第19話(下)
温泉宿を出発し30分ほど運転するとあっという間に湖の駐車場に着いた。浴衣姿の葵の手を取り車から降りると、そこにはすでに行列ができていた。
その列に並び、二人は呟く。
「うわ、人おおっ」
「だな」
その人の多さは異常だった。
まだ開演もしていないというのに駐車場からも確認できるほどだった。入口の奥にも人がいて、来ている人はおそらく1000は軽く超えるように見える。あくまで目算だがそのくらい迫力があった。
にしても、田舎の山中の湖でやる花火大会だというのにどうしてこんなに人が集まるのだろうか。4年1度と言ってもサッカーのワールドカップじゃあるまいし、度が過ぎている。
そのくらいのイベントなら俺の耳にも届いているはず――と翔は感じたがすぐに首を横に振った。
(まぁ、あれか。俺がインドアだからか……)
何を今更なことを思い出しているのだろうかと自分でも感じて苦笑する。
どうでもいいことを心の中で呟く翔を横に、葵のほうはと言うと少し恥ずかしそうに俯いていた。
(……ドキドキするなぁ)
胸に手をあて、動悸を確かめると明らかに普段よりも大きな音がなっていた。告白したからなのか、それとも二人で花火大会を見るのが8年ぶりだからなのか、理由が皆目見当もつかない。
あれからずっと頭に響く声。
『覚悟しててほしい』
あんなにも真剣な顔で、いつもよりも深く低い声でまっすぐ葵を見ながら言っていた。
さすがの葵もそれが告白の答えなんだろうと分かってはいたが、まったく嬉しがることも出来ずにいた。時間的に瑞樹のアドバイスも試せないし、この格好で色仕掛けという手も考えてはいたが体の関係を持っている翔に通じるとは思えない。
あとは待つだけ、自分の頭の中でそう理解できていても胸がチクチクして落ち着けなかった。
そんな葵を見かねて、翔は顔を覗きながら――
「大丈夫か?」
「——う、うんっ」
「ならいいんだけど、その、呼吸荒いぞ?」
「う……そ、それはその花火見るの久々でドキドキしちゃってるからよっ」
「それはさすがにドキドキしすぎじゃないのか?」
「う、うるさいし……その、恥ずかしいの! ほら、私だけ浴衣だしっ……」
「そうか——?」
言われて周りを見回す翔。ちらほらと浴衣を着た女性も見受けられた。同時に葵を見つめて、何を考えているのかと不思議に感じたがそれ以上は詮索することはなかった。
(まぁ、葵って意外とお洒落に興味ないもんな。俺に見せてくれた時も結構顔が赤かったし)
(ご、ごまかせたかしら……ほんとは告白の答え聞くからだったけど。ていうかなんで翔はドキドキしてないのよ)
再び交差する二人。
葵の言う通り、どうしてドキドキしていないのか。
正解はドキドキしている。ただ、そればかり考えていてもちゃんと答えられるか分からないからだ。酒を飲んだだけで理性を失うほど意志の弱い男だとしっているからこそ、思いつめないようにしているだけ。
(ふぅ……とりあえず、普通に話して花火見て、答えよう)
それから数十分ほど経ち、準備時間の20時になり行列が一気に動いていく。翔がなんとか会話を繋いでいたせいで、ストックも少なくなっていて危なかった。
告白前に無言があると意識せざる負えないので、賢明な判断だろう。
さらに10分ほどかけて、二人は入場した。
会場は湖を囲むような形で東西に円状に広がっていて、屋台も並んでいて、お祭りに相応しい舞台だった。ここまで来るために走ってきた道のりはあまりに自然過ぎたせいもあって、頭も混乱する。
「……すげえな、やっぱり」
「……ほんと、なにこれ」
その光景にドキドキも吹っ飛びそうになるくらいだ。
入ってから少し歩くと、そこも人でいっぱいだった。
先に入場していた組もちらほらいたせいか、真ん中の特等席らしき場所はほとんど埋まっていた。
「これじゃあ、座れなさそうね」
「だな」
「ほんとね」
「これなら、もう少し早くこればよかったな」
「……っわ、悪かったわね」
そう嘯くと葵が頬を膨らませ、不貞腐れた顔で呟いた。何も考えずに言っていた翔は慌てて訂正する。
「っあ、いや……別にそう言うわけで言ったんじゃ」
「……いいわよ、事実だし」
「別に俺だって変な話したから、おあいこだって……頼むから拗ねないでくれ」
「私、拗ねてるように見える?」
「た……多少は」
少しの無言が続き――彼女は一気に顔を赤らめる。
「っ——わ、悪かったわね!!」
視線を合わせないように告げた彼に少しイラっとして大きな声で言い返す葵。すると回りが動きを少し止めて驚いたように二人を見つめる。
それに気が付いて、葵はすぐさま彼の手を引っ張った。
「い、行くわよっ————」
湖の西側へ歩いていき、柵の目の前の綺麗なベンチが開いているのを見つけ二人は座った。
「ふぅ……」
「危なかったな……」
「誰のせいよ」
「わ、悪かったって……別に悪気があったわけじゃないから」
「……別に、いいけどさ」
「おう……頼むよ」
翔がそう呟くと再び会話も途切れた。
時計を見ると時刻は20時16分。準備時間も残り4分で、周りの席にもお客さんが続々と座っていく。
他の人たちの声で湖周辺は騒がしかったが、都市の夜とは少し違った雰囲気に包まれていたせいであまり気にならなかった。
チケットの裏表紙を眺める翔に葵はふと呟いた。
「ねぇ」
「なんだ?」
「好きよっ」
「っ————急に、な、なんだよ」
「別に、言っただけ」
「……随分と急だな、ほんと」
不意打ちに頬を赤らめた翔を見て少しほっとする葵。
(まじで、急になんなんだよ……)
今まで考えないようにしていた胸の動悸が一気に高まって、考えないようにしていても伝わってくる。決壊した自制心に歯止めが利かなくなるのはやばい。
そこで、翔は葵の表情がいつもより少し違うことに気が付いた。
恥ずかしそうなのは変わらないが、今日の彼女はどこか吹っ切れているというか……自信、いや強さ……それでもない、言葉には出来ない何かに身に纏っているように見える。
つまり、彼から見てこの二時間の彼女の行動を掴めないでいた。
いきなり告白するところも、言葉端々がちょっと強かったりするところも何かがおかしくて苦笑するしか出来なかった。
時計は20時19分。
周りの騒めきも徐々に小さくなってきて、翔は葵の肩を叩く。
「……もうすぐ始まるけど、トイレとか大丈夫か?」
「うん、私は大丈夫」
「そうか……」
好きと言ってきた無粋なトーンで言い返す。
ほんと、おかしい。一方的で今日は話がかみ合わない。
いつもなら少しは昔の話に派生したりするのだが、宿に着いてからというものの……あの仲居さんのせいなのかと疑り深くなるほどにおかしかった。
ただ、だからなんだと首を振る。
花火を見ながらでも模索して、打ち終わったら俺からも告げればいい――とパチンと頬を引っ叩いたのだった。
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