第24話 水無月の憂鬱
紅葉の水揚げが無事に終わり、俺はまた桜華楼の幇間としての仕事に戻った。
1階の大広間でまた池本さんと共に朝食を食べる俺達と遊女達。
俺は池本さんに思い出した歌があるのでという話をする。
「池本さん。また一曲、思い出したよ。歌詞の内容の確認をお願いしたいんですけど」
「助かります。
「そういえば一昨日から今日の朝まで顔を見ませんでしたけど何処の座敷にいたのですか?」
「桜の座敷だよ。それで今朝、無事に立て込んだ仕事が終わってね。朝飯を食べている訳さ」
今朝の朝飯は昆布の佃煮と油揚げと人参と里芋の醤油煮込みに白いご飯と味噌汁という組み合わせだった。後は焼き海苔も出たかな。
一昨日からの仕出し料理も美味だが、あんまり賞味するとここの食事が満足できなくなるから、人間って奴は怖い。
程なく朝飯を済ますと広間をまた借りて、打ち合わせに入る。
すると、ここ数日でまた内芸者が増えたのか見知った声をここで耳にした。
「よぉ! 零無! 久しぶりだな!」
「酒井⁉ どうしてここに!?」
「酒井さんも桜華楼の内芸者になったんですよ」
「昨日付けでな」
どうやら俺の知らないうちに事は進んだようだ。酒井と池本さんと俺が広間で話すのを手の空いた若い衆も観に来ていた。
雑記帳に書いた歌詞は2つある。
1つは
どちらが良いのかを芸者衆で話し合う。
あの演物は結構評判が良いので、新しい流行歌が必要なのだ。
「さすが零無だな。
「でも意外な特技だよな。流行歌の歌詞を書くなんて」
酒井は結構驚いた様子で俺を見ている。
確かに共に組んでいた時は、三味線を弾く俺しか知らないから驚くのも無理はないか。
池本さんは雑記帳にある二つの候補からどちらが良いのかを見比べている。
「どちらも良い感じですね。『君は誰?』の歌詞は寂しげだけど愛を歌ったもの。こっちは何というか『生きかた』を歌ったものみたい。私はこっちの方かしら?」
「歌い出しの『溢れ出す涙なら今は止めなくていい』が響くかもな。まるでここの人達を優しく励ましているみたいだ」
周りにいる若い衆も何か沁みるものがあったらしい。
その場にいる友吉とか、勇太とか、喜兵衛も賢治もしんみりしている様子だ。
「良いなあ。『溢れ出す涙なら今は止めなくていい』なんて滅多に歌われないよ」
「あっしらには発破をかけられる言葉くらいなもんですよね」
「何かしんみりしてしまいましたな。楓姐さんに怒られる。零無の旦那! 何かこう……気合の入る流行歌も考えてくれませんかね?」
「気合の入る流行歌か。確かに場を盛り上げるためにも必要だよなぁ」
「考えておきますよ」
「酒宴が始まる前に楽譜に起こしておきましょうか? 零無さん」
「そうですね」
楓姐さんの発破の言葉をかけられたのはすぐ後だった。突っ立っている若い衆に
「お前ら! 何を突っ立っているんだい? 今夜も馴染みが来るんだ。今のうちに掃除できる所や抜かりはないか確認しておくんだ」
「へ、へい! 姐さん!」
確かに若い衆の楓姐さんに対する怯えかたは、ビビっているという話でも無さそうだな。
楓姐さんはそそくさと自分達の部屋に帰ろうとする俺達に、今夜の酒宴の話があると言ってくる。
「芸者衆の皆さん。ちょっと今夜の酒宴に関する話があります」
「なんだろう?」
広間の廊下の途中という中途半端な場所に向かう、酒井と池本さんと俺。
そこで、楓姐さんは
「今夜の酒宴ですが、最近、流行歌を歌ううちの桜華楼が気になって揚がる客が多くなって来ましてね、さすがに一曲ニ曲では物足りないと思う客が多くなってきました」
「お座敷遊びも定番ですが人間は飽きがきますからね」
「ここ、吉原では飽きが最大の敵みたいなもの。斬新な流行歌ならば新鮮な空気になって、皆さんも揚がってくれると思います。何せ、今は月の中でも一番客足が遠のく6月。芸者衆の皆さんの歌で客足が遠のくのを少しでも減らせたらと」
「今夜の酒宴も5時頃からですよね」
「それまで後、8時間くらいですか」
「せめて何曲くらい歌っていただきたいのですか?」
池本さんの質問に楓姐さんはこう答えた。
「せめて5曲は歌って欲しいですね。流行歌だけでも」
「手元にあるのは3曲ですね。最初の『六千年の
後は2曲か。どうにかして俺の記憶の底にある名曲を引っ張り出さないと、と思った。
そこで酒井と池本さんが名乗り出る。
「零無さんだけに歌を考えさせるのも偲びないわ。私も何か考えようかしら?」
「面白そうだね。俺もやってみようかな」
「酒宴まで8時間。俺も後1曲はできるかな」
「頼みますよ」
相変わらずの品の良い着物姿が廊下から部屋へ去っていった。
しかしながら、どこでその作業をやるかだよな。まさか池本さんの私室にお邪魔するわけにもいかないし。
酒井の部屋でとも思うが、桜華楼には
蔭間とはわかりやすく言えば男娼の事で、男性版の女郎みたいなもの。
そのもの達もこの桜華楼に何かしら関係があるとの専らの話である。
生憎な話だが、俺には男色の気はないと言う話でね。
桜華楼に何処かそういう作業に向いている場所はないものかな。
すると珍しく、稲葉諒が内所から出てきた。
便所に向かっているのか。
廊下を歩いている。
「芸者衆の皆さん。寄り集まってどうしたんだ?」
「旦那様」
簡潔にこの話をすると、
「しばらく待っていて貰えないかな? 先に用を足したい」
と、便所に行って、用を足すと、俺達をとある部屋へ案内する。
1階の奥の内所とは反対側にある部屋には、ピアノが置いてある洋室があった。
「前の花魁で、
ピアノがあるとは驚いたかな。
でも流行歌を考えるにはお誂えな部屋だ。
稲葉諒は今夜の酒宴に考えを巡らせる俺達に励ましの言葉を添えて内所へと戻った。
「6月になるとどうしても客足は遠のいてしまう。梅雨の鬱陶しい雨を振り払うくらいに話題になるものをお願いしますよ」
俺達の夜までの戦いも始まった。
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