第6話
フラーメン村に近づくにつれ目も開けられなくなるからと、マルセルは三人に砂嵐から頭を守るフードを用意するようにマサに言いつけた。少しでも緩和出来るようにと住人総出でフードを縫っている。それを受け取り三人は門番の任に戻ったヒューの元へと向かった。
ヒューに話しかける前に彼はこちらに気付き姿勢を正して右手で胸に手を当て敬意を示す。共にいたもう一人の騎士もそれに倣った。
「聖女様方、先程は挨拶も程々に失礼しました」
「こちらこそお風呂やお食事と色々お気遣いくださりありがとうございます」
すみれは頭をさげるとヒュー達は酷く戸惑い恐縮した。王と並ぶ権力の持ち主からの腰の低い挨拶に目を白黒させた。
「そ、それでどうかなさいましたか」
「マルセルさんから風の神殿の場所を案内できる方の紹介をお願いしたら、ヒューさんに案内してもらうようにと仰って」
「あ、ああ…それでしたらニーナのことですね。難民キャンプにおりますが」
視線は町の外にある、いくつも並んだテントへと移る。強風に煽られオレンジ色の屋根が上下に揺れ、まるで夕日に照らされた波打つ海のようだ。
「しかし、ニーナですか」
ヒューはマルセルと同じように眉間に皺を寄せて首を捻った。左手で右ひじをさすり右手で鼻の下を擦っている。
「行くと言えば良いんですけれど、あいつが首を縦に振るかなあ…臆病者で今もテントに引っ込んでいて出て来ようとしないんですよ。いや、考えても仕方がないですね。私が案内しましょう」
もう一人の門番に目くばせしてからすみれたちに「こちらです」と先頭を切った。
「この町やフラーメン村で強風が吹くようになったのはいつ頃ですか」
オリヴィエが風に煽られ声がかき消されないように声を張り上げて訊ねると、ヒューは振り向きはしなかったものの軽く首を動かした。
「こんな風に四六時中煽られるようになったのは一か月…もう少し前でしょうか。更に数か月前は夜中だけですが突風が吹くことが増えました」
「その間に変わったことはありませんでしたか」
「変わったことですか?どうでしょう。私には検討つきません。強風が珍しいわけではないんです。一年に何度かはこの辺りの土地には汚れを取り払うような強風は起こります。寧ろ風はシルフの加護の証です。穏やかな風は日常で、強風は穢れを吹き飛ばす土地や人々の浄化を表します。しかし強風は続いても長くて一週間です。こんな長い期間吹き荒れるのは私が知る限りでは初めての事です」
木の葉をふきあげるような強風は大精霊が土地を守っている証であり贈り物だとヒューは言う。住人は精霊に感謝の意を込めて花を集める。その風に花を手向けると空中に舞い上がり、町は花に包まれるのだそうだ。
「私はこのように皆を苦しめる風は…大精霊の加護だなんて思えません。大精霊と人は同じ世界で共に生きる存在だ。少なくとも私は父…大人や司祭様から聴きました。決して人々を苦しめることはしないと」
それはクリスやオリヴィエの同じ思いだった。大精霊そして数多の精霊は、フレーメン村やヴェニエス町でなく、この国を守る存在だ。人々は精霊と共に生き崇める。精霊はその声に応える存在だと教わっている。もし大精霊が人々を苦しめるなら、それは大精霊が人々を見放したことと同義である。
「この事態は大精霊の怒り…ですか」
「まさか。司祭様はこの土地のために熱心に祈っていらした人ですよ。精霊に好かれこそ怒りを買う方ではありません」
司祭は聖女と同じく祈ることで浄化を行う。瘴気が蔓延らないように日々祈りを捧げることが役目だ。土地の浄化は人だけでなく精霊にとっても重要だ。人が暮らせない土地は精霊も暮らせないのである。
「前の聖女様が巡礼が出来なかった間も、司祭様は祈りの時間を増やしていらっしゃいました。聖女様程の力はなくても自分は聖職者の端くれだからと必死に守って下さった。彼の志や励ましに皆どれだけ救われていたか。そんな行いを見て大精霊から怒りを買うなんて絶対にありえません」
誰よりも真摯にひたむきに住人の為に働いてきたのだと力説する。その言葉を疑う余地はなかった。
「ああ…でも変わったことといえば数か月前から司祭様に客が訪れていたな」
「客?珍しいことなんですか?」オリヴィエが怪訝そうに尋ねるとヒューは「此処は田舎ですから」と皮肉った。
「司祭様はフラーメン村出身で外に出ることは殆どない方です。今はご両親はとうの昔に亡くなられてるし、他に家族はいないと聞いています」
全く客がいないわけではない。時折トレヴァーを訊ねて来る客はいるが長くても数日の滞在で、数か月にわたって来ることはないとヒューは話す。
「その人は今もこの町に?」
「いえ。いつの間にか見なくなりました。今にして思えばこんな風が吹くようになったのもあのフードの男が来てからだったように思います」
フードの男と聞いて三人ははっとした。フードを被っていることが珍しいわけではないが、数か月前、前聖女のローズを亡き者にしようとし、オリヴィエや、彼の家族を処刑しようとした元凶を思い出すのに無理はない。
すみれは男の鈍く光る赤い眼を思い出し体を震わせた。
「その客人がこの非常事態の原因だとお考えなんですか」
「それは…わかりません。私にはこれと言って変わった印象もなく普通の客人のようにしかみえませんでしたから。それでも今この状態を見て違うとも言い切れず…あのトレヴァー様の客人がこのような事態を引き起こすなんて到底信じられない。それにこんなこと…人の力で出来ることではないでしょう?」
クリスの問いかけにヒューは眉をひそめながら言った。当然普通の人ならそう考えるのは無理はない。クリスたちも頷くしかなかった。もし呪術師の存在を知らないでいれば。
それから暫く誰も口をきかなかった。いくつも張られたテントと砂埃の海を歩く。すれ違うフラーメン村の住人の顔は、見通しの利かない生活に苦労しているのか暗い影を落としている。
一番奥にあるテントの前でヒューは叫んだ。
「ニーナ!俺だ。ヒューだ。入っても良いか」
しかし返答はない。ヒューはため息をつき「入るからな」と語気を強めて布を捲った。
中には絨毯が敷いてある。四、五人ならゆとりをもって座れそうな広さだ。隅に食器が重ねて置かれ、寝具が畳んである。そして布で出来た小さな山のような何かがそこにあった。
「全くまたこんな風に閉じこもってるのか」
ヒューは小山の布を無遠慮に取り払おうとすると甲高い悲鳴があがった。
「やだ!やめてよ!」
なんとか布を死守しようとがばっと起き上がった。頭から布を被り、顔を覗かせた少女は目に涙をためながらヒューをひと睨みする。視界の端にヒュー以外の人間がいると気付いたニーナはまた小さく悲鳴をあげた。
「聖女様!?」
ニーナはまっすぐにすみれの方へ体を引き摺り手を握った。
「助けに来てくださったんですね!」
すみれは勢いに圧倒されぽかんと口を開けた。
白銀髪の騎士と黒髪の聖女 桝克人 @katsuto_masu
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