仮想世界の友人帳
大和屋一翁
第1話
仮想現実世界、第二の人生を歩めるとして開拓されたその世界は、富裕層からほんの僅かな期間を経て一般向けに改装。
瞬く間に公開された情報と技術を用いた市場闘争が始まり、幾つもの仮想現実世界が誕生し淘汰された。
そうして何千もの大小様々な世界が生まれ、その技術という血の結晶を脈々と受け継いだ新世界が誕生する。
恐竜、ドラゴン、巨大生物、アンデット……
ありとあらゆる幻想、空想が蔓延る新生の世界。
魔法やスキルというロマンの溢れるその世界は、人々の期待を浴びて地球という世界に成立した。
長ったらしい英名と、それを縮めた通称。
過去の作品の遺志を継いで完成した究極とも呼べる新世界。
ネクストライフオンライン。
誰もが成りたい自分に成れる。
憧れた自分を創れる。
海賊王の宝を夢見た海賊の如く、その新世界に次々と人々は旅立って行った。
「……良かった」
廊下に置いてあった箱を部屋の中に運び込む。
中には、話題のVRヘッドギアが入っていた。
入っていたそれを起動すると、早速所有者設定を始める。
「陽中……天音……っと」
陽中 天音、それが私の名前だ。
私が心の病と診断されてから、この名前を知るものは家族にしかいない、と思う。
……私は、やりたい事があったから、このヘッドギアを買ってもらった。
今まで散々迷惑を掛けてきて、ホントに申し訳無い気持ちでしかなかった。
でも、私が何かを欲しがったのは久しぶりで、両親も妹も、喜んで買ってくれたんだ。
また、自由に歌を歌う為に。
『ようこそ、フィルダニアの世界へ』
キャラメイクは適当に決めた。元々歌が歌えればどうでもいい。
スキルをサラッと見て、演奏や歌唱、舞踊に料理のスキルを取得して、残り一枠はランダムに任せた。
噂では、本人が必要だと無意識に考えているスキルが選択されるらしい。
『貴方の旅立ちに、祝福あれ!』
ナレーションが終わるとともに、噴水広場の真ん中に私のアバターが姿を現す。
……そして、私は耳を抑えながら、街の外へと逃げていった。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
人のいない森の中で、力無く木を背に座り込む。
「ハハッ……そんな美味い話……ある訳ないよね……」
汗をダラダラと掻いていると、私の黒い髪先からポタリポタリと汗の雫が落ちていく。
私の心の病、それは他者の声が酷い音に変わるというものだ。
テレビの砂嵐や黒板を引っ掻く音、金属同士が擦れる音など、耳障りな不協和音が声の代わりに聞こえてくるのだ。
最初の頃は家族の声すらノイズに変わっていたし、僅かなヒソヒソ声でさえ苦痛を齎す異音だったのだ。
ある程度の年月を経て、直接声帯から発せられると変換されるようだと判明し、間に音声ソフトを介すると不快感は大きく減った。
だけど、プレイヤーには直接人の魂が入っている様なもので、不特定多数に向けた動画というログと比べると込められた不快感は段違いだった。
始まりの街から逃げたのは、そのせいだ。
周りのプレイヤーから発せられる大量の不協和音。雑踏から放たれる多重の騒音。
それが、何重にも重なって私の耳に飛び込んできたのだ。逃げるしかなかった。
「強制……ソロプレイ……ですかぁ……」
料理を取ったのは、歌と一緒に食べて貰えればいいなという願いから。将来的には小さなお店でも開けたらいいな……
そんな私の淡い望みが、ガラガラと崩れてしまった。
汗の雫に紛れて、目からも雫が垂れ落ちる。
「ゴメンね……お父さん……お母さん……天海……」
我儘を聞いてもらってこの始末。不甲斐なさに涙が流れ続ける。
「キュ、キュゥ?」
「ア、ハハ……ありがと……」
気が付けば、私の側にウサギが近寄ってきていた。
まぁ、こんな人気のない場所で涙を流す人間など、敵意に晒されていた彼らからしたら不思議な相手だったろう。
膝の上に乗るウサギの背を、そっと手で撫でる。
何かの生き物を撫でるのは、小学生以来だった。
「カワイイなぁ……」
ピスピスと鼻を鳴らしながら目を細めて寛ぐウサギを見ると、さっきまで淀んでいた心の中がスッと澄んでいく気がした。
「どうしよう、かなぁ」
目の前のウサギの背を撫でながら、回らない頭を無理やり動かす。
歌を歌う為に来たのだが、プレイヤーが近寄って来たら絶対に集中できない。それどころか、街の中に入れば不協和音のオーケストラが私の精神を壊しに掛かるだろう。
そうなると、人気のない場所か、プレイヤーのいない場所に行くしかない。
だけど、歌うことだけを考えていた私に戦う才能なんてないし、既にこの辺りの地域にはプレイヤーがたくさんいる。
なまじ耳のいい私は、遠くから聞こえるプレイヤーの喧騒を的確に聴き取っていた。
まだリリースされて数日、狩り場の奪い合いで言い争うプレイヤーの音が、ジクジクと私の頭を刺激してくる。
「もうちょっと、離れよう……」
膝に乗るウサギを抱えると、音の聞こえる場所から森の奥へと遠ざかっていった。
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