春夜~雪娜とふしぎの子(後)~

「圭琪。何もおまえまで郭山に付いて来ることはなかったと思うんだが?」


 春宮館で手がかりが郭山にあると聞き、そこへ向かうと告げた時、さも当たり前とばかりに部下の鄭圭琪が同行を宣言した。


「更夜部は全員所在確認が取れています。雪娜様が春宮へ赴かれて、禁軍兵の確認を依頼して下さった事は、こうなると正解でした。残り全員、王宮内で怪しい動きをする共犯者がいないか見張らせます。雪娜様、結界を維持したままで王都の外、郭山へ向かうおつもりですよね?そうなると、いくら雪娜様と言えど十全にお力は振るえない筈。同行者は必要、そして私であるべきと愚考した次第です」


「…………」


 鄭圭琪は、現在の更夜部の中で朱雪娜に次ぐ「力」の持ち主であると同時に、更夜部きっての頭脳派だ。


 その舌鋒は、時に雪娜をも圧倒する。


 この時は時間に余裕がない事もあり、雪娜の方が折れた。


「分かった。ならば『転移札』には、おまえの力を注いでくれるか?なるべく私の力は温存したい」


「御意」


 略礼によって了承の意を見せた圭琪を横目に、雪娜はくるりと身を翻して、御史大夫の執務室の、更に奥の部屋へと足を踏み入れた。


 そこは普段は、更夜部の長のみが出入りを行える、王宮内の結界を張り直すことを主目的とした、術の行使に特化した部屋だ。


 机の引き出しから、白紙の札紙を取り出した雪娜は、一度それを天井に向けて掲げた。


 ――やがてじわりと、その紙に不可思議な紋様が浮かび上がる。


 仕組みは雪娜自身にも分かりはしない。

 ただ、念じただけの結果なのだ。


 結果は同じでも、浮かぶ紋様は人それぞれなのだと、かつて雪娜は父から教わっている。


 その紙を押し頂く様に受け取った圭琪は、目を閉じてそこにそっと手をかざした。


 さほどの間を置かずに、文字が淡い光を放ち始める。


「直接郭山へ飛ぶ。移動直後の周囲の状況に目を配ってくれ」

「畏まりました」


 圭琪の答えを待ちかねたかのように、札全体から強い光が発せられて、部屋全体を取り囲んだ。



 そしてその光が収まる頃には、札紙は燃え尽きたかの如く跡形もなくなり――部屋の中も、無人になっていた。




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 まばゆい光が収まった後の世界は、月の光だけが頼りの暗闇だった。

 ただ、何が起こるか分からないなかで、いきなり灯りを灯すわけにもいかない。


 雪娜も圭琪も、辺りを警戒しつつ、暗闇に目が慣れるのを待つしかなかった。


「圭琪……分かるか?」


 その過程で、目よりも耳や鼻の感覚が研ぎ澄まされている中、雪娜を嫌な感覚が捉えていた。


「血の匂い……がしますね」


 そして圭琪も、雪娜と同じ感覚を拾っていた。


「野山の獣の血なら良いが……龍泉様の御子たちに何かあっては、最悪王都炎上もあり得る。仕方がない、少し灯りを――」


 雪娜が、持参した紙札を一枚燃やして、灯りの術をかけようとしたその時。


 二人の前方で突然、光の柱が立ち上った。


「⁉ 雪娜様、今のは――」

「誰かが術を行使した……か?」


 それは自然の光ではなかった。

 魔物を退ける力を振るえる二人には、それがだと、すぐに分かった。


「圭琪、急ぐぞ」

「はい」


 どこへ、などとは勿論問わない。

 今の光が見えた方角へと、二人は急いだ。

 

 目が慣れて、山道を奥へと向かっている事が嫌でも理解出来てくる。


 やがて進行方向に池が見えてきたところで、二人はおもむろに足を止めた。


 道の先、足をこちらに向ける形で、誰かが倒れていたからだ。


「……圭琪、生きていると思うか?」


 確認の意をこめて問う雪娜に、圭琪は緩々と首を横に振った。


「月光しか届かない中では断言しかねますが……あれは水たまりではなく、血だまりではないかと」


 かつ、更に辺りを見渡せば、その倒れて動かない身体のすぐ傍に、野猿に似た形状のも倒れて動かなくなっていた。


 雪娜がそれに対して何か答えを返す前に、圭琪が「それと」と、すぐさま言葉を被せた。


「雪娜様、あの倒れている人間の方の着衣、見覚えがあります」


 敢えて「人間の方」という言い方をしたのは、野猿モドキにも気が付いていることを知らせるためだ。


「……奇遇だな、私もだ」


 そして雪娜は、圭琪の暗喩を正確に受け取った。


「皇太子殿下は、が一人欠けていることをご存知ではなかった。間違いなく――陛下かその周囲の意を受けて動いた者、と言うことになるだろうな」


 そう、目の前で倒れている男の着衣は、禁軍兵のみが着用を許された服なのだ。


「しまったな。コレを回収する人手も連れてきた方がよかったな。今更だが……」


 舌打ちする雪娜には気付かないフリで、「ええ」と圭琪は今更感を前面に押し出した。


「それと、傍で絶命している野猿モドキは、れっきとした魔物です。男一人であれば盗賊の疑いもあったでしょうが、魔物の命を奪える者となると候補は限られてきます。先ほどの光は、もしや……」


「仕方がない。コレはいったんこのままにしておいて、先へ進むとしようか。何かしらの争いがあったのは間違いないし、龍泉様の御子たちの件と無関係とも思えないからな」


「私もそう思います」


 これ以上の余計な関与を防ぐべく結界を張ってもよかったが、事態が見通せない以上、まだ力は温存しておきたかった。


 倒れた男と野猿モドキをその場に置いて、更に池に近付いたところで、二人の耳に場違いな声が今度は聞こえてきた。


「――どう、いたくない? よくきくおまじないだよ!」


 思わず、雪娜と圭琪が顔を見合わせる。


「子供の声?」

「私にもそう聞こえました」


 気のせいかと思った二人を更に否定する声が、続けざまに聞こえてくる。


「いたくなくなった? だったら、うれしいな!」


 相手の声はここまで届かないものの、子どもがそこに一人でいる訳ではないことだけは、雪娜にも圭琪にも理解出来た。


「うん! あ……でも、おとうさんとおかあさんには、きもちわるいからどっかいけっていわれたから、ここだけのひみつね!」


 聞き捨てならない話も中には含まれていたが、事態が呑み込めない以上、二人は無言で声が聞こえる方へと向かうよりほかなかった。


 草むらをかきわけて進んだところで、やがて視界の先にと、一人の子どもが認識出来るまでになった。


 子どもはどう見ても人間だ。


 取り合わせのおかしさに理解が及ばず、思わず雪娜が声に出してそう呟いていると、子どもの方が弾かれたように立ち上がって、蹲る白い塊の前に立ちふさがっていた。


 いや、そもそも白い塊とてよくよく目を凝らせば――?


「白龍の子らと――子ども?」


「だ、だめ! 連れてったり、ケガさせたりしちゃだめ!」


 連れて行かせまいと必死に立ち塞がる子どもを退かせるのは容易いが、雪娜はその子どもから洩れる「力」の気配に気が付いて、その子どもと少しやりとりを続けてみることにした。


 西門村の「しゅき」と名乗ったその子ども、どうやら口減らしに遭い、郭山に捨てられて彷徨さまよっていたところ、この場に出くわしたらしかった。


「雪娜様、夜が明ければ王宮側の騒ぎが大きくなりかねません。ここは――」


 もしかしたら、圭琪は子どもまで保護する必要性を感じていなかったのかも知れない。


 郭山に一番近い村にでも送り届けて帰れば良いと。

 普通なら、そう考えるのが至極真っ当だ。


 だがどうしても、雪娜は先刻の光と、この目の前の子どもを切り離して考える事が出来なかった。


「行くところがないなら、私が今、寝泊りしている所へ来るか? 何、タダで泊まるのに気が引けるなら、ちょっと私のを手伝ってくれれば良い」


 己の直感を、雪娜は信じることにした。


「……うん、いく」


 子どもが庇っていた「白い塊」も、子どもの後ろで明らかにホッと息をついている。


 ――雪娜は自分の決断が、間違っていなかったとそこで確信した。






 結果として、子どもが庇っていた白い塊――白龍の幼体は、守護龍・龍泉の子たちだった。


 本来であれば、もう少し成長したところで皇帝による名付けが行われるのがこれまでの慣例だった筈が、子どもとの交流、繋がりが思ったより深く、保護してそう幾ばくも無いうちに、既にそれぞれの小龍に名前が付いてしまっている状態に陥っていた。


 その時点で、少なくともあの子どもは処罰の対象ではないかと雪娜もさすがに覚悟をしていて、子どもが持つ「力」を活かして、王都で生き延びさせる方法はないかと裏で色々と手を回した。


 子どもに懐いた小龍たちが、手を出すなら王宮を炎上させてやると激しく威嚇していたのもあるし、そうでなくても身内のいないあの子を今更放棄することなど、雪娜には出来なかった。


 実際には、魔物を利用して小龍たちを誘拐していたのが、王家の近衛である北衙ほくが禁軍の禁軍兵だったことが明るみに出て、皇帝ですら処分を声高に叫べない状況になったのだが、それはある意味運が良かったと言えるだろう。


 双子の小龍の片割れである雄龍が、禁軍兵を血の海に沈め、魔物化していた野猿の喉笛を噛み切ったことも、小龍自身の証言で明らかになった。


 その過程で、雄龍が怪我を負ったのだと知れた時、雪娜は龍泉がどう出るのかまるで読めずに顔色を悪くしたが、事情を聞いた龍泉は、思ったほど激昂はしなかった。


「……ふむ。我が子らが己の手で始末をしたのであれば、我の出る幕がないな」


 怪我は反撃の過程によるものと、どうやら納得して溜飲を下げたらしかった。


「しかし、いかな我と言えど物理でない、術による傷の治癒は出来かねる。術による負傷は術の力でしか癒せぬからな。雪娜、しばし我が子らを其方に託すが良いか? 其方のところであれば、治癒に必要な力も集めやすかろう」


「お望みとあらば、喜んで」


「うむ。それと、最初に我が子を治癒してくれた子どもがいたと聞く。その者も我が子に付かせることは出来るか? 我が子二人ともが、離れたくないと駄々をこねておってな」


「……宜しいのですか?」


 龍が人を、それも子どもを信じると言うのは並大抵のことではない。


 思わず問い返した雪娜に、龍泉はまるで人間ひとの仕種の如く苦笑いを見せた。


「その子どもの一生に付き合ったとしても、我ら龍にとっては些細な時間。我が子らが望むのであれば、その些細な時間を共有したとて問題はなかろうよ」


 頼んだぞ? と言われた雪娜は、頭を下げる以外に出来ることはなかった。


 そしてそれは、誰も逆らえない守護龍の意思として、申し送りされるのだ。


「西門村の『しゅき』――漢字は新たに付与するか」


 何せ読み書きの不自由な5歳の村の子。

 しゅき、がどんな字なのか本人でさえも分かっていなかったのだ。




 柳珠葵。


 池のほとり、柳の木の傍で出会ったことや、朱雪娜の朱に字を足すなどして、出会った子どもは以後その名を名乗ることになる。


 痛いの痛いの飛んでいけー、などと出鱈目に使っていた治癒の力も、雪娜や更夜部で手の空いた官吏の力を借りて、少しずつ自分の意思で制御することを覚えさせた。


「雪娜様! 私は、私に居場所を与えて下さった雪娜様のお役に立てる部署で働きたいです!」




 そして成長と共に子ども――珠葵がそう言い始めるのに、さしたる時間はかからなかったのだった。

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