白銀髪の騎士と黒髪の聖女

桝克人

第一章 召喚の儀

プロローグ 六年前の話

 どれくらい走ったかわからない。激しい呼吸は喉を圧迫し、すでに上手く息が出来なくなっている。呼吸を整えるために咳ひとつすれば居場所が知られてしまいそうで恐ろしい。苦しさは涙を誘う。それでも足を止めるわけにはいかない。野営地に着けばこちらに有利だ。


(あー…しんどい)


 酸素不足からだろうか、頭が朦朧としてくる。

 走りながら森の木々で斑になった空を仰ぐ。星々は見えても月明りがなく暗く、何も見えない足元に気を向ける余裕はない。地面を蹴る度に、散った葉が渇いた音をたてる。その音でスピードが少しずつ落ちていることをまざまざと突きつけられた。

 

 元々体力にはそれほど自信がない。騎士学校時代でも外の訓練より座学の方がずっと好きだったことを思い出した。騎士としてはその体力のなさが命取りになると教官にきつくケツを叩かれた嫌な思い出も蘇り苦笑の息を吐く。

 

 こんな自分を取り立ててくれた聖女が、今この瞬間も少しずつ何かしらの病に蝕まれている。明らかに肉が削げ落ちて細くなっていく体躯は傍から見ても恐ろしかった。医師に診せても原因は突き止められずお手上げの状態に自分を含め誰もが頭を抱えた。医師曰く症状の進行を少しでも遅らせることしかできないと言い、自ら調合し聖女に飲ませた。

 薬に詳しい魔女に診せることを提案してみたものの、忌み嫌われている魔女の力を借りるのは躊躇われる議会の老人たちの意見に押され流された。王都の端に住まう魔女は代替わりをしてから、その名声も失いつつあったことが否決の決めてだった。


 先代の魔女、そして同じく先代の聖女は懇意な間柄であったという。巡礼の際に病に倒れた聖女の騎士の症状から薬を調合し、数日の間に回復した様子を見て取り立てられた。国王は騎士を助けた魔女に王都の近くにある土地と家屋を与えた。王都に住まう人々も初めこそ気味悪さを覚えたが、国王や聖女に認められた魔女に少なからず興味を覚え、本人の朗らかな性格も相まってかあっという間に馴染んだという。残念ながらそれぞれが代替わりした今では、評判も薄れつつあり魔女の家がある丘には多くの人は近寄らなくなってしまった。

 同じように評判は王都でも陰りをみせていた。只でさえ魔女の薬を王城や聖堂に持ち込むことは言語道断だという考えが蔓延していたのである。先代は特別で、今の魔女にはそれほどの力はないというのが議会の答えだった。何度説得してもそれは変らなかった。

 

 しかし諦めるわけにはいかなかった。聖女は国の宝だ。手があるならどんなものにでも縋りたい。それが聖女を守る騎士として、人としての矜持だった。


(そんなことで聖女の命をみすみす失って堪るものか)


 だからこそ昔読んだ作り話だと言えるような書物にも縋った。そこには精霊の薬と呼ばれる万能薬があると書かれていた。

 精霊に頼る他ない。暫くはそればかりが頭を占めていた。

 問題は精霊は人に姿を見せないことだった。しかし聖女本人なら精霊のお目通りが叶う。だから巡礼の日を狙おうと決めていた。逸るなと自分に言い聞かせてずっと精霊に見えるきっかけを待ち続けた。


 そしてついにその時がやってきた。昼間は聖女と共に巡礼の一団がウンディーネと謁した後に、日が暮れてから改めて一人で神殿に向かった。門の開け方は神殿を守るエネロの長が行ったように真似ると意外にもすんなりと開いた。

 聖女の騎士、つまりはただの人間が精霊に会うことなんて不可能だと思われたが、幸運にもウンディーネは呼びかけに応えてくれた。必死に懇願するとウンディーネは一枚の葉っぱを手渡した。これで聖女の病は良くなる。


(それなのに、どうしてこんなことに!)


 どすっと鈍い音がついに足を止めざるを得なかった。まだ足跡のついていない道に矢が刺さっている。外れたのではなく、外したのだと直感した。振り返ると、神殿から追いかけて来ていた黒いフードの男は、弓を構えたままじりじりと近づいてくる。

 月明りのない暗がり、どんなに目を凝らしても顔は見えない。目深にかぶられたフードは造形がはっきりとしないのである。

 ところが妙なことにフードの下にあるこちらを見据える瞳は赤い炎が揺らめくように光を持っていた。


「貴様…」


 立ち止まったおかげで息は少しずつ落ち着き声を発するまで回復していた。しかしその声は絞りださねば音にならないほど掠れている。これまで見たことのない暗がりに輝く瞳は、友を思い出させた。


「何故だ。貴様がどうしてこのようなことを」


 男は追い詰められた哀れな自分に何も答えなかった。答えの代わりに放たれた矢は左胸を貫く。体が一気に沸騰した。うめき声が森を埋め尽くす前に男は駆け付けて口を塞いだ。

 必死に抵抗しようと体を捩らせるが、うまく体が動かない。男は襟から順番にボタンを外す。はらりと一枚の葉が落ちた。それこそ精霊の万能薬になる葉である。


「こんなものがあるとはな」


 男は葉を己のズボンのポケットにねじ込んだ。そして倒れた自分の足を掴み引き摺って歩みを進めた。もう感覚は薄れている。背中が枯れ葉や地面とこすれる音と、霞んでいても森の木々と空が見えることだけが、この世に繋がっているのだと実感できた。


「悪いな、友よ」


 体を投げ出された。やけにゆっくりと時間が進む。互いの両の目が交差する。死がもう目と鼻の先にあるのだと理解するしかなかった。


(最後に焼き付ける顔が貴様で悔しいよ)


 愛する家族の顔が思い出される。リリー、オリヴィエ、この先どうか不自由なければいいんだけど。

 地面に叩きつけられた時にはすでに灯が消え失せていた。

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