白の向こう側
さくら
第1話 Emptiness
大学の5限目がやっと終わって、ざわついたままの講義室で机に突っ伏す。
教授が何やら他の学生の質問に答えながら部屋を出て行っているのを、ぼぅっと眺めながらしばらく待っていた。
……慣れたとはいえ、入学して以来決してなくなることのない、ぶしつけな彼らの好奇の視線に耐えながら。
「……やっと行った……」
しばらくして、誰もいなくなった講義室で窓の外に目をやる。
部屋の光に反射して映し出された、ガラス越しの私の姿――
真っ白な髪に、青にも緑にも見える瞳。
時折、赤にも見えるその瞳は、まるで吸血鬼のようだといつも思う。
「……『先天性白皮症』、か……」
私は――
先天的に色素を持たずに生まれた、アルビノだった。
先天性白皮症は、メラニンの生合成に支障をきたす遺伝子疾患のことだ。
つまり、本来メラニン色素を持っているはずの体毛や皮膚、虹彩などにメラニン色素の欠乏をきたす「先天的な」病気だ。
だから、私には生まれついて「色」が無い。
真っ白な髪。
真っ白な肌。
それは決して比喩としてなどではなく、文字通り真っ白であることなのだ。
まるで、物語にでも出てくる、空想上の人間のように――
私は、色の無い存在として生まれた。
瞳の色も黒ではなく、青や緑――いろんな色が混じって見える。
これは、私が生まれ持った、決して変えることができない体質。
私がいかに普通を望んでも
どんなにみんなと同じでいたいと思っていても――
私はそれを、絶対に手に入れることができない。
この日本という閉鎖的な社会で、周りと違うという事が、どれほどのことなのか――
それを思わない日は無かった。
遺伝子疾患であるため、根本的な治療法はないと知った時の――
その時の私の絶望は、きっと誰にもわからない。
――もし生まれ変われるなら――
――私に2度目の人生が許されるなら――
何度、そう思っただろうか。
踏み越えてきた、あの頃を思い――
ぎゅっと、強く瞳を閉じる。
小さな頃は気にも留めなかった。
今振り返って考えると、幼いながら少し変だとは感じていたが――
それでも、両親も友達も、そして幼稚園や小学校の先生も、とても優しかったから。
――私は、他の子と違うところがある。
やがてそう気づき始めても、友達は気にしてなかったように見えていた。
だから、私も、それは気のせいなんだと思ってしまった。
そう。何も問題なんかない、と……。
でも、それがだんだんと崩壊する時期が近づいてきたのが分かった。
気づいてしまったのだ。
どうしてお父さんもお母さんも――
私以外の友達も、先生も、みんなみんな、どうして髪も眼も黒いの?
肌も褐色なの?
一体どうして、私だけ全部真っ白なの?
周囲から、常にじろじろと見られ続けた日々が、今度は私という異質なモノを排除しようとするようになるまで、そう長くはかからなかった。
物珍しげに、まるで檻に入れられた世にも珍しい動物に出会ったかのように――
学校でもどこでも、私を振り返らない人は1人としていないことに、大きくなるにつれて気が付いてきた。
ひそひそと囁かない人もいない。
私の方を見て、指を差さない人もいない。
写真を撮らない人だっていなかった。
どこにいても、いつまでもつきまとう『それ』から逃れたくて、友達との日々の中で、無理やり忘れようとした。
でも小学校を卒業し、中学に入学したら――
何もかもが、私が逃げたかった『それ』になっていた。
私を見る目、指さす人たち――。
――私は、彼らにとっては『人』としては映っていない。
入学してすぐに、私をからかう声が聞こえ始めたと思ったら――
その前の日まで普通に話していた友達が、急に何も答えてくれなくなった。
私のことが、まるで見えていないかのように、他の子たちとは話しているのに、私には絶対に、誰も話してくれなくなった。
まるで、教室の壁と同じであるかのように――
「白」の私は、最初から存在していないかのようだった。
相変わらず、私の背後には、ひそひそと囁く声と、あの視線を感じ続けているのに――。
――ここにいるのに、ここにいない。
私の居場所は、その日からなくなった。
やがて、私が家の玄関を出た途端、呼吸が苦しくなって立っていられなくなり――
私が家から全く離れられなくなるのに、そう時間はかからなかった。
――結局、中学校の卒業式の日も、私は部屋の窓から、ずっと空を眺めていた。
「鳥のように、自由に羽ばたきたい」
そう願って――。
その頃の私にとって、「白」は忌むべき対象でしかなかった。
でも、お父さんもお母さんも、心を閉ざした私を、決して責めたり必要以上に気を遣ったりしなかった。
忙しい時間の合間を縫って、お父さんがこの病気のことをずっと調べているのも知ってた。
だからこそ、私は――
そんな優しい両親が支えてくれていながら、それでも身動きが取れずに、家から一歩も出ることができない状況がとても辛くて、苦しかった。
どうしても、周りと違うということが、呪縛のように私をがんじがらめにしていた。
こうありたい、という理想の私と、自分自身を憎む現実の私との間で、ずっと苦しみ続けた。
そんな私を救ってくれたのが――彼女だった。
――――――――――――
ぼぅっとガラスに映った、見た目通りの雪女のような自分を見ていると、ふいに後ろから声がかかった。
「
「――遅いわよ、
「仕方がないでしょう?あの教授ったら、チャイムが鳴っても授業を終えないんですもの」
振り向くと、背中までまっすぐ垂れた艶やかな黒い髪と、睫の長い、くりくりとした瞳を輝かせている――
――私のようなきつい印象ではなく、本当に「可愛い」と形容できる、ゴシックロリータの衣装に身を包んだ少女が、そこに立っていた。
明るい表情を見せる彼女を見て、私は心が温かくなる。
お互いに『あの頃』があったから――
『あの頃』を二人で乗り越えたから、今がある。
彼女の方を振りかえった時に見えた、その二の腕を見て、そう思った。
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