#33 [PM::]
広大な草原の隅っこは、存在するのに隔離された世界。周囲から見えないその場所にも、ドーム状の透明の向こうから強い陽射しが注がれる。
作業初日は海羽によって焼き払われた草たちを地面に馴染ませ、土を柔らかくする作業だけで終わってしまった。
思っていた以上に奪われる体力。修行の手応えと、思うように進まない作業との間で試行錯誤する日々が続く。
4人は額に汗しながら土と向き合う。見下ろす太陽に頭上を焦がされながら。それでも徐々に緑化してゆく大地を見るうちに、それ自体を楽しむことが出来るようになってきた。
草原を行き交うのは土の匂いと風の匂い。
見上げた青空に聳える入道雲。
安住の地を求める旅人。
町から町へ物資を運ぶ商人。
彼等からは4人は愚か、佇む畑すら見えないのだ。
農作業に余裕が出来てくると通行人を何気なく、一方的に監視することを心がけたが、怪しい人物を見かけた事は一度もなかった。
小太郎から上がってくる情報にもそれらしき物はなく、肩透かしをくらったような気分になりながらも、気を抜くことは憚れた。それはきっと、沙梨菜が二度と同じ思いをしたくないと、作業中に呟いたのを心の片隅に置いていたせいだろう。
4人が農作業をする間、海羽は家と畑にバリアを張りながら、家事をする合間に精神統一を行っていた。最初は遠方にバリアを張るために集中力を取られ、あちこちでドジを踏んでいたものの、数日経つと板に付く。
そうして平和な毎日を過ごしていたある日の昼下がり、家には海羽一人。
小太郎は一度町に降りてしまうと数日は戻ってこない。沢也もなんとか回復して、今日から畑に出向いていた。倫祐は毎日朝食の後、誰も知らないうちに姿を消してしまう。
静かなキッチンには蝉の合唱が遠く響くだけ。
作物が出来上がるまであと数日。切り詰めて使用していた食材も残り僅かだ。
「うー。困ったな…」
海羽は冷蔵庫の前で座り込み、珍しく渋い顔で唸りを上げる。
彼女の頭の中では大根半分とプチトマト6個が右往左往していた。
とても7人分の夕飯になりそうもない量。肉も魚も底を付いて、暫く誰もが口にしていない。
野菜が収穫出来さえすればその半分を売りに出し、得たお金でたんぱく質を買えるのに。
海羽は青白い顔の義希が倒れる様を想像してしまい、首を左右に大きく振った。
肉食の彼はここ数日、譫言で「ステーキ…焼肉…」などと呟くのだと、蒼がぼやいていたからだ。
とりあえず拵えたサンドイッチにも野菜しか挟まっていない現状。海羽は時折倫祐が持ってくる森の食材を期待するしかなかった。
近くの川では魚も取れず、上流に行くにも下流に行くにも中途半端なこの位置では、夜までに人数分を釣って帰って来るのは困難だ。そもそも海羽はバリアの関係上遠出するわけにもいかず、ホトホト困り果ててしまう。
「ただいまー」
丁度そこに昼休憩に帰った5人が、冷蔵庫前で頭を抱えて蹲る海羽を見て目を見開いた。
「あ、えと。お昼は出来てるよ」
慌てて立ち上がり、手を振る海羽を見て義希が顔を青くする。
「夕飯はなしか…」
「えっと、その…」
弁解の言葉もなく口をつぐんだ海羽に、蒼の頼りない笑顔が向く。
「そろそろ小太郎くん、帰ってくるんじゃ…」
「よっ、久しぶり!」
噂をすればなんとやら、蒼の呟きと共に登場した小太郎は奇抜なセンスの帽子を脱いで片手を挙げた。
「小太郎~!肉っ!肉は?!」
「はぁ?肉?」
「この前帰ってきた時、換金して肉買ってこいって言ったでしょ?」
掴みかかる義希に首を傾げた小太郎に、有理子の視線が突き刺さる。
「あぁ、あれ必要経費で使っちまった」
固まる空気に小太郎の笑いが響く。
「お前なぁぁあぁぁ!必要経費ってアレだろ!すげぇ香水臭いし!!!」
「こんのやろ、歯ぁ食いしばれ!」
義希と沢也の逆鱗に触れ、慌てた小太郎は逃げようともがく。しかし彼の体は華麗に舞った有理子のナイフによって壁に固定された。
「小太郎ー?あんた自分が何したか分かってるの?」
「何だよ。おれだって色々大変なんだよ!」
「ただ女遊びしてただけだろ!」
「そうだぞ!オレらはこんなに泥だらけで働いてんのに!」
必死に言い訳をする彼が町で何をしていたか、その証拠は首筋にはっきりと残っていた。
「いいだろ!別に!食うもの無いなら、一人暇な奴居るだろ?あいつに取ってこさせろよ」
「あんたね…」
捲し立てた小太郎に有理子の満面の笑みが注がれる。それを受けて顔をひきつらせた小太郎は慌てて海羽に視線を送るが、一瞬にして逸らされてしまった。
「その『暇な奴』が一生懸命貯めた宝石で、ひたすら遊んだのは何処のどいつよ!!!」
「大きめの袋一杯分あったって言ってたよね」
轟く有理子の激昂に続いて沙梨菜の刺々しい発言が追い討ちする。それでも反省の色を見せない小太郎に、笑顔の蒼がトドメをさした。
「使った分、きちんと返すまでご飯抜きですね。ちなみに返さずに使い込んだ場合、貴方を闇市に売り飛ばしますから。そのつもりで」
微笑んだ口元から出た言葉なのに微塵も冗談に聞こえないのは何故だろう。
反撃の出なくなった小太郎に対し、秘蔵の酒を切らせて暫くアルコールを摂取していなかった有理子の怒りは止まらなかった。
罵声が響く中、音もなく現れた倫祐が入り口にぼんやり佇む。
「倫祐!小太郎が使い込んだお前の夕飯で金がぁあぁ!」
空腹で頭の働かない義希の発した意味不明な文章でも状況を理解した倫祐は、耳元に手をやりテーブルに近付いていく。そして乗っていたサンドイッチを一つ手に取り、口に含みながら義希を振り向いた。
差し出された右手。そこに乗せられた果物を受け取り、涙を流す義希。
「もう大根とトマトしかないよぉ…」
義希同様崩れ落ちた海羽が溢すと、有理子のボルテージが更に高まった。
「あーもう!うるせぇ―!今から行って、魚でも釣ってこいよ!」
「今からじゃ中途半端な数しか取れなくて喧嘩になるだけじゃない!」
「じゃあどーすりゃいいんだよ!」
ため息を吐き出し煙草を取り出した小太郎は、辛い姿勢にも関わらず火を点けた。甘い香りに倫祐の肩が揺れる。
激しい言い争いに間ができたことで、義希の唸り声が浮き上がった。
「みーうぅ。とりあえずコレ切って…」
倫祐から貰った網目模様の果物を海羽に差し出すと、彼女は何故か蒼の背中に隠れた。
「ごめん、僕メロン駄目なんだ」
「え?メロン?」
視界がぼやけていた義希は虚ろに呟き、網目に焦点を合わせる。
「うはぁ!メロンだ!」
身を退け反らせ、大袈裟過ぎるほど驚いた義希を皆が振り返った。
「メロ…ン」
「ってか!食うな!それ売れば相当金になるだろっ!」
輝いた瞳がメロンに注がれる。そしてそのままの眩しさで流れてくる視線を受けた倫祐が目を細めた。
「倫祐!これ1個だけ?もっと無い?!」
倫祐は掴みかかる勢いの義希に無表情で頷くと、黙って立ち上がる。
「あ、待って?えっと、その…お肉以外にも買ってきて欲しいものが…」
倫祐の次の行動を読んだ海羽が遠慮がちに引き留めると、彼はその場で立ち止まり軽く頷いた。
「すぐメモるから…あ、ご飯…包む?」
倫祐は焦ってウロウロする海羽に首を振り、沢也に視線を送る。沢也はそれに独特な、苦笑いのような笑顔を返し、海羽にペンと紙を渡した。
「ったく!そんな良いもの有るなら最初からそう言えよ!なんでおれ様がこんな目に…」
海羽が必死にメモを書き綴る間、倫祐の背中に浴びせられる小太郎の小言。その間倫祐は振り向きも頷きもせず、置物のように立ち尽くすだけだった。
それによって小太郎のイライラが募ってゆく。
「お、おまたせ…」
海羽は5分程かけて完成させた買い物メモを倫祐に手渡す。彼は細かい字がビッチリ並んだそれをポケットに仕舞うと、小太郎を見もせずに外に出た。
「おい!こら!何とか言っ…ほげっ!」
去り行く倫祐に食い下がる小太郎を止めたのは、有理子の痛烈な脳天チョップだ。
「何すんだよ!おれは間違った事なんか言ってねぇぞ!」
「馬鹿。今は金欠」
有理子はキレた小太郎の口元を指しながらじっとりとした視線を向ける。
「あのヤニ厨が禁煙してんのに…その目の前で煙草吸うとはな」
沢也が口角を吊り上げると、未だ壁に固定されたままの小太郎に視線が集まる。
「殺されなかっただけ、有り難く思えよ」
沢也の乾いた笑みが小太郎に移ると同時、その鼻から煙が吐き出された。
「あの鉄面皮に感情なんてあるのかよ?馬鹿馬鹿しい」
「今の、怒ってたの?」
小太郎に便乗して問いかけた沙梨菜の首が傾く。
沢也が二人を睨み付けるように見据えていると、代わりに蒼が答えを言った。
「小太郎くん。足下は良く見た方が良いですよ?」
言いながらサンドイッチ片手にリビングを出る蒼。その背中が見えなくなると同時に、沢也が耳を塞ぐ。
ハッとして沢也の真似をした他の4人を見つめた小太郎がふと、視線を落す。ジリジリと進む火花。
それは既にネズミ花火の着火点付近。
「げっ…」
小太郎の呟きとほぼ同時、軽快な高音がリビングに響いた。
倫祐が戻るまでの間、畑チームは休む間もなく働いた。収穫前のこの時期は何かと忙しい。
気を抜けないと言う意味ではここが踏ん張り所だろう。
暫く地面にしがみつくような作業をして、ふとした瞬間に見上げた空はいつにも増して美しい。
ちまちま雑草を抜く作業が何よりも好きだ。
泥に、汗にまみれた後のお風呂はたまらなく気持ちがいい。
今日からまた晩酌ができる。風呂上がりのビールが待ち遠しい。
限界まで空腹になった時に食べる肉は最高に美味い。
そんな具合に各々が晴れ晴れとした気持ちで帰路に付くと、玄関先でふて寝をする小太郎に出会した。
彼は火の点いていない煙草をくわえたまま、芝生の上に寝転んでいる。
「小太郎くん。そろそろご飯ですよ?」
蒼が優しく声をかける。
彼は問題児である小太郎にですら優しい。そんな彼の口からあんな毒のある言葉が出るなんて…と義希は身を震わせた。
「ん…あぁ。もう朝?」
寝ぼけ眼の小太郎が空を仰ぐ。夕陽に染まった空の色が、流れ往く雲の筋が、彼の髪に良く似ていた。
「お前ら…汚ねぇ…」
美しい情景に不似合いな姿。美しい情景に不似合いな発言。
「死ね」
「あんたの辞書にはデリカシーって言葉が無いのね」
呆れて背を向けた4人の背中に、立ち尽くす蒼がぽつりと呟いた。
「日常は、思いの外無情ですね」
言葉の意味を理解出来ずに首を傾げた義希。小太郎と沙梨菜もそれと同様。
「名言だな」
一人吹き出した沢也の後ろで有理子が振り返る。
彼女の瞳に映った蒼の微笑が、不思議と寂しそうに見えた。
長い陽が落ちて闇が訪れた頃、倫祐がフラッと帰ってきた。
空腹を我慢仕切れずに涙目の義希が暖かく迎えると、彼は買ってきた物をポケットルビーのままテーブルに置いた。
「ありがとね。お疲れさま」
有理子が声をかけてみたが、彼は小さく頷いただけでエントランスへと出ていってしまう。
「あ。凄い。お惣菜が入ってる」
今から調理を開始したら何時に食事にありつけるか、と逆算していた義希の瞳に光が宿る。
「流石倫ちゃん。気が利く~!」
指を鳴らした沙梨菜も珍しく食卓の準備を手伝いはじめた。
一見して大荒れな一日も、彼らにとっては平和そのもの。
皆が元気で居られれば、それ以上幸せな事はないから。
8人は遅めの夕食を楽しみながら、明日も平和な時間が過ごせるようにと
心から祈るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます