がぶがぶ/9 正しき狂信者
「僕と君が恋人として、そしてこれから一緒に暮らし続けると言うなら条件がある」
吉久がそう言った瞬間、初雪の表情が急速に変化していった。
縋るような視線は、粘着質なそれが混じり。
触れる指先には、力が籠もる。
「……――貴方に、条件を出す権利があるとでも?」
「僕は卑怯者だから、これから言う条件を飲まないと君から死んでも逃げ出すよ」
「卑怯者と自ら言うなら、以前のように体で説得なされば宜しいのでは? ええ、この体はもう貴方に堕ちているんですもの。――男の方ってお好きでしょう? 体は快楽で堕ちて、心では抵抗を続けるというシチュエーションが」
「今それをするなら僕は死を選ぶ」
きっぱりと言い切った吉久に、初雪はスッと目を細めた。
どうして、どうしてこの人は思い通りにならないのだろうか。
別段、今まで思い通りに生きていた人生だった訳ではない。
「――吉久君は私を言いなりにして好き放題していたでしょう? なのにどうして私は駄目なのですか? 卑怯者だから、その言葉以外でお聞かせ願えますか?」
「今の君を知り、そして理解したいから。そして同時に……今の僕も理解して欲しいから」
「憧れと恋愛と性欲を混ぜ合わせ拗らせた方は、言うことが違いますね」
「正論を言うなって? でも必要だと思うんだ。――はっきり言おう、今のままじゃ僕らは破綻する未来しか見えない」
「それこそ望み通りと言ったら? 私を壊したのは貴方ではありませんか」
怨念の籠もった吐息を吐きかけ、初雪は吉久の顔の皮を剥がすように撫でる。
それは正しい怒りであり憎しみだった、けれどそれこそが彼にとっての証拠。
「ほら、今だってさ……君はその爪で僕の顔に傷をつけるコトだって出来る、その権利があるっていうのに我慢しているだろう?」
「ええ、愛していますから」
「それだけじゃない、初雪さんは僕を傷つけるコトを嫌がる思いやりがある、理性がある、――壊れてるって言うけどさ、壊したって自覚はあるけどさ。まだ君の全てが壊れたワケじゃないって、そう思うんだ」
「それ、は……」
「完全に元通りになんて言えない、僕には言う資格が無い。怒りも憎しみも、それは初雪さん自身の大切な気持ちだ。無理に消そうなんて思わない」
ああ、と初雪は声にならない叫びをあげた。
どうして彼は理解を示すのだろう、欲しい言葉をくれるのだろう。
同時に思う、どうしてそれを最初から示してくれなかったのか。
「残酷です……、この世の何よりも残酷ですよ吉久君……」
「ごめんね。でも……少しでも君の心を軽くしたいんだ」
好きだから、愛してるから、そんな言葉は喉の奥底に押し込めて。
(もう二度と、僕は初雪さんに愛してるなんて言っちゃいけない)
それは彼女にした卑劣な仕打ちから、逃げる行為だ。
仮に彼女が許し、望んだとしても。
何より吉久自身が許せない、望まない。
「どうかな? 僕の出す条件を、先ずは聞いてくれるだけでも良いんだ」
「…………分かりました」
小さなため息が一つ、どうしてこんな狡い男を愛してしまったのだろうか。
愛する男の誠実な言葉に、望んでいた真摯な態度に、どうして否と言えようか。
(吉久君は理解しているのかしら、私が貴方の望みを拒否できないって事を)
初雪は、どんな条件が飛び出すか緊張しながら言葉を待って。
「条件その1。君からの暴力には抵抗しない、けど顔や首とか見えるところは止めて欲しい。――言い訳出来ない事態になるのは避けたい、僕は君の評判を落としたくないんだ」
「…………成程、続けてください」
「条件その2。セックスは節度を保って、前みたいに学園の中では空き教室みたいに誰も居ない場合でもしない」
「質問です、学外では?」
「最大限に譲歩してラブホ……って、どうしてそこで学外って言葉が出てくるワケ??」
「だって私を羞恥心で責めるのお好きでしょう?」
平然とした口調の中に混じる艶と憤りに、吉久は思わず冷や汗を流す。
そんな彼に構わず、彼女は続けて。
「何度もしたじゃありませんか、鬘をかぶってサングラスを掛けさせて痴女そのものの格好で、公園や電車の中でバイブやローターを付けて歩き回させるの。ふふッ――実は私、癖になっているんです」
「な、何をだい初雪さん?」
「快楽に屈する私の体へ、恥辱と屈辱を味合わせてくる貴方へ、被虐心と憎悪と、悦びと愛の炎を燃やすのが」
困った、これは思った以上に手遅れなのではないだろうか。
完全に性癖がねじ曲がってしまっている、だが吉久は断固たる決意で告げた。
「うん! 条件2は絶対遵守で!!」
「そんなッ!? こんな体に調教しておいて、一度染み着いた快楽を忘れろとッ!?」
「バレたら評判が下がるどころか、人生終わるヤツそのものでは?」
「それをさせたのは吉久君でしょうがッ!!」
「あの時は僕も人生終わっていい覚悟と、絶対に命にかえても守るって覚悟してたから」
「ッ!? うう~~~~」
しまった、ちょっと勝てないと初雪はたじろんだ。
これが己を陵辱した男、単に色んな物を拗らせた訳ではなく。
人生を賭けて、己の全てを愛し独占しようとしていたのだと。
(狡いです、そんなの嬉しいって思ってしまうではないですか……――はッ、ダメです、こんな言葉に流されてはいけませんッ!! 断固として屈しな……いえ、むしろそれが普通で、で、でも……)
目をぐるぐる回し苦悩を始めた初雪に、吉久は真剣な顔で両肩を掴み。
「条件3、恋人っぽいセックスしかしないから。もう僕は自分の中の獣欲に負けない、過激な玩具とかプレイとか絶対にしないよ!!」
「くッ、妥協案! 妥協案を望みます!!」
「内容によるね」
「せめて籍を入れて妻になったら! そうしたら解禁してください!!」
「…………それってさ、十八歳になったら在学中でも結婚届を出すってコト? 僕、性欲でそういう大事なコトを決めるのってどうかと思う」
手強い、だがそれで諦める初雪ではない。
はっきり言おう、彼女の愛や執着の中には性欲も大きな割合で入っているのだ。
「――――――分かりました、ならば此方も妥協する内容を変えましょう」
「具体的には?」
「物理的な強要はしません、過去の事実を突きつけてプレイを要求しません、でも……私がそうする様に誘惑し、貴方がその誘惑に負けた場合のみに可能としてくださいまし」
「……なるほど、ここが妥協する所か」
吉久は素直に引き下がった、彼女の誘惑に耐えればいいだけの話だ。
その自信がある、彼女の体を知り尽くした己が誘惑なんかに負ける可能性など絶対にない。
――話が纏まったならば、次の条件だ。
「じゃあ条件の4。……なるべくさ、普通の恋人っぽくしよう」
「それは私としても望むところでもありますが、理由を聞いても? 嫌がっていたでしょうに」
訝しげな視線を送る彼女に、彼はどこか晴れやかな顔で、しかして自嘲するような声色で。
「初雪さん、君を知りたいんだ。色んな君を僕は知りたいと思う」
そして。
「君の力になりたい、君を幸せにしたい、今度こそちゃんと……君が僕にそうして欲しいって、望んでくれているから。――ああ、でも勘違いだったら忘れて欲しい。何も聞かなかったコトにしてよ」
「吉久君……」
彼の言葉は、初雪の心に染み渡った。
嬉しかった、だからこそ理解出来た。
竹清吉久という男の子が、何故に狂信者と周囲から呼ばれていたか。
(これがきっと、本当の貴方なんですね)
思わず目を伏せる、伝わってくる。
後悔に苛まれ、罪悪感で死にたい程に、自己評価が低くそれ故に捻れて、――独占欲。
押し殺して押し殺して、それでも抑えきれない独占欲。
何をしてでも初雪の全てを知りたいという、執着心。
(――なんだ、私達、お似合いなんじゃありませんか)
彼女の存在その者が、平凡な人生を送るはずの彼を狂わせたのだ。
心優しく、正しい道を歩めるヒトを誤らせたのだ。
(私の美貌が、体が、声が、心が、言葉の一つ、所作のひとつ、全て全てが吉久君を狂わせた)
だって今も尚、自分から手放しておいて彼は己に執着している。
確かに初雪を思いやっているのに、どうしても己の欲望を抑えきれない。
その事実に、……彼は気づいているのだろうか。
(――あはッ、あははははははははははッ!!)
愉しい、こんなに愉しい事が今までの人生に存在しただろうか。
愛情が止めどなく溢れていく、憎悪が限りなく噴出していく。
(あ、うん、これ提案して正解だったみたい)
吉久は暗い快楽に顔を歪ませて嗤う彼女を、冷静な目で見ていた。
その歪みは、生来の物だったかもしれない。
けれどそれは、吉久が呼び覚まさなかったら発露しなかった物で。
「ねぇ、初雪さん……僕は絶対に君を幸せにする。例え一生かかったとしても、命を喪う事になっても、君の心を軽くしてみせる」
「その時が来るのを楽しみにしているわ、でも忘れないでください――――私は貴方を愛するのと同じ大きさで、殺したい程に憎んでいるという事を」
吉久は決意を灯した目で、初雪は激しい愛憎を宿した瞳で、挑発的に見つめ合う。
そして自然と顔は近づき、唇と唇があわさる寸前であった。
「あっ、そうだ授業!?」
「今日はもうサボりませんか? 私、今から貧血になりますので。吉久君は保健室で看護していた、という名目で恋人セックスをしましょう」
「嘘はよくないよ、それに学内ではしないって言ったばっかだよね??」
「――――吉久君が保険医役で、無垢なお嬢様とエッチな身体測定プレイが可能ですよ? 本当に良いんですか?」
「それ真面目な顔で言うコトかな??」
「違うと、リモコンローターで授業中に屈辱の羞恥プレイがしたいと、そう言うんですね」
「一言も言ってないよねそれ、普通に授業に出よう?? ほら、君の教室までお姫様抱っこするから……」
「くッ、なんて卑怯なのです吉久君ッ!? そんなの、そんなの――――」
葛藤する初雪を無視して、吉久は無理矢理にお姫様抱っこを決行。
正直な話、そこまで腕力があるわけでは無いがそこは気合いでカバーだ。
「有無を言わさずですか、本当に卑劣なヒトですね吉久君は…………あむッ」
「っ!? 甘噛みするなら前もって言ってよ。それから条件に追加ね、噛み痕やキスマークは見えるところに残さないコト」
「分かりました、んちゅ~~」
「言ってる側から首筋にキスマーク付けないでよッ!?」
「これは虫除けですから、私の所有物という証なのでカウントに入りません」
「くっ、こんなコトならお姫様抱っこなんてしないで放置すれば良かった……」
(放置しても吉久君は戻ってきて同じ事をすると思いますけどね)
初雪はくすくすと鈴の音の様に軽やかに笑いながら、教室までお姫様気分を味わったのだった。
そして、次の日の放課後である。
「何時来てもココは静かだよなぁ……まぁ相談するには好都合だけど」
吉久は初雪には内緒で、親友・根古紗楽の所属している部活。
旧校舎にある、写真部の部室の前まで来ていたのであった。
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