第三十九話 経営者、そして異世界人としての責任
「う、売り切っただ~!? まだこの商店開店してから、三日しか経ってないんだぞ! そ、それで、うちの畑全部収穫させて、もう売り切れたってのか!」
うるさ。何だこのおっさん、声が大きすぎる。ああ、確か代々この場所で露店を開いていた農家だったかな。エコノレ君の話にかたくなに頷かなくて、結局彼の罠に嵌められてた。可哀そうなおじさんだ。
彼の言うとおり、あそこの畑は全部収穫させて、全部売り切ってしまった。当然代金は通常通り支払っている。彼らは私たちの商店で大儲けしたのだ。それこそ、個人の露店なら数週間から数か月かけて売っていく商品を、三日で捌ききった。
「まあ、はい。それで追加の仕入れをお願いしようと思ったのですが……貴方の畑にはもう作物が無かったんでした。これは失礼を。俺としたことが、こんな簡単なことを見落としてしまっていた」
「つ、追加の仕入れなんで出来るもんか! 大金が手に入るって話を信じて、こっちは自分らが食う分もいくらかそっちに譲ったんだ! もううちに農作物なんか残っとらんぞ! そもそも契約はあの場限りだった。定期的な仕入れに協力できなくても、こっちに非はない! もらった金も絶対に返さん!」
ふむ、なるほど。彼は勘違いをしている訳だ。私に返金を要求されると。
だが少し考えれば分かることだ。ただの売買契約に、相手の都合や私情など挟むものではない。当然、返金の要求などするはずがない。
恐らくは、他の農家たちの噂でも聞いたんだろう。彼のようにエコノレ君の罠に嵌められた、哀れな頑固者以外は、ある程度の長期取引契約を結んでいた。その場合、作物が尽きても、次の収穫では必ず仕入れをお願いすると言ってある。
農家にとっては、これ以上ない契約だ。何せ、今までは自分たちで商品を捌いていたのが、私たちに全部渡せば大金を得られるのだから。売れ残るリスクも無ければ、商品を保管するための倉庫だって必要なくなる。
この男は、どこかでその話を聞いたんだ。そして、自分がその話をされなかったことに気付いた。自分の頑固が生んだ過ちに、今更気が付いたのだ。
しかしもう時すでに遅し。私から彼に長期契約を切り出すことはない。そして彼も、それは分かっている。だから最低限、手に入れた金だけは守ろうと必死なのだ。
「もうお分かりだと思いますが、一応お伝えしておきます。私どもは既にあらゆる人脈を兼ね備えており、あの土地も手に入れました。一人のお相手から商品を仕入れ続けるのは、商品の単一化を招きます。俺たちはそれを好まない。だから、今後貴方方と長期的にお取引するつもりはないと、ご理解頂きたく」
「わ、わかった! その件については俺も承知している! だからさっさとどっか行ってくれ!」
「それではまた。ごきげんよう」
みじめだ。しかし、一度に大金を手に入れれば誰だってああなるだろう。私も、商店の売り上げを計算して飛び上がった。そして次に考えたのは、この金を如何に守るかだ。通貨の効力がまだ薄いこの国であっても、それを手放したい人間は一人もいない。
だがその観点で言うと、彼は知らず知らずのうちに、今後手に入れられるはずだった大金を自ら手放したことになる。何せ、今までマーケットの端で細々とやっていた他の農家は、ある程度の将来を約束されたのだから。
私は彼の家を去る。今や市場の中心となった私の商店は、たった一人の農家をいつまでも相手していられるほど、暇ではないのだ。急ぎの案件がいくつもある。
短時間でも私がここに来たのは、ただ単に、エコノレ君の罠を完成させたかっただけ。人を嵌めるというのは、最後までネタバラシをしてこそ、花開くというものだ。
「エコテラさん、大丈夫ですか? アイツに何か言われたりしませんでした? 交渉の段階で結構な暴言を吐いてきた奴ですからね。ムカついたのなら、今から僕が鉄拳制裁してきますけど」
「必要ないよプロテリア。たまに怖いことを言うよね。暴力は禁止だ。相手が使ってくるまでは。やるならそう……今回みたいな経済制裁だよ。武力はその次」
コンマーレさんの家から勝手につれてきた馬を撫でつつ、私はプロテリアに笑顔を向ける。そもそも仕入れとか言いつつ、馬は一頭で馬車もなし。最初から、彼と交渉なんてするつもりはなかったんだ。これを見れば、すぐに察しただろうね。
プロテリアに手を引かれ、私は馬に飛び乗る。私に馬を操る技能なんてないから、彼に手綱を握ってもらうんだ。
プロテリアが前で、私が後ろから抱き着く形になる。彼がもう少し背の高い男だったら、もっと身体を預けられるんだけどなぁ。
普段大人のような振る舞いをしているが、人間的な感覚で言うとプロテリアはまだ中学生かそこらだ。高身長なエコノレ君の身体で抱きしめると、どうしても背中が小さく感じる。
あと絵面が酷い。逆だろう。どうして良い大人の私が、子ども同然のプロテリアに抱き着いているのか。
もういっそのこと、この長い髪を下ろして、本格的に女性として振る舞ってやろうか。こんなに筋肉質な女性もいないと思うけど、エコノレ君結構童顔だし、メイクして髪型変えれば中々可愛くなれると思うんだよね。
「エコテラさん、なんか妙な雰囲気が出てますよ。僕の背中で変なことしないでください」
「ひゃ! へ、変なことなんてしてないよ!」
危ない危ない。ちょっと妄想がはかどり過ぎてしまうところだった。
でもこの身体はもう私のものでもあるんだし、私の番が来ているときは、好きなようにオシャレてもいいと思うんだよね。私だって女の子なわけだし!
「しっかりしてくださいよ。今日はわざわざ休業にしてまで、時間を作ったんですから。今日はこれから、新しい農家さんとの交渉。アルバイト面接。午後からカッツァトーレさんと魔獣の狩猟について相談とか、ランジアの研究進捗報告とか、予定山積みですから」
正直、店を休業するのはやり過ぎかとも思った。しかし、このまま問題を抱えた状態で営業を続けていれば、そのうち崩壊が来るのだ。その時、今よりももっと顧客との関係が進んで、止めるに止めきれない状態だったら、この店はもうおしまいだ。だから今、ある程度フットワークが軽いうちに、問題を全て片付けておく必要がある。
っていうか、私がいないとまともに一日経営できない時点で、問題だらけだった。このままだと私の身体が持たない。
それに、今日はプロテリアにも付いてきてもらっている。普段店内にはいないけど、彼も経営担当として日々業務を行っているのだ。重要人物が二人抜けた状態じゃ、今の商店は動かせない。
「まずはやっぱり、人手の確保だよねぇ。今日で解決出来ればいいけど、即採用できるような子が見つかるかなぁ。それに、農家さんも大変だ。正直交渉はエコノレ君に任せたい。私たちの影響は、今までのマーケットにとって大きすぎるものになっちゃったから」
私たちの商店は、それまでのマーケットの均衡を大きく揺るがした。実力のあった露店も、客足が遠のくばかり。早々に自分たちで店を経営することを諦め、私たちに仕入れの契約を取り付けた者だけが、莫大な利益を手にしている。
資本主義を主張するのなら仕方のないことだけど、私たちのせいで生活に困っている人は多い。さっき頑固農家に言った理由もあるけど、私たちが多くの農家さんから分散的に仕入れをするのは、商品の売り先に困った彼らを救うためだ。
これは自分たちで撒いた種である。当然、交渉の際には酷く反感を買うだろう。だから気が重たいのだ。
しかし、これを自分で回収できなければ、私たちが店を経営する資格などありはしない。
この世界に近代経済学を持ち込んでしまったのだから、自分がこの世界に与える影響というのも、当然考えて行動しなければならないのだ。どれだけの人が苦しむのか、それをどの程度救えるのか、私は私なりに、責任を取らなければいけない。
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