性同一性障害(性別不合、性別違和)・鬱病共生日記

さくら

その1.精神科入院生活と、看護師さんとの出会い

※性同一性障害の診断後、リストカットが続いて入院した時の話。


2020年5月7日


さくらです。

わたしは肉体的には男ですが、心の性別(性自認)は「真ん中から女性寄り」です。ずっと思い込みだ、と自分でも思ってたし周りからも言われていましたが、ちゃんと診断書が出て、心のままに生きる決意をできたのが2018年の6月下旬――大学病院の精神科病棟に入院中のことでした。


鬱病が悪化し入院し、退院後からジェンダークリニックに通い始めました。

入院時、本当にたくさんの看護師さんに、悩みを聞いてもらっていました。泣きながら話すことが多かったです。


特に妻と私の当時の状態(女装して入院生活を送っていること)のことで、彼女から突き刺さるような言葉の刃がメールで送られ続けていた頃、鬱が再び悪化していきました。


看護師さんにも、主治医の回診の時にも、そのことを話して、ボロボロ泣いて、「もう生きていたくない」「やっぱり死にたい」って訴えた、その時だった気がします。自殺の名所を3つ選んで、そこに行く手段を日記に書いたのもその時。一番は……言えるけど、ここに書くのは止めておきますね。


そのあとか、その翌朝か。その日の担当の看護師さんが、編み込みが得意な看護師さんに、「やってみたいこと」を聞かれて、「髪を結んでみたい」、と言いました。


当時は、性自認のズレに気づいて2,3年経過していた頃でした。少しずつ髪を伸ばして、「一般的な男性として」不自然ではない程度、かつ女性寄りの髪型を目指して、美容院で相談して、ちょっとずつ形を整えながら伸ばしてた頃だったんですが、まだ肩にもかからない長さで。目標は、「ポニーテールが結んでみたい」でした。


じゃあ、と彼女は言ってくれて、私は得意じゃないですが、編み込みがすごく得意な看護師さんがいるので、その子に言っておきますね、って言ってくれたんです。


そして、たぶん午後の担当になったその看護師さんが、私の髪を編み込んでくれました。


本当に、幸せな時間でした。


鬱の中にいて、灰色にしか見えなかった世界で、諦めるしかないって半分思いかけていたところだったから。

感謝の言葉しか見つからなかった。


嬉しくてボロボロ泣いて、記念に写真も撮ってもらいました。

しばらく…といっても、入院してたのが夏だったから、2日めに泣く泣く解くしかなかったんですが。

でもとてもいい思い出になって、それが私の背中をさらに押してくれることになりました。


もちろん、私みたいな人間は、奇異な目で見られることも有りました。


精神科病棟……開放型にいたんですが、大部屋・お風呂・トイレだけは男女別ですが、個室や食事場所、TVがある場所なんかは共有スペースで。

女装していた私は、今入院したとしてもそうだけど、男の大部屋にいました。スカート履きながら。マニキュア塗りながら。

髭脱毛を始める前だったから、かなり濃いヒゲを、毎朝丁寧に剃って、それでも昼過ぎにはジョリジョリ、ってしてきて。

そんな私が悪目立ちしないわけはなくて、ですね……。


若い患者さんとか、私に反応しないわけなくて、単に「変な女装おじさんが入院してる」って目で観られているのが分かって。


悔しかったなぁ……。嘲笑されているのが、明らかに私のことだ、って分かるんですよね、その患者さんたちの面会に友人のひとたちがきたとき、私の方をチラチラ見てるし。


その時に、リアルの世界……「精神科病棟」っていう、「安全な籠」の中だと、もちろん看護師さんも主治医の先生チームのみんなも、私(の服装)を否定することはない。

でも、それ以外の人にとっては、そうじゃなかったんですよね。当たり前なんですよね、一般社会だとそれが。


それだけじゃなくて、家族内での反発も当然有りました。家人、家人の母がタッグになり、私は……味方がいなかった。主治医との4者面談で、そんな対立がどんどん深くなっていったんですよね……


結局、実家(実父・実母・実姉)に性同一性障害のことをカミングアウトして、実家に私の味方・理解者になってもらうことを半強制されるような形になったり。


でも私は、こういったいろんな面倒な反応があって――せっかく安定してきていた心が、再び谷底に落ちるようなことを何度も繰り返しながら――それらがあったおかげで、実社会のことをはじめて冷や水を浴びせてくれたというか……。


今では、それがあったこそ、いい経験になったんだと思います。

私が、これから「どういう道」を歩いていかなければならないのか。それを身を以て知らしめてくれたのだと思います。


この、精神科病棟での入院生活と闘病生活がなければ――きっと私は、今も自分の生きる方向も見いだせないまま、中途半端にもがき続けていたのかもしれません。


何人もの看護師さん。いつも入院患者のみんなを――私のことも含めて、心配してくれていて、夜中に泣き出す私の話を、ずっと聞いてくれていました。


そして、私の生きる道を、後押ししてくれた看護師さん。その方の言葉で、「灰色の世界」に、色が付いたのです。


その後、退院してジェンダークリニックに通うようになって、髭脱毛も始めました。すべては、それがきっかけでした。


私は――今も迷うままですが――生きる道を見つけられた気がします。


精神科での入院。いったい、どんなものか、って、健常者の方なら思いますよね。

でも、みんな普通です。普通の、一人の、悩みを抱える人間。

それを、友だちになった患者さんからも。そして看護師さんからも、お世話になった主治医のチームのみんなからも、教えてくれた気がします。


とりあえず――今回は、このくらいで。

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