第四章 昔馴染み(3)

 


「……いや、何でもねーわ」

 白い息をふわりと吐き出し、助之丞は伏目がちになる。

「? なんじゃ、あまり元気がないな。何か心配ごとか? ……あ、もしかして助之丞まで砲術に反対してるのか?」

「何でもねえよ。雪、強くなってきたし、早く行こうぜ」

 言うが早いか、助之丞は瑠璃の手首を掴んでまたさくさくと歩き出した。

「今度、俺も顔出すから、木村の若先生に宜しく言っといてくれよ」

「ん? うん、そうか? なら、明日また出向く予定だから、助之丞も来るといいよ」

 先を歩く助之丞の表情は覗えなかったが、瑠璃は即座にその背に快諾の返事を投げたのだった。

 

   ***

 

 翌日、瑠璃の目の前にはやり場のない憤りにわなわなと拳を震わす鳴海の姿があった。

 早朝の型稽古のあとで木村道場へ赴く支度を終えると、鳴海の手配で御丁寧にも駕籠が用意されていたのである。

 道場へ出向くのに駕籠など無用と撥ね付けると、鳴海は更に自分の馬をひいてその背に乗れと宣う。

「確かに、供をつけろと銃太郎殿にもしこたま怒られたが……」

 しかし。

 しかし、である。

「鳴海はお留守番じゃぞ……っていうかそなたは勤めもあろう」

「何を申されます、瑠璃様にもしものことがあれば一大事! しかも行き先はあの木村銃太郎の道場ですぞ!?」

「あの、って何じゃ。あの、って」

 昨日の雪が嘘のようによく晴れ、今朝は泥濘んだ地面に霜柱が立つほどの冷え込みであった。

 そんな寒気の中でさえ、暑苦しく息巻いている。

「瑠璃様を御守りするは、この私の役目! 銃太郎は無論のこと、出入りする家中や子弟も多いはず! 中にどんな慮外者が潜んでおるやもしれませんからな!」

「鳴海はそなた、人間不信か何かなのか」

 砲術を学びに行くだけだというのに、とぼやきつつ、瑠璃は仰々しい駕籠を下がらせる。

「供は他に見繕った。お忍びで参るのとはわけが違うし、そなたは心置きなく勤めに精を出してくれてよいぞ」

「はぁン!? ここここの私を差し置いて、何処の馬の骨を供とされるおつもりか!?」

 瑠璃に付き従うとすれば自分をおいて他にいないと豪語する鳴海。

 と、そこへ、ざくざくと軽快に霜柱を踏む音が鳴った。

「おーい、支度出来たかぁ?」

「ああ、ちょうど良いところに!」

 昨日顔を合わせたばかりの青山助之丞である。

 木村道場へ顔を出すつもりがあるのなら、と、ここぞとばかりに行き来の供を頼み込んだのである。

「え、なに、お取り込み中?」

「ま、まさか瑠璃様……」

「うん、助之丞に供を頼んだ! そなたも助之丞のことは既に知っておろう? 御用人、青山助左衛門殿の次男じゃ。腕は立つぞ」

 間近に歩み寄った助之丞を凝然と見張る鳴海をよそに、瑠璃は颯爽と踵を返し助之丞の側へ寄る。

「さて、それじゃあ参ろうかの」

「大丈夫っすよ鳴海様。俺がしっかり護衛しますから、ね?」

「青山、貴様……」

 軽やかに、そして爽やかに言い放つ助之丞を、鳴海がぎろりと眼光鋭くねめつける。

 既知の間柄ではあるものの、そこまで信頼関係はないらしい。

「貴様の命に代えても瑠璃様を御守りせねばならんぞ……! あああいやしかし、瑠璃様! 供が一人とは些か心細うございましょう! やはり私も共に──」

「鳴海は留守番じゃ! そなたがいると銃太郎殿が恐縮するから駄目じゃ!」

「んなっ……!? まかり間違って銃太郎が無礼を働くようなことがあれば如何なさるおつもりか! そういう時のための大谷鳴海ですぞ!?」

「余計にややこしいから要らぬ。銃太郎殿には他の門弟と同じに接するよう頼んであるのじゃ。多少のことはそなたも目くじらを立てぬようにの」

 周囲が口々に言うように、鳴海の過保護は度を越している。と、瑠璃も思う。

 銃太郎に弟子入りしたは良いが、要らぬ迷惑を掛けるのは本意ではない。

「指導を受ける上で優先されるのは、身分差よりも師弟関係じゃ」

 びしりと指摘すると、鳴海はぐっと言葉に詰まる。

 家中に指南役は弓馬槍剣、柔術、兵法と様々にあるが、その家格は実に多岐にわたる。

 無論そうした指南役には他に役目を与えられることもあり、勤めの上では上役に当たる者に下役が教えるということも間々ある。

 普段とは上下関係が逆転する場合も非常に多く見受けられた。

「そなたは稽古中、散々姫君扱いしてくれるからの。銃太郎殿にまで恭しくかしずかれたのでは堪らんよ」

 稽古自体は身を入れて付けてくれるものの、どうにも鳴海は主従関係を気に留めすぎるきらいがある。

「そなたにも稽古中は呼び捨てて構わんと何度も申し付けたであろう。それと同じことじゃ」

 稽古中は鳴海のほうが立場は上なのだから、と言い続けて早数年。

 頑なに姫君扱いをやめようとしなかったのである。

 それは鳴海の勝手だが、瑠璃自身が銃太郎に許していることを、鳴海が外からとやかく言うことではない。

「…………チッ」

「なんか聞こえたぞ鳴海ィ!!!」

「ななな何でもございませんぞぉぉ!!」

「……ほんと相変わらずだな、お前んとこは」

 

   ***

 

「確かに私は供を付けるようにと言った。言ったが……、なんでそれが青山なんだ」

「久しぶりっすねー! いやぁ、瑠璃姫直々に頼まれちゃ、そりゃ俺もお供しないわけにいかないじゃないすか」

「昨日団子屋に寄ったら偶然会うてのー。折角だから供を頼んだ! そなたら知り合いだったのか?」

 木村家に併設の小さな道場へ入ると同時、銃太郎の目が瑠璃の傍らに釘付けとなったのであった。

 助之丞が久しぶり、と言うからには元々面識があるのだろう。

 そもそもよく考えてみれば、銃太郎と助之丞とは殆ど歳も変わらないのだ。

 学館でも共に学んだであろうし、仲の良し悪しはさて置き知らぬ道理が無かった。

「私はてっきり、近習組の者や女中を伴ってくるかと思っていたんだが」

「やだなー、若先生。瑠璃姫がそんな真っ当な人選すると思うんすか?」

「……お前に若先生と呼ばれる筋合いはないと思うが」

「そんな邪険にしなくてもいいじゃないすか。ついでに俺も見学させて貰おうと思ってるんで!」


 

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