遮り、一際明朗な声が響く。
声に釣られて顔を上げると、悠然と歩み寄る新十郎の姿があった。
今も正に道を違える父子の間に身を置き、瑠璃は背筋に緊張が走る。
「おや、これは養父上。お話し中のところ恐縮ですが、瑠璃様はこれから執政会議に御出ましです。如何に若君のお召とて、この緊急時においてはこちらをご優先頂かねばなりません。何卒ご容赦頂けますよう」
新十郎の面持ちは平素と何ら変わりなく、しれっと流れるように並べ立てる。
「か、会議……?」
そんな予定は元々無かった。
緊急に召集をかけたのだとすれば別だが、新十郎の意図するところは明白である。
恭順派の一切の接近を許さぬ心積もりなのだろう。
瑠璃を立たせて自らの背後に引き込むと、新十郎はちらりとこちらに目配せる。
話を合わせろということだろう。
「しかしだな、私はこれから道場へ──」
「ハハハ、左様でしたか。それでも広間へ御出まし下さい。座上もお待ちですのでな」
「ああ、丹波殿もおるのか……面倒じゃの……」
腹の中はどうあれ終始にこやかに話を進める新十郎だったが、和左衛門も易くは退かない。
両者同様に用人の立場でありながら、一方は藩主左京大夫の意向を推し、また一方は世子を担ぎ上げ異論を唱える。
「新十郎、それは本来殿の御役目であろう」
「殿には元よりの御病躯を押しての長旅、今は臥しておられますれば」
「ならばその役目、若様にこそ御出まし頂くのが道理ではないか」
双方淡々と、しかしどちらも譲らぬ問答を経て、新十郎の声が僅かに剣を含んだ。
「養父上も既にご承知でしょうが、今や瑠璃様は殿に並んで家中の拠り所となられている御方。宿老方も常より瑠璃様と談義を重ねておられます」
談義を重ねるのくだりは当たらずも遠からずといったところだが、内実は丹波の愚痴を聞かされているだけである。
家中の皆の拠り所だなどという事実も特にないだろう。
だが新十郎はさもそれが今の城内の実情であるかのように、流暢に言ってのけた。
(よう回る口じゃの)
半ば呆れて新十郎の口上を聞いたが、妙に口を挟むとあとが怖い。
家老座上丹羽丹波の要請であると言い切られ、和左衛門もそれ以上の問答は差し控えたのである。
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