第九話 商業の始まり
初めての魔法の感覚。今まで身体が弱く、まともに運動も出来なかった俺が、こんなに速く走れるようになるなんて。正直俺は今、感動している。
やはり魔法は素晴らしい。ずっと魔法を研究してきたが、これほど魔法の崇高さを実感したのはこれが初めてだった。どうしても、自分で使えるようになりたいものだな。
しかし、さっきのは本当に何だったのか。町民が突然大声を上げ、俺たちを、というかコンマーレを追いかけてきた。魔法の高揚感も合わさり、全く理解できずにいる。
「な、なんだったんだ。今のは? 説明してくれ、コンマーレ殿」
「いや~多々少々かくかくしかじか色々あってな。奴らに捕まると扱いきれない量の食料を無理やり受け取らされ、良くわからん珍しい石とか、良くわからん希少な動物とかを渡されるんだ。今日は買い物が目的だろ? 普段から受け取ってないが、殊更に受け取る訳にはいかなかったからな。その点、このマーケットはモノが取引される場所。ここの決まりによって、取引以外の受け渡しは禁じられているんだ。それじゃあ物流が成り立たないからな」
なるほど、だからマーケットまで逃げ切れば勝ちだったのか。
町民たちは、何もコンマーレに食料を買い取ってほしかったわけではない。日頃の感謝を受け取ってほしかったのだろう。
しかしいったいコンマーレはどれほどの人物なのか。いったいどれほどの偉業を成せば、あのような事態になるのか。俺には想像も付かない。
少なくとも我が領地では、領主であり最高の騎士であった父ですら、領民に食料を受け取ってくれと追いかけられることはなかった。
父は間違いなく領民に慕われていたし、好かれていたが、コンマーレほどではなかったのだ。
この男、やはり底が知れない。恐らくタイタンロブスターの中でも相当に長生きなのだろうが、種族の異なる人間にこうも好かれる偉業とは、相当なものだ。
「それより、僕はテキトウに買い物してきますけど、お兄さんは何か用事があって来たんでしょ」
「あ、ああ、そうだな。ところで、子どもたちは顔を隠さなくても平気なのか? コンマーレ殿はフードで顔を隠しているが」
「ああ大丈夫ですよ。僕たち最近こっちに来たばっかりで、まだ町民に顔を覚えられていませんから。父さんほどの知名度もないですし」
それだけ言って、長男プロテリアはどこかへ走って行ってしまった。彼も俺よりずっと足が速く、すぐに見失ってしまう。
あいや、あそこの通りを曲がったところに居たわ。めっちゃ髪が目立ってるんだが。この辺り、あんな青空みたいな髪色の人は少ないんじゃないか? ぱっと見回しても、茶色か黒、金くらいのものだ。
町民たちはあの子どもを見て何も思わないのだろうか。
「なぁ早く行こうぜ。あいつらなら心配ねぇよ。それより俺たちの方が危ない。いくらマーケットの中とは言え、俺に気付いた連中が集まってきて、その内身動き取れなくなるぞ。一か所に留まってるのは危険だ」
言われてみればそうだ。あれほど慕われているコンマーレ。きっと周囲の者に気付かれれば、一言話がしたいと人が集まり始め、俺たちは買い物どころではなくなってしまう。そうなる前に動き出さなければ。
「今日は何が目的なんだ? とんでもない財を手に入れるって言ってたからな、何か考えがあるんだろ」
「それはそうなんだが。恥ずかしいことに、知識と知恵を持っているのは俺じゃ無くてな。実際のことはほとんどエコテラに任せることになる。今の俺に出来るのは、簡単な市場調査くらいのものさ」
本当に恥ずかしいことだ。自分の恋路を良き方に進めるため大業を成そうというのに、自分は後方から眺めているだけとは。いつもながら、自分の力不足にほとほと呆れるばかりだ。
しかも、俺が頼るのは自分よりも年下の少女だと? 異世界から彼女を呼び出し、向こうの付き合いもあったろうに俺に協力してくれる、優しい少女に頼ることしかできないなんて。これ以上の恥はない。
しかし、だからこそ俺も何かしなければならない。せめて、少しでも彼女が楽にことを進められるよう、下準備を全て終わらせるのだ。
今の俺にも、出来ることはある。
「そうだな、コンマーレ殿。いつの世も、どの世界でも、姿かたちは変わろうとも、商業の成立したその瞬間から普遍的に存在するジャンルは何か分かるか?」
簡単だ、なんということはない。このマーケットをざっと見回すだけでも数十か所。おそらくもっとたくさん存在する。気付けば本当に単純なものだ。
「そう言われると分からんなぁ。金を稼ぐなら、やっぱ高いものだろ。家とかか?」
「残念、全然違う。答えは食料品だ。さっきも、コンマーレ殿に分けようと皆躍起になっていただろ? まさに、誰でも欲しがるだろうと思ってああしたんだ。例えば、町民の一人が、コンマーレ殿に家をあげようとする。しかし君は既に立派な家を持っているから要らないんだ。けれど、食料品ならどうだ? 食料は毎日減るし、毎日調達しないといけない。だから普遍的に存在するんだよ。そもそもの商業の起源も、食料の取引に存在するという説もある」
新しい家は必要ない人がいる。新しい道具は必要ない人がいる。新しい服は必要ない人がいる。
しかし食料は、全ての人間が新しく必要である。毎日消費し、毎日買うのだ。
それも、より大きな利益を望むのなら、たったひとつの分野を売りにしていてはダメだ。
肉屋は需要が減れば衰退する。魚屋も需要が減れば衰退する。八百屋だってそうだ。ましてや、真新しい食品を提供する店は、飽きられれば確実に倒産する。それしか勝負できないのだから。
だから俺が目指すのは、広く浅い商品を扱う小売店。スーパーマーケットだ。
肉の需要が減ろうとも、魚の需要が減ろうとも、野菜の需要が減ろうとも、他の分野で利益を補い、その資金を使って需要を煽ることが出来る。そうすれば再び肉も魚も野菜も売れ始め、真新しい商品にも安心して手を付けられるというものだ。
「だから、今日は食品を中心に相場を調べる。この地域ではどのようなモノが、どのように売られているのか確かめるんだ。実地調査だよ」
「なるほど、ぜんっぜん分からん。ただ、金のことは気にするな。今日は完全に俺持ちだ」
本当に助かる。実際今の俺には特に価値のあるものを持っていない。そもそも取引を成立できないのだ。このお礼は、いつか必ずしなければならないな。
まずはそうだな、手近な野菜類を調べるか。かなり種類は豊富で、俺のいた大陸では見たことのないモノもいくつかある。
「おばちゃん、この野菜いくらだい?」
試しに小松菜のような野菜がいくらなのか聞いてみる。そもそも俺はこの国の貨幣価値も理解できていないんだ。
「兄ちゃん見ない顔だねぇ。これは普段銅貨4枚で売ってるが……アンタイケメンだしね、3枚に負けてやるよ」
なんと、顔で値引きを受けられる場合があるのか。俺は基本的に買い物なんてしてこなかったが、こういうものなのだろうか。
しかし、これではいけない。これはエコテラの目指すものではない気がする。
俺はおばあちゃんに銅貨3枚を手渡し、続いて質問した。
「ありがとう。ところでばあちゃん、かなり上等な品みたいだけど、この野菜はどこから仕入れているんだ?」
情報を引き出すなら媚びを売っておく。例え嘘でも、品質が良いと褒めれば気分は良くなり口は滑るものだ。
まあ普通の露天商にやるようなもんじゃないが。
「おう口が上手いね兄ちゃん。ここの品はぜ~んぶ家で作ったもんさ。旦那と息子が向こうで農業やっとるよ。少なくとも農家はだいたいそうさね。多分、肉屋も魚屋も、自分らでとったもん売っちょるよ」
やはりか。この国にまだ流通業者というものは存在しない。
しかし俺が目指すのはスーパーマーケット。つまり流通業者の終点に当たる。なんとしても、流通業者をこの国に定着させなければならない。
「ありがとうな、ばあちゃん。次は肉屋に行こう。他の業種の人にも話が聞きたい」
「ねぇねぇエコノレさん、あそこ」
コンマーレに目くばせした俺の視線を遮り、それまで静かにしていたミノファンテが話しかけてきた。
また何かおもちゃでも見つけたのかと思ったが……。
子どもだ。泣いている。きっと親とはぐれたのだろう。大通りよりもさらに人が多く、露店が立ち並ぶこのマーケットで親とはぐれれば、不安になることは想像に難くない。
『助けてあげて、エコノレ君』
どこからか、そんな声が聞こえてきた。不思議とパラレルの時のように驚くこともなく、俺はすんなりこれを受け入れる。
「元よりそのつもりだったさ、俺は子どもが大好きだからな」
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