5-2

 ここに来るまでの経緯を、珠葵なりに頭の中で整理してみた。


 どうやら王家の血を引くらしい凌北斗を、皇帝は自分の駒として取り込みたいようだ。


(アレが駒になるのかと言う根本的問題は、いったん横に置いておくとして)


 そして游皐瑛の発言に添うなら、その凌北斗を朱雪娜の形ばかりの夫として、次の皇帝は游皐瑛ではなく凌北斗だと王宮の内外に周知させ、現在の春宮である游皐瑛をその座から引きずり下ろしたいと言うことらしい。


 游皐瑛がいなくなった後、朱雪娜を春宮ではなく皇帝の後宮に入れて囲い込むために。


 游皐瑛では、朱雪娜をその夫にしたからと言って、絶対に皇帝の後宮には入れられないから。


 どういうやりとりがあったのかは不明ながら、游皐瑛は皇帝を論破したと言っていたくらいだ。

 どうしても雪娜が欲しいのであれば、まずは游皐瑛を落とすしかないと言うことなんだろう。


 自分の頭の中で整理をしながらも、あまりに諸々が腹立たしくて、珠葵は手のひらを切れそうなほど強く握りしめてしまった。


(そもそも、雪娜様はモノじゃないし!)


 游皐瑛の本気度とて、現時点の珠葵には半信半疑だ。


 皇帝が手を出せないように、魔物どころか皇帝自身さえ近付けないほどの強力な結界を王宮内に張り巡らせている点は評価出来るものの、それが単に皇帝になりたいがための協力だったとしたらと、どうしてもまだ思ってしまうのだ。


 ただ、いつからかは分からないが、凌北斗の存在が王宮側に知られたところで、いかにして彼を取り込むかと言う計画が少しずつ進んでいたことは多分間違いない。


 その為に、御用達の店を抱き込み、店の若旦那を使って李明玉を抱き込み、怪しまれないよう凌北斗の養父である薬師に近付き、そこからまずは北斗を孤立させるために、その養父を排除したんだと思われた。


 それから更に、李明玉が命を落としたと言うことであれば、すでにこちら側はかなり遅れを取っていることになる。


 だからこその結界なのかと、そんな風には理解が出来た。

 多分、きっと、それほど的外れではないはず。


 そうでなければ、この国の春宮などと言う立場にある者が、いくら雪娜の覚えがめでたいからと言っても、珠葵に便宜など図るはずがない。


【珠葵! どうする⁉ あのね、呉羽がここから出るのに手を貸しても良いって言ってたの! 姫天だけじゃ力が足りないから……!】


 游皐瑛の姿が完全に消えたのを見計らってか、姫天がそう言って珠葵の足元をぐるぐると周り始めた。


「呉羽が?」


 姫天が貂なら、呉羽は狐。それも相当な「力」を持つ妖狐だ。

 ただし呉羽は珠葵の「友達」ではなく、どちらかと言えば雪娜の「友達」に立ち位置が近い。

 珠葵に手を貸してくれるのは、呉羽自身の気が向いた時だけと言っても良いくらいだ。


 だから珠葵も滅多に呉羽に何かを頼むことはない。

 碧鸞の郷のことを頼んだのはあくまで非常事態だったからであり、呉羽もそうと察して引き受けてくれていた筈だ。


「どうしたんだろう、呉羽……」


 もしや何か裏があるのか、と疑ってしまうのは無理からぬことと言える。

 が、今はそれは後回しだ。


 どうしよう⁉ と、半分パニック状態でぐるぐると走り回る姫天を何とか落ち着かせようと、珠葵は姫天をひょいっと抱き上げた。


「てんちゃん、ちょっと落ち着こうか」

【珠葵! でも!】

「多分だけど、今逃げちゃダメだと思うの」

【⁉】


 珠葵の腕の中で姫天はギョッと身体を固くしているけれど、こればっかりは間違いないと思うのだ。


「さっきの春宮様が、何か考えてくれているっぽいのね? ここで私がいなくなったら、多分大迷惑なんじゃないかと思うの」


 あれだけさっき猪突猛進だと凌北斗を罵っておきながら、自分が似たようなことをやらかしていては、世話がないだろう。


「それにさっき春宮様、雪娜様が狙われてるって言ってたじゃない? 今、御史台更夜部に結界張って隔離してるって話もしていらしたし」


【う、うん。姫天もそれ聞いた!】


「だからね、てんちゃんにはそれを先に呉羽に伝えてくれないかな? 雪娜様の様子を見て来て欲しい、って」


【珠葵ぃ……】


 白い貂が「きゅぅ……」と泣きながら見上げて来る姿は果てしなく可愛らしいと思うものの、ずっとここで愛でているわけにもいかない。


「呉羽は、てんちゃんと違って雪娜様優先でしょう? その雪娜様が『珠葵に手を貸せ』って呉羽に言ってくれたなら、その時はちゃんと逃げるよ。だから、ね?」


【ううぅ……分かった! 姫天、呉羽のところに行く! 一緒に雪娜の様子見て来る! でもって、ここに呉羽を引っ張ってくる!】


「うん、任せた、てんちゃん! 頼りにしてる!」


【でも珠葵、危なくなったらちゃんと姫天を呼ぶ! 話が途中でも、姫天は駆けつける! わかった⁉】


 今は桜泉も龍河も碧鸞も、普通の人間の手が届かないところに匿ってしまったのだ。

 姫天は余計に「自分が守る……!」と、なっているんだろう。


 呉羽が常に珠葵の傍にいるとは限らないことも理解しているから。


「うん、分かった。ちゃんとそうする。今は呉羽に『まだ逃げられない』って伝えておいて? あと『人探しに手を貸してくれる?』って一緒に聞いておいてくれる?」


【……珠葵、アレ探すの?】


「アレ……」


 姫天の表情と声が、分かりやすいくらい不満げなものに変わが、今は仕方がないのだ。

 珠葵は一度足元に姫天を下ろしてから、その頭をそっと撫でた。


「うん。だって、凌北斗アレはどうでも良いけど、回りまわって雪娜様に迷惑かかるとか、ありえないでしょ? 探し出して春宮様にあとはお任せするのが一番な気がするんだもの」


 誰よりも尊敬する朱雪娜が、皇帝の慰みものなどと、聞いてしまえば受け入れられるはずがない。


 游皐瑛の話をまるごと鵜呑みにして良いかどうかはまだ分からないけれど、少なくとも彼は、雪娜を皇帝に渡したくなくて、動いていたのだ。


 皇太子として、皇帝に逆らうと言うのは必ずしも得策ではない筈なのに。


 日頃から雪娜寄りの呉羽であれば、そのあたり考えて動いてくれるだろう。


【分かった! 珠葵を巻き込んだアレはムカつくけど、アレが捕まらないとお店も再開出来ないもんね? 姫天、それも困る!】


 そうなのだ。


 小道具店は、今は恐らく妓楼の下働き、禿かむろらが日替わりで店番をしてくれている筈だ。

 けれど彼らにも彼らの仕事があり、ずっと引き受けているわけにもいかないだろう。


 多分少し日がたてば、葉華姐さんの強権発動でお店に戻して貰えそうな気はするけれど、そう頻繁に、誰もかれもが押しかけて来るのはごめん被りたい。


 そのうえ小道具の〝浄化〟が滞れば、龍河や桜泉を含めた、店の皆が衰弱してしまうかも知れない。


 そう長々と、今の状況を受け入れたままではいられないのだ。


【じゃあ姫天、呉羽のところに行く! 珠葵、待っててね!】


 そんな珠葵の内心の葛藤を察したんだろう。

 姫天はそう言い残すと、珠葵の返事を待つことなく、するりと暗闇の向こうに姿を消した。


「……さて」


 誰もいなくなった石牢の中は、途端に静かになる。


「まさか餓死とかさせられないよね……」


 最初に珠葵をここに放り込んだ連中の態度からすれば、大いにあり得ることと思ってしまうけれど、その後に事情聴取に来た丹劉帆や「誰か抱き込む」つまり味方を引き入れると言って去った游皐瑛の言葉を信用すれば、今すぐどうこうと言う身の心配はしなくても良いような気もしていた。


 北衙禁軍が凌北斗を探すのは、皇帝に差し出すため。

 その皇帝が凌北斗を探すのは、自らの駒として取り込むため。

 刑部が凌北斗を探すのは、李明玉殺害事件の関係者とみているため。

 游皐瑛が凌北斗を探すのは、凌北斗が皇帝の駒となり、朱雪娜が書類上にしろ、夫にされるかも知れない可能性を潰すため。


 御史台更夜部は、人外の魔物でもけしかけられない限りは動けない。動く理由がない。


 更夜部ではない御史台の本店の方は、李明玉のいる妓楼に通っていた「大店の若旦那」のいる店であれば、監察名目で動けるかもしれない。ただし今は皐瑛が関係者を外に出さないようにしているため、動ける人材に限りがある。


 珠葵は雪娜のため「動かない」「何もしない」と言う選択肢は存在しない。

 恐らく鄭圭琪も、それが分かっているから游皐瑛を頼ったのだ。


 身動きの取れなくなる、自分の代わりに柳珠葵を――と。


 王宮出仕年齢ではない珠葵の存在は、皇帝にとっても、恐らくは皐瑛にとっても軽い者だった筈だ。


 あくまで「子龍の侍女」であり、いざとなれば力づくで何とでも出来る。

 そんな存在。


 だけど周囲の反応を見て、皐瑛は臨機応変に考え方を変えてきた。


 朱雪娜の秘蔵っ子は、雪娜の後宮入り阻止にあたって重要な駒になると認識したのだ。

 

 そんな中で、珠葵が顔を見知っている人物らを前提に、どこに手を貸すかと考えれば――それはもう、一人しかいなかった。

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