第652話
冬将軍の山城から出ると、外の吹雪は嘘か夢だったかのように静まり返っており、何なら空には雲の隙間から太陽が顔を覗かせていた。
「暫くは止めておくそうだが、ある程度したらまた吹雪で道を塞ぐらしい。今のうちに合紋の漁師村まで行くとしよう」
「ウェンカムイもムシャブレイドタイガーも、ここまでありがとう! 今度はウチに遊びに来てね!」
吹雪が止んだことでウェンカムイとムシャブレイドタイガーは一鳴きした後、元の縄張りに戻る為雪を軽く踏み散らしながら駆け出していった。
その後ろ姿を見送った私達は、合紋する漁師村がある北の方向に向かって雪に隠された道なき道を進んでいく。
「しっかし、熱い茶の一つくらい出してもいいと思うんだがなぁ……」
「しょうがないでしょ。彼ら、そこまで熱に強くないんだから」
酒呑は冬将軍の山城でお茶すら出さなかったことに文句を言っているが、これは彼らの体質というか性質も関係していることだから仕方が無い。
だって、雪と氷で出来てる体だからね。熱いお茶は彼らにとって劇物だし、そもそも熱々のお茶淹れても運んでいる最中に冷え冷えになると思う。
「冷えた分は爺が食ってるだろう鍋と熱燗を奪い取って補え」
「そうすっかな。ぬらりの爺さんとはそんなに顔を合わせちゃいねぇが、慰謝料代わりに分捕らせてもらうか」
「鍋かぁ……お腹空いてくるなぁ……」
そういえば、家族みんなで一緒にお鍋を楽しんだのって何年前だっけ……
偶に、冬じゃないのにチゲ鍋とかキムチ鍋が食べたいって言って、謎の我慢大会みたいになった時もあったなぁ。
「クランホームで鍋パーティ、楽しそうじゃない?」
「鍋パーティというより鍋祭になりそうな気がするわね。楽しそうなのは否定しないけど」
あ、確かにそれは凄く有り得そう。鍋料理の十や二十は余裕で作れるだろうし、参加する面々の数を考えたら絶対パーティじゃ収まらなくなる。
「まぁ、その為にもいっぱい食材集めしないとね」
「……神に喧嘩を売ろうとしている歌姫とは思えない、実に緩い会話だなぁ」
「いいじゃない。血生臭いことを何度も何度も語るより、楽しそうな未来の事を話す方がずっといいわ」
酒呑と紅葉の話を軽く耳に入れながら、私は合紋の漁師村が見えてくるまで、ずっと鍋の具材について考えていた…………あ、ホタテもいいなぁ。
「お、結構広い村だな。ここに爺さんがいんだろ?」
「そうだな。迎えの者は向こうから来るだろうし、このまま中に入るぞ」
合紋の漁師村は、村と言うにはかなり大きく発展していて、普通に港町って言ってもいいんじゃないかと思うくらいに広かった。
海側には大きな漁場があり、何隻もの船には大きな網や籠が積んであるのが見える。というか、煉瓦を使った倉庫がある時点でもう港町でいいような……
「うわわっ!? と、止まれ! キムンカムイ!」
「ふむ。出迎え御苦労、といったところか」
そんな事を考えていると、熊に乗った青年が大騒ぎしながら、こちらに向かって爆走しているのが見える。
クマの名前はキムンカムイと言うようだが、アレは完全にクマの独断で突撃してるみたいだ。そういえば、キムンカムイってウェンカムイになる前の山神だっけか。
「はい、ストップ!」
私が手のひらを前に突き出すと、急ブレーキを掛けて雪を吹き飛ばしながら停車するキムンカムイ。背中に乗っていた白髪の青年は、吹っ飛んだところを酒呑の左片手で掴み取られていた。
「久しいな、オキクルミ」
「うぉ……誰かと思えば、大嶽丸の兄貴かよ。ここに来るのは何時以来だ?」
「さてな、もう忘れたさ。それより、ぬらりの爺は何処にいる?」
キムンカムイの背中に乗っていたのはオキクルミという名前らしい。後で知ったが、この北館の地を護る神様で、正式な名前はアイヌラックルと言うんだとか。
弓を使ってウェンカムイを仕留め、その魂をキムンカムイに戻すことが主な仕事らしい。尤も、最近は見回りの仕事の方が多いそうだけど。
「ぬらりの翁は向こうの一番大きい家の中だ。折角だし案内してやるよ」
「是非そうしてくれ。爺には色々と迷惑料を払ってもらわないといけないからな」
迷惑料って言うのは、冬将軍の吹雪関係の諸々だろうね。アレはアレでいい出会いがあったから別にいいかなって気になってるんだけど、それはそれってやつかな。
それはさておき、オキクルミの案内で漁師村の中でも一番大きい瓦屋根の屋敷に向かうと、遠慮無くその戸をガラリと開けて大嶽丸が中に入る。
「うわ……遠慮も挨拶もないわね」
「取り敢えず、俺らも入るか」
「そうだね。それじゃ、お邪魔します!」
大嶽丸が開け放った引き戸から中に入ると、ツルリとした禿頭を晒しながら、愉快そうに笑って御猪口を傾けているお爺さんが囲炉裏の側にいた。
それと、怪我をしているのか包帯を巻いている男性も、そんなお爺さんと一緒に囲炉裏の側に座りながら、美味しそうに温かそうな鍋料理をお椀に装って食べている。
「おや、そちらが大嶽丸のお連れ様かな?」
「はじめまして、アマネと申します」
取り敢えず、最初にするべきは挨拶だろう。向こうからしたら、私達は招かれざる客と言っていいようなものだからね。
「これはご丁寧に。私は伊邪那岐。ここで少しばかり療養をしているしがない者だよ」
イザナギ……伊邪那美命様ですかそうですか。そういえば、ゼウスらとの戦いで負傷していたと聞いたことがあったような、なかったような……
取り敢えず、外見は線の細い男性だね。髭とかも綺麗に剃られているし、髪もある程度の長さで揃えて後ろに束ねているようだ。
「アマネちゃんか! 儂は、このスメラミコトに名高き大妖怪! 名を――」
「コイツはぬらりひょんだ。爺でいいぞ」
「――って、儂の台詞を奪うでないわ!?」
途中で大嶽丸が割り込んだが、このお爺さんがちょくちょく名前が出ていたぬらりひょんであるらしい。
紫色の着物を着ていてかなり小柄だが、何処と無く掴みどころがない雰囲気を醸し出しているような気がする。多分、巫山戯ているだけで本質的には老練且つ狡猾な妖怪なんだろう。
「しかし、御主がこんな北の地にまで足を運ぶとはな。一体何の悪巧みじゃ?」
「アマネが北の産物を欲していたのでな。その付き添い兼案内役だ」
「お、これいい酒じゃねぇか! もーらい!」
「あ、おいっ!? それは儂が持ってきた秘蔵の酒の一本じゃぞ!? 飲むんじゃったらそれ相応の銭を払え!!!」
大嶽丸との話の途中で今度は酒呑が割り込んだので、なんかもう真面目な話にはなりそうにない。
今だってぬらりひょんが持ってきた秘蔵のお酒を酒呑が持っていったので、ギャーギャーワイワイとうるさくなっている。
「なんかすみません。うるさくしてしまいましたね」
「賑やかなのはいいことだよ。私も、この怪我が無ければ桜の木の下で皆と共に酒を酌み交わしたかった」
あー……そういえば、あの宴の席には他の神様は結構参加してきてくれたんだけど、一部の神様は怪我を理由に欠席してたんだっけ。
伊邪那岐様もその中の一人で、確か奥さんの伊邪那美様の看病を受けていたって、酔ったツクヨミ様が酒の席で話していた。
「まぁ、それはまた今度でいいんだけどね。今は、未来の話を軽くだけ出来ればいいさ」
「ええ、そうですとも。ほら、アマネさんの分ですよ」
「わ、ありがとうございます!」
囲炉裏の側の座布団に座らせてもらうと、金色の杖を腰に吊り下げたお婆さんが、美味しそうなお鍋をお椀によそって、私の前に置いてくれた。
大振りの鮭の切り身に、ホタテや白菜、豆腐もあってとても美味しそうだ。というか、絶対に美味しいってわかる匂いが凄い。
「帝国と戦う時までに傷は治すよ。その時には、妻も冥府の神々を連れて打って出ると言っていたしね」
「儂も久々に空亡を起こす。諸刃の剣ではあるが、味方として頼りになる手合でもあるからの」
どうやら、スメラミコトの神々も妖怪も戦う準備は順調に進んでいるらしい。あ、魚のつみれがめちゃくちゃ美味しい! エキスたっぷりだぁ!
「後で鮭とかホタテとか、ここの食材が沢山欲しいですね」
「それなら後で用意してあげるよ。鍋物に合う鱈もあるけど、そっちはどうだい?」
「是非ともお願いします!」
やった! お婆さんが北館の海産物とか沢山用意してくれるって! めちゃくちゃ嬉しいなぁ!
……そういえば、お婆さんの名前はアペフチって言うみたいだね。白い髪が綺麗だったけど、有名な人だったりするのかな?
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